手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

才蔵 3 植瓜術

才蔵 3

 太夫と才蔵の掛け合いを何とか残そうと考え、これまで様々な手妻の台本を書いてきました。多くは、江戸時代に演じられていた作品を、わかっているところからふくらませて書き加えて行きました。

 若狭通いの水、蒸籠、比翼連理の棒(チャイニーズステッキ)、紙うどん、金魚釣り、壺中桃源郷(こちゅうとうげんきょう=壺抜け)、一里四方取り寄せの術、中でも壺中桃源郷などは全くの復活作品ですが、それらしく作り直して見ました。

 そうした中で、植瓜術(しょっかじゅつ)については、早くから資料を手に入れていたのですが、なかなか形にならず、構想の中だけで、一向に芸が固まりませんでした。

 植瓜術は、今昔物語の中でかなり詳しく紹介されています。今昔物語は平安時代の随筆です。ちなみに平安時代は、今昔物語を「いまは、むかし物語」と読んでいたそうです。著者は不明ですが、ここにはかなり数多く当時のマジックが書かれています。著者が相当にマジックが好きだったことがわかります。その中で、植瓜術は、数人の仲間と相対喧嘩を始めるところから始まります。

 

 街道筋で瓜をたくさん積んだ荷車を止めて、荷運びの若い衆が休憩に瓜を食べています。そこへ老人が寄って行って、「その瓜を少し食べさせてくれ」と頼みますが、断られます。老人が食い下がって頼むと若い者に叩かれて散々の目に合います。周囲の通行人が何事かと大勢集まってきます。

 老人は「それなら自分で瓜を作って見せる」。と言って、地面を掘り、土を盛って、枝を4本立てて、筵で囲い、室をこしらえます。若い衆が吐き散らしたタネを一粒、盛った土に入れ、水をかけ、呪いをします。筵を取れば、土の上に小さな双葉が芽を出しています。また筵をかけて、呪いをすると、今度は芽が伸びて弦になっています。

 こうして弦が伸び、弦は細い枝に絡まって行き、上から瓜が生ります。そこで老人が、口上を言い、「こんなに早く大きくなる瓜は、人の体を若返らせる作用のある瓜だからだ(恐らくそんなことを言ったのでしょう)、良かったら皆さんにも分けましょう。と言って、瓜を道行く人に販売します。その間にもどんどん瓜が増えて行きます。そして、一通り販売した後を見てみると、荷車に山ほど積んであった瓜が一つも無くなっていた。

 つまり、初めに老人をいじめていた若い衆と老人は仲間だったと言う話です。著者の目は鋭いのですが、決して赤ら様な種明かしはしません。どちらかと言うと、老人の芝居を楽しんで見ています。著者の心の優しさがにじみ出た随筆です。

 

 さて、植瓜術は世界中にあります。恐らくマジックの中で5本の指に入るくらい古い作品でしょう。瓜が生るのは、中国や日本、東アジアに限られます。インドや、ヨーロッパでは、マンゴーが生ります。ヨーロッパ、アメリカではインドの秘術として伝わっています。小さな植木鉢を使って、芽が出て弦が伸びて、マンゴーが生ります。

 日本では明治時代くらいまでは大道で演じられていたようです。呪いをする時に、弦を囲った周りを、「生(な)ったり生ったり」、と言って踊っている様子が、挿絵にも出ています。よほどポピュラーな芸だったらしく、資料も数々あります。そうならすぐにでも演じたら良い。と思われるでしょう。それができませんでした。

 

 この演技を現代に活かすためには、幾つかの障害があったのです。一つは、小さな植木鉢を使うのに問題ありでした。植木鉢の中に、芽、弦、瓜を隠すことになり、タネがばれやすいのが欠点です。本来の植瓜術は、交換改めの傑作であり、太古の昔から、土を改め、筵を改めしているうちに、どこからか弦や瓜を隠し持って来る技がタネだったのです。そこを生かさずに形ばかりのマンゴー術を演じても、意味はなく、タネ仕掛けは原点を尊重しなければいけません。

 色々考えた末に。低い地面で演じるのではなく、低いテーブルを作り、そこに大きな底の浅い笊(ざる)を置く方法を考えました。こうすることで、客席から演技が見えやすいようになりました。同時に、笊に盛った土にも仕掛けが感じられません。後は周囲からわからないようにタネを持って来る技を工夫しなければなりません。これも何とかうまく行きました。

 次の問題は土にあります。ヨーロッパでもアメリカでも、植木鉢などに土を盛りますが、その過程でマジシャンはどうしても土をいじらなければなりません。そのため手が汚れてしまいます。これによって後のマジックがしずらくなり、マンゴー術はだんだん敬遠されるようになったのです。大道でなら何でもないことですが、紳士淑女の集まるパーティーで手が汚れるマジックは敬遠されたのです。

  

 土で手が汚れないようにするにはどうしたらいいか。ここに私は悩みました。そして、土を使わずに、小鳥の餌の粟粒を使うことにしました。粟なら遠目に見ると砂に見えますし、手に汚れが付きません。ここが解決が出来たなら、話は一気に進みました。セリフを書き上げ、太夫と才蔵のやり取りの中で瓜が生る手妻が完成しました。

 インドの奥地でマンゴー術を演じている人のフイルムを入手して見ますと、1時間近く演じています。それをかなり端折って私は15分かけて演じています。やってみると受けのいい作品で、今では頻繁に演じています。掛け合いも工夫をして、種を撒いて、水の解説をする時に、

 「この水は根原水と言って、草木を大きくすることが出来る」。「本当ですか」。「本当です。草木だけではない、私なんかは時々頭にかけています。お陰で髪の毛もふさふさ生えて来ます」。「あの、もう少し、たくさんかけたほうがいいんじゃないですか。この辺薄くなっていますよ」。「こら、指をさしてはいけない。根原水は貴重品ですから少しずつ頭にかけているのです」。等と言うギャグを入れています。

 ギャグは時として脱線して、話が伸びます。これに受け答えをするのが才蔵の才覚になります。初め弟子は何か言われるたびにどぎまぎしますが、慣れて来ると自分でアドリブを足すようになります。自分で作ったギャグが受けるようになると、当人は自信を持つようになり、アドリブの才能が身についてきます。ここが修行の大切なところです。マジックの本には絶対に載っていない実地の勉強なのです。今いるお客様に何を話したらみんなが喜ぶか、それを毎日勉強させてもらえるのですから、弟子は幸せです。

 但し、ギャグが受けるのは、セリフの言い回しや、口上が、きっちり時代に言えるから許されるのです。やはり基礎となる修行を勉強していないと、やっていることはデレデレだらしなくなってしまいます。

 

 生ったり生ったりと呪いをして、周囲をぐるぐる回ったりする動作や、徐々に弦が伸びる姿は見た目に明快ですので、お客様が喜んでくださいます。お終いに、4本の竹をまとめたテントの骨の真ん中から大きな瓜が幾つも下がった姿は、形が美しく、布を取った瞬間にお客様から歓声が上がります。この反応が面白く、いつもこの作品を作ってよかったと満足しています。

続く