手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

マジシャンを育てるには 2

マジシャンを育てるには 2

 昨日(2日)は、1、古い手妻をそのまま演じて演技が成り立つのか。と言う質問に、古いまま演じていては仕事にはならないと言う話をいたしました。

 私は手妻を守るよりも、手妻のアレンジに力を入れてをきました。一つの作品を、3分から5分くらいにまとめて、なるべくセリフを省いて、音楽だけで進行して行くように作り変えました。ある程度テンポよく進行して行かないと、お客様が喜んで見てくれないからです。但し、そうすると、アレンジは手妻の種仕掛けだけではなく、音楽までも作らなければならなくなります。

 当時の手妻は、演芸の中で演じていて、音楽は、下座(げざ)さんという、三味線を弾いてくれるおばさんと、太鼓を叩いてくれる落語の前座さんが、適当に有り物の囃子を演奏してくれていました。囃子と、演技の時間は全く合っていません。囃子はエンドレスを繰り返すのみで、演技が終わる時に、太鼓のきっかけで曲が終わります。

 私は演技と曲が一致するように、作曲家に曲を依頼しました。これはとても費用がかることですし、過去にそんなことをした手妻師はいなかったのです。でもそうしないと演技と曲が一致しません。今演じている蝶も、水芸も、傘出しもすべてオリジナル曲です。今では何でもないことですが、30数年前オリジナル曲を持つことは斬新でした。それだけのことでも改革しようとするには強い意思がなければ出来ないのです。

 

 ヨーロッパの伝統産業には今も徒弟制度が残っていて、そこにはガラス職人や、刃物職人、革職人が伝統を守ってレベルの高い製品を作っています。そのヨーロッパも、古いから、いいものを作っているからと言ってもそれだけでは残りません。彼らは残るための努力をしているのです。そのスタイルを手妻も学ばなければいけません。

 時代に合わせてお客様を取りこんで行く、才能とセンスのある職人や経営者が現れて、話題を作って来たから、会社が維持されて来たのです。イブサンローランや、カルチェなど、数え上げたらきりがありません。

 その時代に合った斬新なデザインを考え、新しい製品を社会にアプローチして行けるファッションや経営のスターが現れることで、何百年も続いて来た職人の世界が今まで生き続けて来れたのです。伝統を守っていればお客様は理解してくれると考えるのは幻想にすぎません。いつでも時代に合わせて生きて行かなければ、今に残ることはできないのです。

 そのことは手妻も同じなのです。手妻が古いから、つまらないから廃れて行ったのではありません。手妻が現代に役に立つ、芸術として価値がある。と言うことをお客様に伝えられるセンスを持った人が現れなかったから廃れたのです。手妻に求められているのは、人に価値を伝える能力を備えた人を育てることなのです。

 

 

 2、古い手妻を演じていて、それを見たいと言う観客がいるのか。

 ここが多くの海外のマジシャンが不思議に思うところです。百年も二百年も前の手妻を演じて、そこに観客がいるのかどうか。つまり仕事として成り立つのか、と言うことですよね。でも、ここまでお話すればお分かりと思いますが、私のしていることは古いものを古いまま守っているわけではありません。その都度細かなマイナーチェンジを加えて、演じ方も、作品自体も変えているのです。 

 但し、決して私が変えたことが目立たないように、はるか昔からそうしていたかのようにアレンジを加え、オリジナル色をあえて消しています。オリジナルを自慢することは意味がないのです。演じる内容はあくまで古典であり。細部のオリジナルよりも、演技全体の仕上がりの良さを作り上げるほうが手妻を残して行く上で大切なのです。

 

 私の弟子は、まず原作を教えます。原作がきっちり出来た上で、アレンジすることを認めます。もし、アレンジをして、何年かしてうまく行かないことに気付いたときには、また元に戻せばいいのです。そのために原作を学ぶことは大切です。でも、何もかも昔の通りで変えてはいけないと言ってしまうと、手妻の発展が止まってしまいます。

 私の前に時代までは、決して演技を変えることは認められませんでした。しかし、私は平気でアレンジを加えて行きました。そうしなければ生き残れなかったからです。そのことはこの先手妻を残して行こうとする人にも同じ問題が起こって来るでしょう。柔軟に変化して行くことを認めなかったから手妻は廃れたのです。

 弟子は、先ず古典のルールを守って修行します。着物の着付け、立ち居振る舞い、口上の声の出し方、話の仕方。そして手妻の作品を学んでしっかり演じられるようにします。それらを一通り学んだら、アレンジをしてもいいのです。別に着物を着なくてもいいのです。どういう形で残ろうと、残るならそれでいいのです。

 

 私の所に弟子志望で来る人は、私から3年半学べばそれで生きて行けるものと思って来ます。実際、数々の作品を教えてもらうのですから。ゼロからのスタートではありませんので、普通のマジシャンよりも安定して生活はして行けます。

 でもどこかで自分の考えを立てて行かなければいけません。自分なりに工夫した世界を作り上げない限り、人を超えた手妻師にはなり得ないのです。

 

 そもそも、会社のパーティーや、演芸番組の間に出演しているだけでは小さな生き方しかできません。自分自身の仕事先を探して自分のお客様と言うものを作り上げないと仕事は大きくなりません。今、私のしている仕事のかなりの部分は、地方公共団体や、文化活動をする企業などでの講演やショウです。

 こうしたジャンルは、およそマジシャンがやって来なかった仕事場です。時として、全くマジックをしないで、1時間30分話をすることもあります。話の内容は、「伝統は残すのではなく、生かす」。とか、「後継者をどう育てるか」。「伝統の強さ、脆(もろ)さ」。そんな話をします。

 どこの企業でも跡継ぎの問題は悩みの種です。そんな経営者の皆様に、これまで私が悩んできたことのお話をするのです。私は手妻師ですから、余り気難しい話をしないで、気付いたことを一つ一つ丁寧に話をします。それが結構面白いらしく、私の話はあちこちで皆様に喜んで頂いています。有難いことです。

 時には、話が1時間、ショウが1時間などと言う仕事もあります。そうした依頼が来るのも、私が開拓したジャンルの特徴なのです。マジックの不思議を見せることだけが仕事になっているわけではありません。

 私のしていることは、着物を着て、古い手妻をするから仕事になっているのではないのです。私の売りは文化なのです。文化を語ることが私の仕事です。こうした考えを、他のマジシャンから聞くことはありません。どうもマジシャンは文化が収入になるとは考えていないようです。

 「それは藤山さんが、手妻を演じているから出来ることだ」。と言う人がいます。でも、スライハンドでも、クロースアップでも、もうすでに日本に入って150年以上の歴史があります。そこからマジックを文化として語れる人が出たなら、スライハンドや、クロースアップでも、講演活動はできるはずです。

 つまり、質問2の、手妻にお客様はいるのか。と言う質問は、YESです。そうした仕事場を自分で開発することなのです。

続く