手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

新古典主義のあれこれ

新古典主義のあれこれ

 

 私は、東京と富士、名古屋、大阪で約40人。毎月指導をしています。古い人では20年以上習っている人もいますし、習っている人の中にはかなり高いレベルのマジシャンもいます。プロも社会人も学生さんもいます。

 他に、弟子指導もしています。弟子とマジック教室の生徒は全く教え方が違います。先ず稽古日数が違いますし、マジックを覚えると言うよりも、手順構成や、演技の仕方、と言った演技の細かな点を指導しますので、弟子修行は時間がかかります。

 弟子の指導は手妻が中心になります。然し、初めは手妻の指導はしません。先ず鳴り物(鼓、太鼓)の稽古。そして日本舞踊の稽古を半年以上してから手妻を教えます。

  弟子は、舞踊などを習っている間に、いわゆる一般的なマジック(西洋マジック)を稽古します。シルク、ロープ、カード、コイン、リング。といった基礎的な演技です。基礎と言ってしまうと簡単なものの指導をするように聞こえますが、実は一般的なマジック指導こそがプロとして活動して行く中で一番大切な知識になって行きます。

 これまで60年近く私がマジックをしてきた内容をまとめて、私がいいと思った作品をセレクトして、更にロープでも、シルクでもそれぞれが3分から5分の手順に作ったものを指導しているわけです。

 それらをそのまま舞台で演じても、自身のショウにすぐに役立つものがたくさんありますから大きなプラスにつながります。それらの手順は実際に私が舞台で演じていたものばかりで、マジシャンとして活動してきた作品ですから、それを習えることは大きなメリットです。

 指導するマジックの中には、ピラミッド、中華蒸籠、金魚釣り、パン時計、メリケンハットなどと言う古物(こぶつ)もあります。「そんなものを今時覚えて何になるんだ」。と思う人もあるでしょう。

 実は、それがプロ活動を始めてから後々とても役に立つことになります。自分自身がプロになって、作品作りをしなければならないときに、昔のマジックの手順をしっかり覚えていて、一つ一つの作品の良さを身に着けていると言うことが、他のマジシャンと大きな差をつける結果になります。特に、創作をする際にはとても重要なのです。

 一口に創作と言っても、全くの無から有は生まれて来ません。試しに何か新しいマジックを考えようとして、机の上に白紙を置いて、ペンを持ち、じっと考えてみてください。一週間経っても、一か月経っても何一つ作品は出来ないはずです。なぜか、元ネタがないからです。

 創作は全く無の状態からは何も出て来ません。創作をするには知識が必要です。知識とは旧作品です。創作とは旧作のアレンジから生まれます。そしてアレンジは旧作の疑問点に気付くところからスタートするのです。

 疑問点を見つけ出すには、そもそも旧作のすばらしさを知っていなければいけません。しかもマジックの場合は知識として知っているだけではだめで、やりこなせなければ意味がありません。当然習得には時間がかかります。マジックを学ぶ入り口で、先ず基礎を学び、しっかり演じられるマジシャンになることが、その先の運命を大きく形作って行くのです。

 とかく、旧作品を古いとかつまらないと言って否定する人がいます。そうした人は、実は創作のできない人なのです。自身と過去の歴史がつながらない限り、自身の将来も見つけ出せないのです。プロとして生きるなら、先人の工夫を尊重して、なぞって見る所からら始めなければ、何も始まらないのです。

 シンブルの何がいいのか、5枚カードの何がいいのか。自分自身が、そのマジックをするしないにかかわらず、何がいいのかの知識を理解し、演技を実演して見せられるだけの技術を身に着けておかなければならないのです。それが出来て初めて創作が始まるのです。

 生徒さんに指導する際も、彼らにマジックの作品の良さをしっかり伝えて、それらが生徒さんのマジックに生かされて、使われなければ意味がありません。そのため先ず、旧作品を教え、更にそれをアレンジして、今に使える作品にして、指導しているわけです。

 

 と言うわけで、私の指導は、古い作品を丁寧に指導しつつ、古い作品を3分、5分にまとめて、演じやすい作品にアレンジしています。

 一見何でもないことですが、実は、こうした指導ができるのは日本と一部のヨーロッパ、それに一部のアメリカくらいのもので、他の国にはマジックの旧作の蓄積がほとんどないのです。例えば、韓国や、台湾のマジシャンが、旧作を語るときは、決まってこの2、30年前の作品の知識しかありません。

 100年前のカーディーニや、更に以前のネルソン・ダウンズやデビッド・デバンドの作品となるともう雲の彼方です。仮に彼らの作品を知識として知っていたとしても、それを生きた演技として見た経験がないのです。

 ところが日本には残っています。松旭斎天二や、石田天海のような人達が持ってきて、残してくれた財産があって、いろいろなマジシャンに受け継がれて来ました。それらが今のアメリカやヨーロッパにはほとんど残っていないのです。

 例えば、マックス・マリニーの9本リングは、もうアメリカでも演じる人はありません。全く資料が残っていないのです。然し、日本ではアダチ龍光が残しています。私はそれを何度も見ましたし、実際演じた時もあります。マックス・マリニーの遺産は日本にしか残ってないのかも知れません。

 細々とですが日本には旧作品が残っています。それを生かさない手はありません。日本がアジアの中で優れた地位を持つには、日本にある旧作をもっと熱心に学んで、そこから日本のマジックとして発展させてゆくことが大切です。

 それを私は「新古典主義」と名付けています。古典が古典の儘では駄目です。今の時代に通用するために、新しくしなければいけません。然し、ただ新しがっていても、あるいは自分のオリジナルにばかりこだわっていても、それは独りよがりになってしまいます。

 昔からの優れた作品を知り、それを新たな作品に生かして行く。そうした活動をして行くことが日本のマジックのなすべき形だと思います。幸いに私の考えを理解してくれる若い人が各地にいて、習いに来てくれています。まだまだ私の指導は生かせる余地がありそうです。

続く