手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

出世披露

出世披露

 

 今まで何人もの弟子を育て、その中から数名出世披露をして世に出しました。手妻は種仕掛けを演じる以前に、型であるとか風情であるとか、江戸から脈々と続く、日本の芸能の様式が分かっていないと手妻にはなりません。

 そのため、長唄を学び、鳴り物を学び、舞踊を学び、芝居を見て、能を見て、落語を聞いて、座敷に上がって遊んだり、あらゆる日本文化を体験して、日本文化がどんなものなのか、体感することが大切です。

 まず自らが日本文化に近づき、昔の人は何を夢と求めていたのかを知ることが大切です。そのための体験が私の元の修業の核になります。通信販売などで手妻の道具を仕入れ、やり方を誰か訳知りの人に人に習って、それを演じて手妻だ、和妻だと言ってもそれは抜け殻に過ぎず、日本の芸能にはなりません。

 無論、どんな形でマジックをしてもいいのです。アマチュアなら何をしようと許されます。然し、プロとして、手妻師として生きて行くとしたなら、日本文化の知識を深めていなければいけません。日本文化は手妻師に聞けば一通りのことは分かる。と言うくらいの信頼を得なければ存在の価値がないのです。

 先ず弟子修行と言うのは日本文化に触れるところから始まります。そのため、半年間は見習いとして、手妻指導はしません。長唄、鳴り物(太鼓、鼓)、舞踊の稽古に通わせます。少し和の芸能の素養が付いてきたなら、手妻の指導を始めます。年間二つないし三つの作品を時間をかけて指導して行きます。三年半の修業期間に直接習えるものは十数種類です。無論そんな数では生きて行けません。そのため、脇でひたすら私の演技を見て、口上のいい方、手妻の扱い方、観客の応対などを学ぶのです。無論見ただけで演じてはいけません。必ず一度許可を得なければいけません。

 習うと言うことも大切ですが、見て取ると言うことも大切です。但し、大概は表のことだけを真似ていますので、見て取っただけではやっていることは半端です。そこで私が演技の元となる考えを語って聞かせます。

 すると、自分自身が百%見て取ったと思われる演技も、聞いてみれば半分も取っていないことに気付いて愕然とします。でも、それでいいのです。古典芸能の価値はその蓄積ですから、奥に隠された蓄積が解き明かされて、それを知るだけでも大きな収穫なのです。

 こんなことをしながら、修行をして、3年半が経つと卒業です。卒業の際には劇場を借りて、先輩や、ゲストを招いて出世披露をします。

 

 ちなみに、三年半の修業を終えただけでしたら、出世披露と言います。何か昔の手妻師の名前を名乗るなら、襲名披露になります。また、元々藤山なにがしかを名乗っていて、そこから新たな名前を名乗ったなら、改名披露になります。

 手妻の流派は帰天斎派を除けばどこも絶えてしまっています。伝手を頼って親族から名前をもらって、古い名前を復活させることも不可能ではありませんが、名前だけ復活させても、昔の型が残っていなければ有形無実になってしまいます。

 私のところでは卒業する弟子は新しい名前を与えています。名前は藤山にはこだわりません。当人がなりたい名前を尊重します。名前も五つくらい考えて、その中から好きなものを選ばせます。決してフォースはしません。気に入らなければまた別の名前を考えます。

 さて、私の一門は、入門する前から、既に、私の舞台を手伝っている人が殆どです。大樹も、この度の大成も、みんな高校生から大学生の間に、私のショウの手伝いをしています。そこで基礎的なマジックは学んでいます。やる気の人は学生時代から日本舞踊を習っています。その上で弟子入りするのですから、その時点でもう四年くらい手妻に関与しています。

 そうした結果として出世披露をします。然し、これで修行が終わったわけではありません。その後、四年間ほど自らが、仕事を探して、贔屓を見つけるなどして活動をします。そして芸が安定して来たなら、蝶、水芸の指導をします。

 ここで師範の免状を出します。師範の免状を受けると、生徒を取って指導をすることを許可されます。また弟子を取ることも出来ます。これで晴れて一人前の手妻師となるわけです。手伝いの時期を除いても、入門から師範までは八年を要します。短い時間ではありません。それでもその間、この社会で実績を作り、多くの支持者を得て活動して行けば、将来的に生きて行くことに不安なことはありません。国も、地方自治体も支援をしてくれるでしょう。

 

 但し、古い作品をそのまま守っているだけでは財産を食いつぶして行くだけに終わってしまいます。手妻で生きて行くためには、創作手妻や、旧作の復活上演や、アレンジなどをして行かなければいけません。社会が常に動いている中で、手妻だけが動かずに生き残れるものではありません。

 そうした中でも手妻には先人の残した型や、作品、世界観が残されています。ちゃんと学んで習得すれば、その芸で活動して行けるのです。有難いことです。

 

 九月三十日、座・高円寺で前田将太改め、藤山大成の出世披露があります。邦楽による生演奏で手妻を致します。大成の舞踊も披露いたします。私の四十年来の仲間のマギー司郎さんやボナ植木さん、ケン正木さんが応援に来てくれます。賑やかな公演になります。皆様是非ともお越しください。

続く