手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

ケビン・ジェームス

ケビン・ジェームス

 

 一昨日の六本木でのマジックフェスを拝見した後、舞台袖に行って各マジャンと話をしました。その時、ケビン・ジェームスと会い、しばし話をしましたが、私はなんとなくこのマジシャンを見て、「私に近いタイプの人かな」、と感じました。

 これは、決してケビン・ジェームスの輝かしき功績と私を並べてものを言っているのではありません。彼は世界的に有名なマジシャンです。それを認めた上で、マジック界の中に立ち位置として、彼のポジションと私が、似たようなところで生きてきたのかなぁ。と感じました。

 舞台袖で彼と話をすると、彼も私のマジック(手妻)を知っていたらしく、(恐らく昔私がマジックキャッスルに出演していた時に見ていたのか、どこかの大会で見ていたのでしょう)。「やぁ、新太郎、フォトいいかい」。と言ってその場で彼自身の携帯で自撮りを始めました。なんとまぁ、気さくな男です。光栄にも一緒の写真に納まって、少し話をしましたが、わずかな会話からも、仕事のできる男だと言うことを感じました。

 私のたどたどしい英語をしっかり聞こうとしますし、相手をはぐらかしません。また相手の人品をしっかり読み取ろうとします。有能なアメリカのビジネスマンに多いタイプの人です。アメリカで仕事のできる人は、無駄話をして、相手の素性を探りを入れる必要もなく、相手がどれくらいの仕事をする人で、どれくらいの実績のある人かを素早く見抜きます。そのため、あまり長い話をしなくてもいきなり本題を話せるのです。

 

 そこで私はケビン・ジェームスに何を感じたのかと言えば、「あぁ、彼は、マジックを仕事にして、成功するタイプの人だ」。と改めて感じました。無論そのことはいまさら何を、と言うことで、彼はショウマンとして成功していますし、クリエィターとしても成功しています。

 マジシャンの中には、マジックが好きで好きでひたすら惚れ込んで朝から晩までマジックにどっぷりつかって、同じようなマジック好きの仲間に囲まれて一生を終える人もいます。逆に、マジックを少し俯瞰で見て、世間を見ながら、観客が何を求めているのか、どうしたら話題になるのかと、外の世界を見つつマジックをする人もいます。私も彼も後者のマジシャンです。

 

 私は子供のころからマジックが好きでしたが、マジックにどっぷりつかることが出来ませんでした。いつでもカードやコインを持って、手遊びをしている人を逆に羨ましいと思いました。子供のころは「ああした人がこの世界で成功して行く人なんだ」。と思っていました。私はマジックの世界にいて、自分が何をしていいのか、長いこと答えを出せませんでした。

 舞台は子供のころから出ていましたが、ロープマジック、カード当て、リングなど、子供のくせに喋りが達者で、やけに世慣れた子供でした。手妻(てづま=日本の古典奇術)は、師匠から習ってはいましたが、それが仕事につながるとは、十代の頃は全く考えてはいませんでした。

 そんなわけで自分自身が何をして生きて行ったらいいのか、まるで分らなかったのです。分からないまま、学校を卒業すると、アメリカやヨーロッパに行き、折々手妻を見せると、当時の欧米人は全く手妻の知識がありませんでしたから、私が演じた連理の曲や、サムタイに熱狂してくれました。

 すると、いきなりアメリカの世界大会で私がトリを取ることになり、全米各地のコンベンションにゲストで招かれ、私の粗末な手順がマジック界で話題になって行きました。

 内心私は、「こんな生き方をして無事に済むはずはない。必ずどこかで奈落に突き落とされる」。と冷や冷やしていました。

 

 話は長くなりましたが、ここは私の人生を語る場ではありません。ともかくアメリカ各地のコンベンションに出演していると、様々なマジシャンを見ることになります。アマチュアマジシャンは勿論。ローカルな世界で仕事を掴んで活動しているマジシャン、ラスベガスのようなところに出演している、有名なマジシャン。

 いろいろなマジシャンを見ているうちに、アメリカ国内でもフルタイムマジシャン(一年中マジックだけをして生活をしているマジシャン、対して、ほかの仕事を持ってマジックをしている人はパートタイムマジシャン)のマジシャンは、極めて少数だと知りました。

 アメリカでローカルマジシャンと仲良くなると必ず聞かれることは、「新太郎は本業は何をしているのか」、と言う質問で、私が「本業はマジシャン」と答えると、相手は急に言葉を改めて、「いや君はフルタイムマジシャンですか」、と、敬意を持った眼差しで見られたのです。アメリカのローカルな地域ではフルタイムマジシャンは貴重な存在でした。

 但し、少数ですが、ローカルでも結構いい稼ぎをして、フルタイムで生きているマジシャンもいたのです。そうしたマジシャンは、コンベンションに出ると、初日か二日目のショウでトリを取るようなマジシャンでした。

 ローカルでそこそこ稼ぐマジシャンの特徴は、何でもありの内容で、トークマジック、スライハンドマジック、イリュージョンマジックと、一通り出来るマジシャンで、主催者の依頼を絶対に断らない。出来ないマジックはない。と言わんばかりにあらゆることをする人たちでした。

 そうした人たちのマジックの内容は、ゴムの鳩を出したり、鶏のガラを出したり、古いギャグのオンパレードで、イリュ-ジョンもヒンズーバスケットや、ジグザグボックスと言った月並みなものでした。私は「あぁ、これがアメリカのアベレージのマジシャンなんだ」。と納得しました。

 失礼ないい方をあえてするなら、ケビンジェームスと言う人は、このローカルマジシャンの出来のいい人と言う感じがします。スライハンドからトーク、イリュージョンなどなんでもござれ、得意のジャンルは?と聞かれても、得意なんてなく、ただひたすら観客のニーズに応えるべく日々アイディアを生み出すことに苦労して来たマジシャン。そうしたタイプの人かなぁ。と感じました。

 無論、彼の考案した、紙の花の浮揚や、スノウ、は世界中で大人気になり、今もアメリカのローカルマジシャンのレパートリーの一つとして活躍しています。

 恐らく、彼自身もローカルマジシャンとして長く活動してきたのだと思います。その苦労は彼の演じるマジックから、彼の表情から伺い知れます。私よりも8つも若いのに、私と同じ年か、年上に見えるのは、アメリカと言う土地でしたたかに生きて来たマジシャンの歴史を見た思いがします。彼を目の当たりに見て、忘れかけていたアメリカのコンベンションのローカルマジシャンとの思い出が甦りました。昭和の時代すなわち、今は昔の話です。

続く