手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

将太卒業 大成誕生

将太卒業 大成誕生

 

 昨日、7月31日をもって前田将太が弟子修行を卒業して、独り立ちすることになりました。一昨日(30日)、猿ヶ京の合宿を予定していて、その際に合宿所で卒業の免状を渡そうと思っていたのですが、実は、参加者がコロナの感染者になったり、家族感染に罹ったりして、ザッキーさんを除いては誰も参加できなくなってしまいました。

 急遽合宿は取りやめになり、13時から、私の事務所でザッキーさんと前田の二人で集中レッスンをしました。その際に、初めに、卒業免状の授与式を行い、記念品を渡して、式を済ませました。

 この先、東京(9月29日、驚天動地、座高円寺、)と大阪(10月28日、29日 大阪マジックセッション、道頓堀ZAZA)、福井(10月30日、天一祭、福井市繊維ホール)、東京(2023年3月予定、ヤングマジシャンズセッション、座高円寺)、富士(2023年7月21日、マジックセッションイン富士、富士市ロゼシアター)などなど、1年かけて、私の縁ある舞台で藤山大成の改名披露を行います。正式な口上は舞台の上で致します。

 

 5時にレッスンを終え、そのあと前田とザッキーさんと、寿司屋さんの桃太郎に出かけ、寿司を食べながら、卒業祝いをしました。前田とすれば、弟子修行中は私の前で酒を飲むことは出来ません。結婚もできません。いろいろ制約の多い中での修行ですから、この日を迎えられたことは一安心かと思います。晴れて酒が飲めて幸せだったと思います。

 弟子と言うのは職業ではありません。世の中に弟子と言う職種などないのです。一定の期間マジック、手妻の勉強をさせてもらっているのです。いわばプロに成るための猶予期間と言うことです。

 多くのマジシャンからすれば、「どうして弟子修業が必要なのか」。と思うかもしれません。マジックや、クロースアップマジックであるなら、その必要はないかもしれません。やりたければさっさとプロに成ったらいいのです。然し、手妻は別です。手妻は日本の伝統文化を理解していなければなりません。鼓、長唄、日本舞踊を学び、その上で手妻を習います。

 世間には、そうしたベースの修業をしないまま手妻をする人もいます。ただ、それではマジックは出来ても(私はマジックとしても出来ているとは思えませんが)、芸能として評価されません。何だか無国籍なマジックが出来上がっただけで、それでは、仕事として買い手がつかないのです。

 手妻の修業は、料理人の修業に似ています。どこの店で修行したかが大切なのです。修行中は実際私の舞台を手伝うことになりますし、舞台に立って、幾つかの手妻を演じることもあります。楽屋でどういう仕事をしなければいけないか、舞台袖ではどうしていなければいけないか、お客様が楽屋に尋ねて来たならどう対応しなければいけないか。すべては毎日の舞台の中から実践で学んで行くことになります。マジックだけでなく、それら全てを学ぶことが修行です。

 それらを直接学べることは得難い体験であり、後の自分自身の舞台活動に大いに役に立つことだと思います。人生にそうした時間があったことは決して無駄ではなく、結果としてマジシャンとは何か、手妻師とは何かを最短距離で学べたことになったのです。

 これまでも藤山を名乗ったプロは数人おりますし、アマチュアさんの名取も20人ほどいます。私が30代で弟子を取り始めたときは、手妻をする人がおらず、何とか後世に手妻を残したい一心で教えていました。幸い弟子希望は次々にやって来ました。然し、どんな修行でもすると言って、三日で来なくなった人、3か月でやめて行った人、それまで数えれば何十人もいます。

 私はそうした人たちが無駄な時間を使ったとは思いません。手妻師をやめてもいいし、修行が続かなくて他の仕事に就くことも致し方ないのです。私を知って、手妻の修業を少しでもかじったことが、その後の人生に何らかの役に立ったならそれも成功なのです。

 若い時に、なぜ自分が手妻にひかれて修行して見ようと思ったのか。そのことをしっかり頭に入れておくことです。その後別の仕事をしたとしても、ある時期、自分の感性で手妻を見出したと言うことは、その後の人生で、大きな「成功の種」を持ったことになります。およそ人の気付かないところに光を見出せた人なのですから。そうした人と言うのはそれだけで一つの才能なのです。

 ただしそれは飽くまで成功の種です。種が芽を出し葉が伸び、実がなるにはやはり長い時間がかかります。そのことを見据えて、じっくり考えて、答えを出して行けば、必ず成功します。

 

 今回の名前の大成は「大器は晩成す」の略です。大きな仕事を成すには時間がかかります。そうなら若くして成功することは先ずあり得ないのです。簡単に人に認められないからと言って、腐らず、世間を恨まず、地道にコツコツと活動を続けて行けば必ず成功します。人生の途中で仲間がどんどん成功して言っても、僻むことなく、自分は末には大きな獲物を手に入れるんだと信じて、目先の欲に走らず、ぶれずに生きて行ってほしいと思います。

 兄弟子に大樹がいます。大樹は「寄らば大樹の陰」から取りました。大きな樹木は雨風が吹いたときに、たくさんの動物の避難場所になります。樹木は大きいと言うだけで多くの生き物を助けるのです。寄らば大樹の陰と言うと、自分が強い人に寄り添って助けてもらうことの意味と捉えがちですが、話は逆です。自分自身が大きくなって人を助ける立場の人になってもらいたいのです。

 これで若い弟子が二人、大樹、大成と育ちました。大成はこの後も約3年から4年、私の仕事を手伝いつつ、自分の舞台活動をして行きます。落語の世界で言えば、今回の名取までが前座修行です。この先、4年間は落語で言う二つ目にあたります。二つ目が過ぎると、師範試験があります。師範を取ったときに初めて真打、一人前の手妻師になれます。師範になれば弟子も取れます。指導も出来ます。一門の柱の一つになるわけです。

 名取の免状はまだまだ一里塚に到達したことでしかありません。それでもここまで来れたことは喜ばしいことです。どうぞ皆様祝ってやってください。

 8月7日のアゴラカフェでも、簡単な挨拶を致します。宜しくお引き立てください。

続く