手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

劇場を持つ 1

劇場を持つ 1

 

 私がこの20数年間、何をしてきたかのお話をしましょう。一つは若手の育成と指導。二つ目は手妻の復活上演、創作活動。三つ目は自主公演。四つ目はお客様の開拓。五つ目はマジックの劇場を持つ。

 今から23年前、44歳の時、文化庁芸術祭大賞を頂いて、私自身は、仕事の上でも、生活面でも安定して来たために、残りの人生は、自分の活動だけでなく、マジック界のため、若手育成のために活動して行こうと考えました。

 幸いに、手妻を学びたいと言う若い人は次々にやって来るようになりました。教えることはやぶさかではありません。但し、若い人を相手にすると言うことは、とても多くの費用が掛かります。劇団のように、授業料を取って生徒を募集して教えるのではありません。話は逆で、私が若手の生活の面倒を見つつ、教えて行くのです。

 これは言うは易く、行うは難しで、修行期間と言うのは、まるで、大学生を一人丸々仕送りして養うような活動です。しかも、自分の子供なら一人、二人育てればそれで終わりですが、弟子は次々にやって来ます。結局今に至るまで、自分自身の所得から弟子のために出費し、人を育て続けてきたわけです。なぜそんなことをしたのかと言えば、手妻が明日にでもなくなるのではないかと言う不安から、育成を続けてきたのです。それは簡単な活動ではありませんでした。

 しかも困ったことに、教えているうちに、手妻の作品数が少ないことに気付きます。自分自身の得意芸を教えている限り、三人も指導すれば、もう教えるものが無くなってしまいます。又自分の作品を教えていると、同じことをする弟子ばかりが育ってしまいます。もっともっと内容豊富な世界を作って行かねばなりません。

 

 そこで二つ目の活動である、復活上演と創作活動私が必要になって来ます。私が手妻の復活上演に真剣になって行ったのは、実は芸術祭大賞を頂いた後のことで、それは、新たな作品(旧作の復活も含めて)をたくさん作りださなければ、急に増えた一門を維持できなかったのです。今、普通に私のレパートリーに入っている、金輪の曲(リンキングリング)も、植瓜術(しょっかじつ)も、掛け合いによる「お椀と玉」も、みんなこの時代に作ったものです。

 また滅多にやりませんが、「呑馬術(生きた馬を舞台に上げて、馬の顔を触っているうちに、顔が細長くなり、それを端から呑み込んで行き、しまいには馬を丸々呑み込んでしまう術)」、「壺中桃源郷(こちゅうとうげんきょう=大きな壺で、壺の口は20㎝ほどしかありません。その口の中に女性がするりと入り込み、又するりと出て来ます)」「怪談手品(大きな箱からお化けが出て来たり、小さな豆腐小僧が出て来たり、狸が出てきて綱渡りをしたりします)」。こんな作品を次々に発表して行きました。いずれにしても三百年から、千年以上昔に演じられていたもので、今は私以外誰もやらなくなった作品ばかりです。

 結局、人が増えたら増えたで、人のために作品を考えなければならず、人が増えることが私自身の舞台活動が楽になることではなく、負担が増える結果にしかなりませんでした。手妻だけではなく、例えば、「テーブルクロス引き」などを、弟子と掛け合いでする手順を作ったり、何とかして、見た目の変わった舞台を作ろうと毎年毎年創作活動を続けて来ました。

 さらに人が増えてくれば。マジックや手妻を発表する場が必要になって来ます。そこで、三つ目は「自主公演」の場を作って行きました。とにかく地方の市民会館などを手当たり次第に借りて、公演を打って行きました。私が日本全国にそうたくさんのお客様を持っているわけではありませんので、どこで演じても、お客様を集めることは至難の業で、随分自己資金を使いました。しかしこうした苦労が、徐々にではありますが、周辺の地方自治体の協力を頂けるようになり、私の公演を買ってくださるスポンサーが出来て来ました。それは今も続いていて、有難いことだと思っています。

 

 それが、四つ目の「お客様の開拓」につながって行きます。舞台で生きて行くと言うことは、自分のしているマジックや手妻が、直接お客様の夢や憧れに繋がって行かなければお客様は見に来てくれないのです。自分のしているマジックが自己満足であっては少しも理解は得られません。常に、演じている作品が面白くて、演じている現象以上に大きな世界が表現されていて、お客様の夢と合致しているかどうかが問われます。

 とかくマジックは、指先のテクニック一つで作り出すものだと考えているマジシャンが多いのですが、実は、それだけでは手遊びに過ぎないのです。それはマジックではありません。マジックとは、指を動かすしぐさや、表情、体のこなしをお客様に見せているうちに、お客様を知らず知らずに別の世界に誘い込み、あたかも3D画像のように、ありもしない世界を作り上げて、その中で縦横にストーリーを展開して行くものがマジックなのです。

 演じているものが、カードであれ、コインであれ、どんな小さなマジックでも、巧いマジシャンが演じると、大きな世界が隅々まで目の前に浮かんできて、この世にはない世界を見せてくれるのです。それが出来て初めてマジシャンです。

 

 今マジシャンは、危機に瀕しています。ネットや、DVDでマジックを覚える人が多く、そうして覚えたアマチュアマジシャンは、種仕掛けこそがマジックだと信じて疑いを持ちません。そして、マジックを演じることがマジックだと思い込んでいます。しかし実際幾らそれを繰り返しても、一つも仕事の依頼が来ないのです。ところが仕事が来ない理由を、「それは演じているマジックが良くないからだ」。と思い込み、またまた種仕掛けを追い求めます。こんな人ばかりが増えたために、マジシャンは育たないのです。

 どうしたらいいプロマジシャンが育つのか。それは、実際に、お客様を前にしてマジックがどんなものなのかを学ばなければなりません。そのためには日本でマジックショウが毎日でもできる場が必要なのです。そのために、

 五つ目の「マジックの劇場を持つ」。と言う活動をしなければならなくなります。話は長くなりましたが、私の20数年間のマジック活動が、劇場を持ってマジックの公演をすると言う活動に結びつこうとしています。

 と、序章を書いているうちに紙面が尽きてしまいました。残りは明日またお話ししましょう。

続く

 

 アゴラカフェ、ヤングマジシャンズズショウ

 10日、12時から、日本橋マンダリンホテル二階、アゴラカフェにて、出演者、ザッキー、前田将太、菰原裕、黒川智紀、4000円、食事付き。要予約 03-6262-6331