手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

初音ミケ 14

初音ミケ 14

 

 私が一日の仕事を終えて、三階に上がろうとしたときに、外にミケが座っていました。「どうしたんだ、こんな時間に来るなんて珍しいね」。「洋子おばさんの家を閉め出されちゃった。三日も家を留守にしていたから、おばさんも機嫌が悪いんだよきっと」。ミケはしょんぼりしています。

 「私が心配していた通りのことになったなぁ。ミケよ、お前は仲間のために働くことも大切だが、先ず自分が人に養ってもらっていることを忘れたらだめだ。お前から聞く限り、高円寺北の飼い主さんはとてもいい人だ。それを裏切ってはいけない」。

 「わかるよ。分かっているけどさぁ。じゃぁほかにどうしろと言うの。若ミケだって、放っておいたら野垂れ死んじゃったと思うよ。そのままにしておくの。まぁ、若ミケは車にひかれて死んじゃったけども、それは、野垂れ死にがいいか、車にひかれて死ぬのがいいかと、どっちがいいかと言う話じゃないよ。

 若ミケは人にいじめられ、仲間にいじめられ、生まれてこの方、少しもいいときがなかったんだよ。それを、ほんの一時でも仲間の情けに助けられて生きていけたことは若ミケに取っては幸せだったと思うよ。

 若ミケは本当にあたしのことを母親だと思っていたよ、あたしも、若ミケを跡継ぎにしたいと考えていたんだ。この三日間はそのために必死になって若ミケを助けようとしていたんだよ。それがいけないことなの。あたしのしていることなんて誰もわかっちゃくれないよ」。

 「ミケよ、お前のことは私が一番よくわかっているよ。でもねぇ。世の中にはどうにもならないことがあるんだ。いくら猫助けだと言っても自分自身が生きて行けなくなったら誰も助けてやれなくなるじゃぁないか。先ずお前がちゃんと生きて行けること。そのために何度も飼い主さんに謝らなけりゃぁいけないよ」。

 「さっき、洋子おばさんの家に帰ったら、玄関が閉まっていて、庭のサッシのところに回ったら、サッシも閉まっていて、ガラス越しにオクゲがいてね。オクゲはあたしのことを心配してくれていたけど、洋子おばさんはサッシを開けてはくれなかった。あたしは何度も鳴いたんだけど、洋子おばさんは開けてはくれなかったよ。

 あの時オクゲが強く洋子おばさんに、あたしを入れてくれるように頼んでくれたなら、きっとおばさんも根負けをして入れてくれたと思うんだ。でもオクゲはそこまで本気になってあたしを助けようとはしなかった。オクゲはガラスの向うからあたしをじっと見ているだけだった」。

 「ミケよ。それがオクゲなんだ。オクゲは飼い主の言うことを守って、自分を押さえて生きているから飼い猫として生きて来れたんだ。それをお前のように反発して、自分の好き勝手に生きるんなら、飼い猫としては失格なんだ。そうなら人に養ってもらおうなんて考えずに、自分で生きて行ったらいいと言うことだよ。お前のような生き方をする猫を、オクゲは助けてやることは出来ないよ。オクゲは自分の立場を知っているんだから」。

 「わかっているよ。分かっているけど悲しいんだ。猫何て何の力もありゃぁしない。世の中から見たなら、生きていたっていなくたってどうでもいい生き物なんだもの。どうして猫に何て生まれて来たんだろう。悲しいよ」。

 

 外は黄昏て、あたりも暗くなってきました。ミケは珍しく弱気になっています。

 「明日、もう一度飼い主さんのところに行ってごらん。家に入れてくれるかもしれないよ。オクゲだってきっとミケがいなくなって、このまま会えないかと思うと悲しいはずだよ。飼い主さんも、オクゲの寂しそうな姿を見たなら、考えを変えるかも知れないからね」。 

 ミケは明らかに迷っていました。私はここでミケに少し厳しい話をしました。

 「ミケよ、もし明日、飼い主さんが家に入れてくれたとして、その先お前はどうするんだ。洋子さんの家に入ったなら、オクゲと毎日暮らせて、食事の心配はいらない、飼い主さんもよく面倒を見てくれる。いい話だ。でも、この先は外出は出来ないだろう。それでいいのかい?」。

 ミケは黙っています。「逆に、お前が猫同士会の役員になって、猫助けをしながら、生きたいように生きると言うなら、飼い主さんと別れて、再び野良として生きなければならない。でも、そうなったらお前は誰を頼って生きるんだ。私の家は、お前もオヤミケもたびたびやって来て、二階の玄関先でおしっこをするから、女房は猫を天敵だと思っている。私がこうして猫と話をしていると、女房はミケにエサでもやりはしないかと気が気じゃないよ。私はお前を助けることは出来ないよ。もう、裏の学生さんを頼ることも無理だろ。それは分かっているの?」。ミケはじっと考えています。

 「ここはお前にとって正念場だよ。道は二つだ、どっちかを選ばなければならない。さぁ、どうする?」。ミケはずっと考え込んでいて、やがて、

 「今晩よく考えます。明日朝また来ます」。と言って去って行きました。

 

 翌日、ミケが来るのかと思って、私はアトリエで書き物をしていましたが、その日はついぞミケは顔を出しませんでした。来ないと言うことは、飼い主に詫びて、家に入れてもらえたのかも知れません。一旦家に入ったなら、もう二度と外出はさせてもらえないでしょう。そうであるなら、この先ミケを見ることはないと思います。

 最近、野良猫の生活環境が厳しくなっていることを思うと、ここは飼い主に養ってもらう道を選ぶことが一番いいのでしょう。私は自分なりに、ミケの選択を正解と捉えて、納得していました。

 ところが、三日ほどしてまた朝にミケがやって来たのです。「先生いるの」。「あれ、ミケ、どうしたの?」。「どうしたのって、元の野良に戻ったのよ」。「なんで戻るんだ、飼い主のところにはいかなかったのかい」。「行くわけないでしょう。やっぱりね、あたしは自分の好きなように生きるのが性に合っているの」。

 「でも、この先どうやって生きて行くんだ」。「そんなのわからないよ。何とかなるわよきっと」。「お前、芸人だなぁ。後先のことも考えずに、何とかなるで生きて行くのか」。「そう、今までも何とかなったもん。だからこの先も何とかなるわよ」。「お前は強いね。私の家に来る、マジシャンになりたがっている若い奴に聞かせてやりたいね。一度講義をしてくれないか。『人生何とかなる』って言うタイトルで、話してやってくれよ」。「やめてよ。そんな、人に自慢できる生き方じゃないんだから。でもこうして生きるのが一番よ。あたしはほかに生きようがないんだもん」。

 外に座っているミケはいつになく神々しく見えました。

初音ミケ 完