手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

初音ミケ 10

初音ミケ 10

 

 朝、表で道具をスプレー塗装をしていると、そこへミケがやって来ました。

 「先生何してんの」。「あぁ、ミケか、マジックの道具に色を塗っているんだ」。「これ嫌い、臭いよ。あたしこの匂い嫌い」。「ははは、もう終わったから大丈夫だよ」。

 新聞紙の上に並んだ小道具が乾くのを待ちます。隣にミケが座っています。私とミケは外で新聞紙にしゃがんで世間話を始めました。

 「今日は、オクゲはいないの」。「いないの」。「いつも一緒なのにどうしたの?」。「それが、最近、あたし、高円寺猫同士会の理事に選ばれたの」。「猫同士会って、お前のおっ母さんが役員していた会か?」。「そう。でもねぇ、あたしは週に一度しか外出できないから、町内のパトロールもほとんどできないし、みんなのために動けないから無理だって言ったんだけども、こないだ、ロイクーをやっつけたときの噂とか、捨て猫を見つけたときの噂が広がって、仲間からどうしても役員をやってくれって言われたのよ。でも、私が役員になることはオクゲが大反対。正直困っちゃって」。「その捨て猫の話は聞いていないよ。どんな話なんだい?」。

「東公園のごみ捨て場に、紙袋に入った子猫が4匹捨てられていたのよ。あたしは仲間から聞いて、すぐに東公園に行ったんだけど、まだ生まれて五日目くらいの猫なの。か細い声で鳴いていて、紙袋は、ガムテープで蓋がしてあって、あのままだったら二、三日で子猫はみんな死んじゃうよ。あたしが紙袋を食い破って、子猫を出してやって、傍に小さな段ボール箱があったんで、そこに子猫を移したのよ。そして、親切そうな人が通るたびに「ニャー」って、声をかけて、育て親を探したの。そうしたら、夕方までに4匹全部引き取り手が見つかったのよ」。「ミケはいいことをしたねぇ」。「えぇ、でもそのお陰で役員になってくれって言われて、断り切れずに役員を引き受けたわ」。「いいじゃないか、お前のおっ母さんも役員だったんだから。親子二代で役員だ」。

 「それをオクゲは気に入らないのよ。あたし一匹であちこち動きまわるのが嫌なの」。「あぁ、そうか、オクゲはずっとお前と一緒にいたいんだろうからね」。「そうなのよ、で最近あたしが外出すると拗ねて一緒に歩かなくなったの」。「そうか、それで一匹で来ているのか、いろいろあるんだねぇ」。

 と話をしているところに、裏のアパートの鈴木美佐子さんが戻って来ました。ジーンズに白いシャツ、サンダル履きの軽装です。髪の毛は長くのばして、顔立ちは丸顔、ノーメイクですが奇麗な肌をしています。いつもは顔を合わせると軽く会釈する程度だったものが、この日は珍しく私に話しかけてきました。

 「どうも、裏の鈴木です」。「えぇ、時々ミケにエサをやっているのを見かけます」。「すみません。野良にエサをやってはいけないんでしょう。ついつい懐くものですから、餌をやってしまって。あら、ミケちゃん、最近見ないけどどうしていたの?」。言われてミケは「ニャー」と挨拶をしました。

 「ミケはこのところ、高円寺北にある猫好きの家に飼われていて、めったにここには来れないようですよ」。「あら、そうだったの。じゃぁ飼い猫になったのね。うまく就職が出来て良かったね。でも、ミケちゃんのお母さんも最近見ないけどどうしたのかしら」。「オヤミケは先月亡くなりました」。「まぁ、そうだったんですか。急に痩せて来て、毛が抜けるようになって心配していたんですが、死んだんですか」。「はい、娘のミケから聞きました」。「フフフ、先生は、猫の言葉がわかるんですか」。「はい、少しわかります」。「最近は黒い猫が良く来ますよ」。「それはロイクーと言って、ミケの宿敵です」。「いろいろな猫が遊びに来るんで楽しいんですが、私はそろそろ実家の山形に帰ろうかと思っています」。「おや、引っ越すんですか」。「はい。私はもう20年もこのアパートにいます。二十歳で東京に出て来て、ずっと事務の仕事をしてきました。会社は忙しくて毎日朝から晩まで働いていました」。「20年ですか」。「はい、あっという間でした。私は田舎育ちで初めの頃は訛りが抜けなくて、人と付き合うことが苦手でした。だから休みの日でも外に出ずに、ほとんどアパートで暮らしていました。そうするとなおさら訛りが直りません。唯一の友達は猫でした。随分ミケのお母さんやミケには慰めてもらいました。夜遅くに会社から帰って来て、濡れ縁で餌を食べる猫を見るのが心の癒しでした」。と言ってミケの背中を撫でます。「本当は飼ってやりたかったんですけど、一日中会社に通っていては面倒を見てやれませんからね」。

 「どうして山形に帰るんですか」、「田舎の両親が年を取って、戻って来てくれと言うんです。私もこのまま東京にいても結婚する気もないし、年取って行くばかりですから、故郷に帰ることにしました」。「そうだったんですか」。「今私は会社へは週に3日しか行っていないんです。コロナの影響で、在宅勤務が多いんです。どのみち前から会社はやめようと思っていたんです」。

 美佐子さんもしゃがみこんで、「実は、私は10年も前から、ネットで株式投資をしていまして、これが結構いい仕事になっているんです」。「へぇ、あなたが株式投資ですか」。「私は別段休みの日も出歩くこともなかったので、自然に預金が溜まります。それを銀行に入れておいても少しも増えませんから株を始めたんです。あの、・・・実は、私、家庭の主婦が株式投資をするためのハウトゥーをネットで指導しています」。「えぇっ、あなたが」、「はい。今では給料よりも株式投資の方が収入があります。お金も貯まったんで家を建てようかとも思ったんですが、独身なんで東京に家を持ってもしかたないし。そうなら会社を辞めて、山形に帰って、実家を改築して親の面倒を見ながら田舎でゆっくりネットをして暮らそうと考えたんです。ネットなら高円寺にいても山形にいても同じですから」。

 意外でした。裏のひと間のアパートで暮らしている、山形出身の美佐子さんは都会の成功とは無縁の人かと思っていました。それが株で稼いで、家まで建てようと言う出世ぶり。いや立派です。「でも、美佐子さんが引っ越したら、猫の面倒を見る人がいなくなりますねぇ」。「そうなんですよ。それでね、もしミケが希望するなら、一緒に山形に連れて行ってもいいんだけど、ミケはどうする?山形に行く?」

 話はいきなりミケの山形行きの話になりました。ミケはびっくりして私を見ています。

続く