手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

初音ミケ 13

初音ミケ 13

 

 あれから三週間、ミケが訪ねて来ることはありませんでした。たぶん、若ミケの就職先を探して忙しいんだろうと思っていました。すると今朝、尋ねて来ました。

 「先生、いるの」。「あぁ、ミケか、どうしたの久しぶりだねぇ」。「それがねぇ、あれから大変だったの。結局、若ミケの引き取り先が見つからなくて、仕方ないから、若ミケを猫同士会の集会所に預けて、あたしはひとまず高円寺北の洋子おばさんの家に帰ったの。そうしたら、洋子おばさんは私の体が汚れていることを怒って、すぐにシャワーをしてくれたのよ。

 まぁ、シャワーは外出した後は毎回のことなんだけど、でもこの時は、蚤がたくさんついていたらしくて、蚤を取るのに1時間もかかってさぁ、多分若ミケにたくさん蚤がたかっていたんでしょう。それから、週に一回の外泊がだめだと言うことになってしまって、今日まで外出させてくれなかったのよ。そんなの困るわよねぇ。

 猫同士会の集会所には、食べ物もないまま、若ミケを置き去りにしてきたし、本当なら翌日にでも、家を抜け出して、若ミケに何か食べさせてやらなけりゃいけないじゃないの。でも厳重警戒で出してもらえなかったのよ」。「それはお前が、あちこち飛び回って、いろいろな野良と付き合っているうちに、蚤をもらい過ぎたんだなぁ」。「そう、でも、蚤くらいなんてことないじゃない」。「いや、ある、高円寺北のお宅は、お前から聞いた話では相当綺麗好きだから、お前が蚤を連れて来るのは嫌なんだろう。それで、今日は三週間ぶりに外出が許されたのか」。

 ミケは丁寧に身づくろいをしながら、「えぇ、外出が許されたんじゃなくて、洋子さんが外に出ようとしたのをすり抜けて出て来ちゃったの」。「大丈夫か?。そんなことしたら、きっと飼い主は機嫌が悪いぞ」。「多分ね。でもすり抜けてきたのが昨日の話。それからすぐに猫同士会の集会所まで行ったの。そしたら、若ミケがいたの。若ミケは私に置いて行かれて、三週間もほったらかしにされたんで、寂しかったらしいわ。なんせ横山さんの納屋は人気(ひとけ)が無いから、夜は真っ暗よ。食べ物もなく真っ暗な中にいたら誰でも寂しいわ。幸いなことに、仲間が通りの小料理屋から残飯を貰って来て、餌を持ち寄ってくれたお陰で、無事に生きていたのよ」。

 「それは良かったなぁ」。「でも、どうも、若ミケは元気がないの、病気みたいよ。野良が長かったから、餌も食べたり食べられなかったりで、すっかり体を悪くしているわ。一緒に歩いていてもフラフラしているもの」。「そうだねぇ、私が見ていても元気なさそうだったものなぁ。それで、この先どうするんだ」。

 「あんだけ汚れてしまうと、飼ってくれる人もなかなか出てこないと思うから、しばらく野良をするしかないと思うんだけど、今いる集会所も、余り連日猫が出入りして騒々しいと、横山さんのお爺さんが、納屋を閉めてしまうかもしれないから、早々に出て行かなければいけないし。どうしていいか困っているの」。

 仲間の猫のために苦労するミケを見て、私は、死んだ親ミケを思い出しました。親ミケも、仲間の喧嘩の仲裁をしたり、子猫を加えて、あちこちの家にもらってくれるよう頼んだり、随分苦労をしていました。結局、ミケは親と同じような生き方をしています。

 然し、心なしか、親ミケはそれなりに野良の生き方を全うできたのに、ミケはそれが出来なくなってきているように見えます。わずか数年の年月の差が少しずつ、野良の生活を難しくしています。昨日も、ミケは飼い主のすきを見て逃げ出して来たと言うけども、そんなことをして、今度はそのままうまく帰れるものかどうか。傍で見ていても心配になります。

 

 翌日、またミケがやって来ました。いつもの元気な「ニャー」の声がありません。「どうしたミケ、元気がないなぁ」。「若ミケが死んじゃったの」。「え、どうして」、「車にはねられて」。「何だ、跳ねられたのか。若ミケも薄幸な一生だったなぁ」。「昨日ここへ来た後、残飯を探して、魚の骨でも持って行ってやろうと、通りの小料理屋に寄ったのよ。そしてうまい具合に骨を見つけたんで、持って行こうとしたら、向こう側の道から若ミケが出て来たの。若ミケはあたしに気付いて走って来ようとしたの。でも、足がフラついているから上手く走れなくて、大通りをよたよたして出て来た途端、乗用車に跳ねられたの」。「そりゃ大変だ」。

 「即死よ。体はぺったんこだったわ。寄って行ったら、もう息もしていなかったわ、あたしは悲しくて、若ミケの頭を舐めてやったの。体は汚れ放題で、蚤がたかっていたけども、せめて死んだ時くらいは奇麗にしてやろうと思って、顔を舐めてやったのよ。そうしたら、小料理屋さんの親父さんが塵取りと箒を持ってきて、若ミケを道路から剥がしてくれて、あたしに、『もう、お前の子供は帰らないんだよ』。と教えてくれたの。

 親父さんは若ミケをあたしの子供だと思ったみたい。この時あたしは涙が止まらなくなったわ。親父さんは、若ミケを紙袋に入れてくれて、袋の口をガムテープで止めてくれて、ごみの収集場所に持って行ったわ。あたしは、ゴミ捨て場にずっと座って、涙を流していたわ。親父さんはあたしを見て、『可哀そうになぁ』、と言って、あたしの頭や背中を撫でてくれたわ。そのうちごみの車がほかのごみと一緒に、若ミケを集めて車は走って行ったの、あたしは悲しくて、ごみの車を追いかけたわ。ごみの車が環七通りを曲がって行ったときに、他の車が多すぎて追い掛けるのを諦めたけど。その後も、環七通りの角に立ってずっと泣いていたわ」。

 「そんなことがあったんだ、昨日はさんざんだったね」。「仕方ないわ、野良猫の命何て粗末なものよ。今日餌にありつけたって、明日はどうなるかわからないもの」。

 だいぶミケは落ち込んでいた。ところがその後、夜になってミケはまたやって来たのです。

続く