手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

初音ミケ現る

初音ミケ現る

 

 今朝(10日)、久々ミケがアトリエのドアの前に現れました。隣のお婆さんの家を解体して早や1年。空き地になってから見通しが良くなり過ぎたのか、ミケが寄り付かなくなりました。猫は曲がりくねった路地裏が好きなようです。

 お婆さんの家から路地を入って、私の家の裏のアパートまでのあたりがミケのテリトリーだったのです。それが家の工事と共にすっかり姿を消してしまいました。

 「今頃、どこで暮らしているんだろう」。と思っていたら、隣の建売住宅がそろそろ完成すると言うときになってやって来ました。隣は元々一軒家だったものが、建売住宅になって、3階建ての家、二軒になりました。随分狭い家になりましたが、高円寺に家を持つとなると、この家でも相当に高い値段になるでしょうから、二軒に分けて販売するのはやむを得ないでしょう。

 家が建て込んで来て、ようやく猫の隠れるスペースが出来たようで、ミケが訪ねて来ました。私はドアの前にミケが来ていることを知らずに、うっかり勢いよくドアを開けてしまいました。ミケは驚いて飛びのき、家の横の路地に隠れました。後姿を見て、

 「あぁ、ミケだ」。と気付きました。冬になったため、ドアの下の空気取口を開けていなかったので、そこに猫がいることに気付きませんでした。「ミケが戻って来たんだ」。と思い、路地に回ると、いました。ミケは一年見ませんでしたが、体格もよく、健康そうでした。

 「どうしたミケ、久しぶりだねぇ」。「先生、いきなりドアをあけるからびっくりしたわ」。「気づかなかったんだ、長いこと来なかったからね。どうしているの、誰かに飼われたのかい?、それとも野良を続けているのかい?」。

 「えへへ、それがね、今は若トラと一緒に暮らしているの」。「何だ若トラって、オクゲとは別れたのかい?」。「分かれたってわけじゃないけど、オクゲはあれ以来外に出してもらえなくなって、ずっと部屋の中で暮らしているの。毎日サッシの向うで外を見ているだけなのよ。訪ねて行っても、ガラス越しじゃぁつまらないから、もう行かなくなったの。そうしたら、あたしより五つも若いトラ猫があたしに懐いて来たのよ。

 「ふうん、トラ猫かぁ、そいつも野良なのかい?」。「まぁ、野良と言えば野良なんだけど、一応養ってくれる家はあるのよ。そこの家は増田さんって言うおばさんで、ここからそう離れていないところに一人で暮らしているの。このおばさんが一人暮らしで、猫が好きなんだけど、昼は仕事に行って留守だから、猫を飼えないので、家の外に猫ハウスを作ってくれていて、若トラはそこで買われているのよ。勿論毎日ご飯も用意されているのよ。若トラは外で暮らしていてね、部屋にはお風呂の時しか入れてもらえないそうなんだけど、週に一回はお風呂があって、野良としてはとてもきれいに暮らしているのよ。しかも背は高い顔立ちもいいし、そんな若トラが寄って来たものだからあたしもついついその気になって、猫ハウスで暮らすようになったのよ」。

 「へーぇ、上手い具合だねぇ。それでおばさんはおまえを受け入れてくれたのかい?」。「へへへ、ラッキーだったわ。あたしの首輪に避妊治療済みの札が付いていたのを見て、おばさんは安心して、それなら育ててもいい、と言うことになったのよ。あたしは前の飼い主があたしに無断で避妊治療をした時には、恨みを感じていたけど、今になって思えばよかったと思うわ」。

 「あぁ、そういえば子供が産めなくなっていたって言っていたよなぁ」。「そうなのよ。でも今は、若い相手と暮らせて、家があって、週に一回お風呂に入れて、毎日パトロールが出来る身分になったわけ」。

 確かにミケを見ると、野良にしては小ぎれいにしています。毛並みはいいし、よく太っています。いい就職先を見つけたわけです。「よかったねぇ、お前は幸運な生き方をしているよ。ところでその若トラはどうしているんだい」。「家にいるわ、今日はあたしも、ここへ来るつもりはなかったんだけど、久しぶりにこの辺りがどうなっているか、偵察に来たのよ」。

 「隣の家が出来たらまたここいらを縄張りにするのかい?」。「少し迷っているの。もうあたしを面倒見てくれる裏のお姉さんもいなくなったし、隣の建売住宅は、どこを見ても外から入り込めるサッシもないし、この辺りじゃぁ、あたしを可愛がってくれる人もいないでしょう。だから縄張りを諦めようかと思って」。

 「でも、アパートの屋根の上は日当たりもいいし、日向ぼっこには最適だぞ。若トラと一緒に日光浴をしたらどうだ」。「そうなのよ。それは楽しみだけど。もうしばらくして、隣の家の住人が引っ越してくるようになってから考えようかのと思ったの。ところで、先生のお弟子さんはどうしたの?」。

 「あぁ、大成か、あれは9月に卒業して、もう一人で活動しているよ。ここへは月に数回しか来ないよ」。「あら、そうなんだ。誰もいないと寂しいわね」。「いや、そうでもない。もう私は弟子を育てることは出来ないよ。これからは家族3人で暮らして行くよ。それでも、まだマジックの稽古を受けに来る人が結構いるから、寂しいことはないよ」。

「マジックって難しいの?」。「猫に技量を聞かれてもどう答えていいかわからないけど、簡単ではないよ。まぁ、みんなが習いに来るくらいだから、矢張りいろいろな約束事や、知っておかなければならない技術があって、それらが分からないと巧く演じることは出来ないね」。「あたしのも出来るかしら」。「えーっ、ミケがかい?。うーん、お前の手の形を見ると、マジックをするにはかなり無理があると思うよ。そもそもお前は手のひらでものを掴めないだろう。右手で握って左手に渡せるかい?。どう考えても無理だなぁ。もしお前がマジックを覚えたなら、それはあちこちに宣伝して、売り込んであげたいね、とっても話題になって、きっといい稼ぎが出来ると思うよ。でもねぇ、矢張り猫には限界があるなぁ。あらゆる点で向いていないと思う」。「つまらないわ、何か猫仲間の中でもレベルを超えたものが出来たら面白いのに、やる前から駄目と言われたら立つ瀬がないわ」。

 「悪く思わないでよ。猫でなくても、人間でも、駄目な人はいるんだ。むしろ人間の方が、思い込みが深くて、自分がマジックに不向きな人間だとは思えない人が多いんだよ。絶対に自分なら生きて行けると信じて、マジシャンになって、やってみると食べて行けなくて、とことん苦労して、後悔して残りの人生を送る人もいるんだ。それから思えば、お前のようにはっきりと無理だとわかるものは幸せだよ。ちょっとできる、ちょっと褒められる、と言うくらい生きる道を誤らせるものはないんだよ」。

続く