手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

初音ミケ 12

初音ミケ 12

 

 毎週日曜日朝9時30分になるとミケがやって来ます。一階のアトリエのドアの前に座って一声「二ャァ」と鳴きます。「先生居るの」。と言う挨拶です。私がドアの下についている換気用の窓を開けて、対面します。私が「最近めちゃくちゃ暑いけどどうしているの」。と尋ねると、

「熱いのは平気、なるべく日陰を歩いているの。出歩くのは午前中か、夜だけよ」。「屋根の上の昼寝もしなくなったね」。「熱すぎて、トタン屋根の上にはいられないよ」。「この間、ロイクーが来て、新しく入ってきた裏の学生から餌をもらっていたぞ」。「そうなのよ。先を越されて縄張りを取られそうになったから、すぐさまその日の夜に出かけて顔合わせしたの。そうしたらキャットフードにミルクを入れて出してくれたわ」。「何とか顔つなぎが出来たんだね。あの人はね、山崎あやかさんって言ってね、大学に入ったばかりだよ」。

 「あたしが縁側で出されたキャットフードを食べていると、ここらはたくさん猫がいるのね。なんて言っていたわ、あたしの毛並みがいいのを気に入ったのか、仕切りと背中を撫でて来たわ。この猫はきっとどこかの飼い猫に違いないって言っていた」。「そりゃロイクーなんかと比べたら、ずっと綺麗にしているからな。でも週に一度しか出歩けないんじゃ、裏の縄張りもロイクーに取られちゃうね」。

 「そうなの、そこで何とかしなけりゃいけないと思っていたら、あたしの従兄弟(いとこ)が最近高円寺に戻って来たのよ。従兄弟は蚕紙の森公園(さんしのもりこうえん)の近くのアパートに住んでいた学生さんに飼われていたんだけど、学生さんが3月に引っ越しちゃったのよ。それでしばらくうろうろしていて、食事も食べたり食べなかったりですっかり痩せちゃって、生まれてまだ一年なんだけど体も細いし、気の毒だから何とかしてあげようと思って、今晩裏のお嬢さんのところに連れて行こうと思うの」。

 「随分あれこれ面倒を見るんだなぁ。まぁ、お前の親戚なら何とかしたいところだよな。毛並みはお前と同じミケなのかい?」。「そう。よく似ているわ、一緒に歩いているとまるで親子みたいよ。今裏のアパートの玄関にいるわ」。

 ドアを開けて裏のアパートを覗くと、ミケをそっくりの一回り小さくした猫がこっちを向いて座っています。「本当だ、よく似ている。昔のミケそっくりだね。若ミケだなぁ」。「でしょう。あたしも親子のような気がして何かと気にかけているのよ。あたしは、今の家に入るときに避妊手術をしているから、もう子供が出来ないからね。こうして親戚を育てていかないといけないの」。

 「その子の親はどうしたの?」。「捕獲員につかまって連れていかれたそうよ。この子一匹だけが捕まらずに残ったの」。「野良にとっては生きにくい時代になったねぇ。東公園も一時、7匹くらい野良が住んでいたけど、今はロイクーとロイシーと、トラの三匹だけだものな」。「ロイシーとトラは首輪をつけているから捕まらないわ。ロイクーはこのままだと危ないわ。まぁ、ロイクーのことはどうでもいいけど。とにかく、夜にもう一度若ミケを連れて来るわ」。そう言ってミケは去って行きました。

 その日私は、マジックの指導が夜まで続き、8時になって上に上がって食事を始めました。すると、裏のアパートからミケの声がします。可愛い声をして鳴いています。「あぁ、きっと若ミケの就職先を紹介してやっているんだなぁ」と思っていましたが、いつまでたっても鳴き止みません。「おや、どうしたのか」。と思って三階の窓から下のアパートを覗くと、いきなりサッシが開いて、若い男が出て来て「うるさい」と言ってポリバケツで水を掛けました。

 「おやおや、この人は誰だろう」。この間家族が来た時の、お兄さんではないし、詳しいことはわかりません。もっとも、詮索しても意味のないことです。然し、ミケにとってはショックでしょう。何とか養ってもらおうと、若ミケを連れて来たのに、水を掛けられて追い出されたんですから。

 

 翌朝、ミケが再度やって来ました。ミケが二日連続で来ることは珍しいことです。「昨日は気の毒だったねぇ」。「ほんと、男が出て来た時はびっくりしたわ。部屋の中で何やらくすくす笑っていたからおかしいな、とは思ったのよ。そうしたらあやかさんがいきなりサッシを開けて、そこに男が立っていて、男はポリバケツに水を入れたものを持っていて、あたしにいきなりかけたの。あたしと若ミケはすっかり濡れてしまったわ。ショックだったわ」。

 「もう裏の家に世話になるのは無理かなぁ」。「多分ね。あの男は、あやかさんの彼氏よ。あやかさんは、一人で住むようになってすぐ男を入れたのよ。あやかさんがあたしの声に気付いて、餌をやろうとしたときに、そんなことをしたら駄目だと男が止めたのよ。そして水を撒いてやる。と言ってあやかさんをそそのかしていきなり水をかけたの、そのあと二人は大喜びで笑っていたわ。結局、あやかさんも男に染まってしまったのよ。もう男が出来たら、猫なんてどうでもいいのよ」。私は一息ため息をついて、「この先どうする」。

 「昨日の夜中から、あちこちの仲間に声を掛けて歩いたけど、どこも飼ってはくれそうになかったの。あたしは今日の夕方には家に帰らなければならないから、その時に一緒に若ミケを連れて行ってみる。でもあの家でもきっと飼ってはくれないと思うわ。なんせオクゲと私の二匹が飼われているんだから。まぁ、駄目だったら一時横山さんの、猫同士会の集会所に匿(かくま)って、それから来週にまた就職先を探すわ。これから先ず猫同士会の集会所に行って来る」。

 そう言ってミケは去って行きました。後姿を見ると、体格のいいミケの後ろを、痩せた若ミケがとぼとぼとくっついて行きます。ミケと若ミケを見ていると、猫にも運の強い猫と弱い猫があることが分かります。ミケは元々強くたくましく生きて来て、今の立場を掴んでいます。然し、今にして思えば、どうもこのころからミケの一生がうまく回って行かなくなって行ったように思います。持ち前のバイタリティを持って強く生きて行ってくれたらいいのですが。

続く