手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

アゴラカフェ満席

アゴラカフェ満席

 三日前(4日)、日本橋アゴラカフェで私の一門の公演がありました。ここは毎月一回マジックショウが催されていて、1月はザッキーさんが主宰となって、峯村健二さん、大成との公演がありました。その際も満席の状況でした。来月は日向大祐さんが主宰で演劇とマジックのコラボを致します。この会も毎回満席になります。何とか東京で、マジックショウが定着して、いろいろなマジシャンが常に見られるといいですね。

 さて私の会はどうかと見ると、満員御礼でした。40席埋まりました。かれこれ10か月アゴラで公演して来ましたが、以前に一度だけ貸し切りで45席売れた時がありました。それ以来二度目の満席です。

 この3年間、コロナ禍で多くの公演は逆風の嵐の中で開催して来ました。人を集めてはいけない。人と接してはいけない。観客を一人置きに座らせなければならない。見送りをしてはいけない。お客様を舞台に上げてはいけない。規制ばかりで、タレントの生活など、全く考慮されなかったのです。

 「えらい時代に遭遇してしまったなぁ」。とつくづく思いました。これでは芸能芸術にかかわる人たちは、みんな干乾しになってしまいます。

 

 それが今年、正月を迎えてからは随分様子が変わって来ました。何か明るい方向が見えて来ました。今回のアゴラの満席もいい兆候です。今回は、地方都市から来て下さるお客様が増えました。有難いですねぇ。

 12時30分から、先ず大成が出て、袋卵と紙片の曲。その後、金輪の曲。両方演じると15分になります。卒なくこなしています。次に、穂積みゆきが出て来て陰陽水火の術、真田紐の焼き継ぎです。今回が初出しです。愛想のいいのが取り得です。でもまだ安定していません。行く行く、良くなって行くでしょう。

 10分休憩の後、私の出番。ギヤマン蒸籠、二つ引き出しの一連の傘出し手順。喋りはサムタイと植瓜術(しょっかじつ)お終いは蝶のたはむれ。この数年、お客様から私の演技がすっかり肩の力が抜けて、さりげなく、柔らかくなったとよく言われるようになりました。今回もお客様から随分同じことを言われました。

 

 昔、アダチ龍光先生に、「どうしたらそんなふうに面白くなれるんですか?」。と尋ねたら、「諦めることだ」。と言われました。「何を諦めるんですか」。「売れることも、金を稼ぐことも、女にもてることも、全部だ」。と言われました。欲多き20歳の若者に全てを諦めろと言われても無理です。納得がいかないまま何十年も経ちました。

 それがこのところ、諦めの境地が理解出来るようになりました。分かって見れば「あぁ、こういうことか」。と納得が行きます。そもそも和の芸は気負わずに、さらりと演じるのがいいのです。何でもないことですがそれが分かるのに50年以上もかかりました。

 特に難しいのは傘出しで、手妻師は見得を切るとどうしてもいい男であることを強調したくなりますが、手妻に関しては自分を強調しようとするのは間違いだと知りました。飽くまで自分の作り上げた絵柄の中の景色の一つになることが大切です。

 蝶も同様で、無心に飛ぶ蝶の脇にいる手妻師は、手妻師ではなくて、絵柄の中に一つの景色なのです。たったそれだけのことが分かるのに50年。それでも分かると、お客様の反応が180度違って来ます。まぁ、いろいろなことを思いつつ、演じて来ましたが、このところ納得の行く舞台が出来る日が増えて来ました。

 それに連れてか、妙に私のファンが増えてきたように思います。浅草公会堂しかり、アゴラカフェしかりです。この先、再度私の活躍の場が広がって来るのでしょうか。あながち己惚れでもない気がします。

 

 来ていたお客様の中で、親子連れのAさんがいらしていて、この人は以前に、慶応大学の英文科の学生だった頃お会いしています。SAMのコンベンションで通訳をしてもらった記憶があります。その時、Aさんは、「まだ小学生の頃、生まれ故郷の宇部山口県)の市民会館で藤山さんを見た記憶がある」。と言っていました。

 確かに私は30年前に宇部で公演しました。そのときAさんは9歳だったそうです。その後30年を経て、アゴラカフェでお会いしたわけです。今回は奥様と、9歳のお子様を同伴されています。

 思えば、30年経って一巡りしたわけです。私はそのことを舞台で話しました。そして子供さんに向かって、「だから、あなたも30年経ったら子供さんを連れてまた私の舞台を見に来て下さい」。と言って、はたと気付きました。「そうだ、もうその頃私はいないんだ」と。

 でも、お客様が親から子に受け継がれて行くのは嬉しいことです。一つことを長く続ければこそ、未知なる人とお会いできるのです。

 

 終演後、別の慶応大の卒業生で、1月に赤羽会館で和妻を演じた松野さんが来ていたので客席で話をしました。この人は、いわゆる学生和妻のような、ひたすら傘を出す演技をしません。自分なりに工夫して、煙管と煙、それに小さなセンスを使って演技を組み立てていました。私は、「あぁ、ようやくこうした手妻を演じる人が出て来たんだなぁ」。と思い、すぐさま6月のマジックマイスターに出演をお願いしました。

 アゴラでしばらく話をすると、相当にマジックが好きなようです。ただ、手妻を生で見るのは初めての体験のようで、随分今まで考えていた和妻とは違った印象を受けたようです。私とすれば、こうした頭が良くて、マジックに熱心な人がもっともっと仲間となって増えてくれることを望みます。こうした人達がいないと、マジックセッションも、私の公演も、アゴラカフェも、天一祭も、この先大きく発展して行かないのです。

 私は東京にマジックの専門劇場が欲しいのです。更に、日本中で、年間30か所か40か所、市民会館でマジックと手妻で観客を満席にするような催しをして行きたいと思っています。そんな活動が出たなら、マジシャンは黙っていても年間30本もの市民会館の舞台を手に入れることが出来るのです。市民会館の公演とは、即ち自分の看板でお客様を呼ぶ活動のことです。会社のパーティーに出たり、誰かの公演にゲストで出ているだけではマジックのお客様は増えないのです。純粋にマジックを見たいと言うお客様をマジシャンが作って行かなければ、マジシャンは大きくなれないのです。そうした時代を私が生きている間に作り上げたいのです。

 それには、有能なマジシャンも、熱心なお客様も、優秀なマネージャーも必要です。そうした人がたくさんいなければ、マジックショウは成り立ちません。一人でも多くの仲間が必要なのです。もっともっとたくさんの支援者が欲しいのです。アゴラカフェはそうした支持者を増やして行く場なのです。

続く