手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

火鉢 石油ストーブ

火鉢 石油ストーブ

 

 私の家には、いまだに火鉢も石油ストーブもあります。以前私のところにマジックを習いに来ていた学生が、私が石油をストーブに注入しているのを珍しそうに見ていたので、「君の家では石油は使わないの?」、と質問すると、「石油はありません」。「だったらどうやって暖まるの?」と聞くと、「ヒーターです」。と言います。つまり電気なのです。

 電気の暖房はとても費用が掛かります。現代の家は、間仕切りをなるべく少なくして、広い部屋でヒーター最大にして温度を上げようとしますが、これを毎日電気でやっていたら、たちまち電気代が数万円かかります。お金のある家はいいかもしれませんが、最近の電気ガス代の高騰はみんなの生活を圧迫します。

 それでも日本の太平洋側に住んでいる人たちは、なかなか気温が零下になることは少ないので、暖房費もまだ抑えが効きますが、欧州と同じく、マイナス10度20度になるような地域に住んでいる人たちが、マイナス20度から、生活しやすい摂氏20度程度に上げようとすると、その差40度。これを電気で温めると、とんでもない費用がかかります。

 

 私の家は、親子3人が暮らしていて、女房は大概二階か三階の居間で暮らし、娘は会社に勤めていて、ほとんど留守をしています。私は日中は一階のアトリエか、二階の事務所でデスクワークをしています。家族が一つの部屋に集中することが少ないので、各階には石油ストーブがあります。各自がストーブに当たるためだけの手ごろなものです。電気はほとんど使用しません。

 石油は火力が強く、すぐに部屋が暖まりますので、暖房には最適です。良く、「化石燃料を使うのは地球温暖化のためによくない」。と言う人がいますが、だからと言って電気を使うのは何の解決にもなっていません。なぜなら、各家庭で石油を燃やしていなくても、発電所でガンガン石油、石炭を燃やしています。温暖化対策にはなっていないのです。結果は同じです。むしろ、始末に悪いことは、発電所で起こした電気が、各家庭に届くまでの間に、20%なり30%の電力が放電されてしまいますので、単純に考えても、電気は無駄が多いのです。

 それは、EVの自動車にも言えます。EV自動車は、自分自身では石油を燃やしませんから、排ガスは出ませんが、先ず電気そのものが石油を燃やして作っていますし、車に電気を注入する時点で電気はかなりのロスをしています。更に、充電した電気をバッテリーに入れておくと、使用していなくても電気は放電され続けていますので、電気は必要以上に無駄をすることになります。

 欧州各国が、なぜガソリン車を廃して、EV車にしようとしているのか、首をかしげてしまいますが、車にとっても、地球エネルギーにとってもEV車はいいことはありません。世界は明らかに間違った方向に進んでいます。

 

 二階には古い箱火鉢もあります。これは応接間に置いてあります。人が来るときには、炭に火をつけて、上に鉄瓶を乗せて置きます。お客様が来ると、鉄瓶の沸いたお湯でお茶を出します。風情はありますが残念ながら、この火鉢で暖を取るのは至難です。

 せいぜい手あぶり程度の温かさしかないのです。昔、この火鉢だけで、他に暖房設備がなかった時代はさぞや寒かったでしょう。昔の人は、家の中にいる時は、掻い巻きと言う、分厚い綿の入った着物を着て生活をしていました。掛布団に袖を漬けたような代物です。更に、着物もひたすら重ね着をしてました。今着物を着る人で、着物の下にもう一枚袷の着物を着る人はほとんどいませんが、昔の浮世絵などを見ると、着物の重ね着は日常だったことが分かります。

 但し、着物を重ね着すると、体の動きが制約されます。これでさらに掻い巻きを着て、火鉢を使い、炬燵に入っていると、人は全く動くことをしなくなります。私が子供のころ、年寄りの部屋に入ると、狭い部屋に炬燵を入れて、年寄りが掻い巻きを着て、手元に火鉢を寄せて、じっとして動かず、静かに鉄瓶の蒸気の音だけ聞いている姿がなんと退屈な生き方だろうと思いました。

 「年寄りと言うのはこういう生活の仕方をするんだなぁ」。と思って見ていましたが、その年寄りが、今になって考えると、せいぜい50代の末か、60歳くらいでした。今の私よりもずっと若かったのです。

 応接間の火鉢は時々炭を点けますが、炭の不完全燃焼があって、目に染みる時があり、家族には評判が悪いのです。それでも時々使うのは、部屋に直火があると、生活にゆとりを感じます。炭を足して、じっと火を見ていると、体は余り暖まらなくても、気持ちが暖かい気分になります。昔は、暖かくなくても、火を見ることで暖を取っていたんだなと知りました。

 

 世間は、原子力発電を嫌い、どんどん発電所を閉鎖していますが、さて、この先、ロシアとウクライナの戦いが長引いて、ロシアが石油もガスも売らないと言ったなら、どうするのでしょう。これほど電気が普及してしまった時代に、電気が時間制限がされるようになったり、大きな会社や、デパートで、室温調整がされるようになったら、みんな生活して行けるのでしょうか。

 街のネオンは10時に消せ、テレビは10時以降見られなくしろ。かつてそういう時代がありましたが、再度繰り返しますか。

 各家庭で停電が頻発したならどうなるのでしょう。恐らくみんな掌を返したように、「原発もいいじゃないか」。と言い出すのでしょう。「危険だ、あんなものを使ってはいけない」。と言っておきながら、寒いとなると、変節して、原発のお世話になる時代が来るのでしょう。そうなら始めから原子力を邪険しなさんな。

 何でも電気にばかり頼るのはおよしなさい。火鉢も使いなさい、石油ストーブ結構です。コークスのストーブだって復活させたらいいのです。私が小学生のころは、日直が、朝一番にバケツを持って、学校の隅にあるコークス置き場からコークスを持ってきて、ストーブにくべて火をつけるのが始業でした。昼には、給食のパンを焼いて、みんなで食べました。あれを復活させたらいいのです。まだ日本には掘れば石炭の取れる地域はたくさんあります。

 掻い巻きを探して来なさい。湯たんぽを使いなさい。火鉢と南部鉄瓶をお使いなさい。昔にしていたことは決して古臭い、無駄なことではありません。何か一つに依存して生活することくらい危ないことはありません。ウクライナの戦いは、この先の人々の生活を予言しています。少し昔の生活戻ったと思えば、何も不足はないのです。

続く