手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

絵に納まる 3

絵に納まる 3

 

 子供のころの記憶を辿って、美蝶の手順を思い出して行くと、「たくさんの傘を出すことが手妻ではない。一本の傘で世界を表現すること。その潔(いさぎよ)さが手妻なんだ」。と気付くようになりました。闇雲にものを出すマジックは、結局マジシャンの表現不足から、数に頼ってしまうのでしょう。出しては捨てるを繰り返す演技は、語るべきことを語っていないのでしょう。つまり、出す過程を見せ続けることを芸能と勘違いしているのです。手段と目的が入れ替わっているのです。

 手妻とな何か、それを考え続けて行くうちに、ようやく私は手妻の本質が見えて来ました。手妻は、不思議を全面に押し出して見せるのではなく、演技の中に、江戸の市井の人々の生きているさまを描き出す。それが手妻だと気付いたのです。

 私は10代のころから日本舞踊をやっていましたので、舞台で形を作ることは何とかできます。でも、厳密にいえば、舞踊の形と手妻の形は別物です。手妻で表現するものは、踊りではないのです。傘を出すたびに見得を切ってかっこを付けるのが手妻ではないのです。手妻の形は型と言うほどはっきりしたものではなく、ましてや踊るものでもありません。

 道端で出会った身なりのいい商人とか、雪の中を橋を歩いている一人の旗本とか、江戸の日常で見かけたであろう何気ない風景。その中で見せる人の仕草や、存在を抜き出して見せる。なんでもない絵柄こそ手妻の語る世界なのではないか、と思います。

 そんな何気ない景色を手妻師が再現することで、得も言われぬ日本の情景をお客様に印象付けられたら、それが手妻の目指す世界なのではないか。と考えたのです。但し、これは私の考えであって、私の師匠も、或いは一徳斎美蝶もそう演じたわけではありません。

 何を根拠にそう考えたのかと言えば、それは、昔の浮世絵や、手妻のビラ絵を見ていると、何気ない仕草で見得を切っていたり、傘を持って視線を外して静かに構えていたりしています。そんな絵柄を見ていると、自然自然に絵が動き出して、「多分江戸時代の手妻師はこんな情景をお客様に再現して見せようとして、手妻を演じていたんだろう」。と想像力を膨らませるようになったのです。

 こうした世界を作るために、傘でも扇子でも、シルクの帯でも、そこにちょっとした所作を付けてやる。そして今の人では絶対に見せないような表情を付けてやる。そうすることで、江戸の世界をタイムマシンで覗き見たような、不思議な情景を作り出します。それをお客様が体感する。これが手妻の趣向なのではないかと考えたのです。

 こうした考えは、西洋マジックのように、次から次とひたすら物を出して行くマジックとは真逆の世界です。語るべきは不思議ではなく、演じている人なのです。それは和でなければ表現できない世界なのです。

 

 二つ引き出し(夫婦引き出し)のハンドリングを根本から変えようと思った時に、引き出しを引き出しのまま演じたのではどこにも風情は生まれません。何とか濃厚な江戸の香りを醸し出したいと思いました。そこで煙管(きせる)を足して、煙管の所作を加えて見たら、江戸の風情が出て面白いのではないか、と考えたのです。それは40歳くらいの時です。

 手妻にはおよそ煙管を扱う動作はないのです。煙管に房紐を通して、紐を引くと、別の紐が縮まるという手妻はありますが、それは作品としての煙管です。煙管を小道具に使って、粋な世界を表現すると言う所作はありません。

 その煙管と古くからある引き出しを組み合わせると、引き出しが煙草盆のように見えます。その引き出しから赤玉、白玉が出て来て、それを煙管で掬い取って見せ、出たり消えたりしたら洒落ているだろうと考えました。

 但し、煙管の雁首に四つ玉サイズの玉は乗りません。雁首は小さなものです。やむなく銀細工師に頼んで、煙管の雁首に銀の盃を溶接してもらいました。これはなかなかうまく出来ました。

 直接手で玉を持たずに、箱の中にある玉を煙管で掬い取る所が自然で、洗練されています。一連のハンドリングを作って演じて見ると、もう何百年も前からこんな手順があったのではないか、と思うほど古めかしい演技になりました。

 こんな風にして、浮世絵の絵柄から型を探して行き、古い作品をアレンジして、新たな古典作品を作って行くうちに、私が目指している手妻は出来て来ました。

 

 作品を作り続けて行くうちに、金輪の曲や、瓜植術(しょっかじつ)、五色の砂。と言った、かつて物売りが大道で演じていた手妻なども演じるようになりました。それらは古い口上を探し出して、語りを聞かせることで昔の手妻が立体的に現れて来ます。

 瓜植等は、まるで1000年前の演技がそのまま再現されて、とんでもなく古いものを見ているような錯覚に陥ります。演じている私ですら、そんなに古い時代は知りません。それをあたかも奈良、平安時代からタイムスリップしたかのごとく語って聞かせるのは面白い世界です。 

 定番の、水芸や、蝶のようなストーリーや型が残っている作品まで加えると、百近いレパートリーが出来ました。それらは演じ方も違いますし、表現する世界も違いますが、共通して言えることは、それぞれの世界がまるで浮世絵のように、市性風俗を抜き出して見せていることです。

 それぞれの演技の一瞬一瞬を写真に撮って眺めると、そっくりそのまま浮世絵になるように、自然な型を表現しています。つまり、手妻と言うのは、不思議を次々に見せる世界ではなく、無論不思議ではありますが、それを不思議のままに終わらせず、そこに人を表現するのが手妻の本質なのです。

 そうした世界、私が作り上げた立体画像の中に、私が表情を決めて、その絵柄に納まることで手妻は完成します。手妻はライオンが出てくるわけでもありませんし、ヘリコプターが消えるわけでもありません。ただ私がそこにいると言うのが結末なのです。

 何のことはない世界ですが、そこに私がいて、巧く収まっていたら、手妻は完成なのです。

絵に納まる、終わり。