手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

踊り をどるなら 1

踊り をどるなら 1

 

 舞踊は18の時から稽古を続けています。先生もこれまで何人か変わりました。初めは、上板橋の呉服屋のお嬢さんで、藤間勘加寿(ふじまかんかす)先生と言う若い先生に習いました。十年ほど習って、先生が引っ越されたのでそのまま稽古は終わってしまいました。

 その後33歳くらいになってから、今の藤間章吾先生に習いに行くようになりました。この先生は本郷にお住いで、若手の中でも創作舞踊など、果敢に挑戦している実力派の先生で、毎年国立劇場で発表会をなさっています。45歳くらいまで章吾先生に習っていたのですが、娘が生まれて娘が小学校に入ると舞踊に通う様になり、杉並の永福町のお師匠さんで、藤間豊治先生のもとに通うようになりました。

 このお師匠さんは女性の先生で、初心者や子供を教えることが上手な先生です。何度も何度も同じことを繰り返し話して、根気よく教えて行くタイプです。同じ杉並区内ですが私の家からかなり離れていますので、幼い娘を車で連れて行かなければなりません。そうなら、私も一緒に豊治師匠に習うことの方が便利かと思い、習うことにしました。この時期の私の弟子は、晃太郎も、大樹もみんな豊治師匠に学んでいます。章吾先生には申し訳ありませんが、しばらく章吾先生から離れました。

 その後60歳になってから、また章吾先生のところに戻りました。今はずっと章吾先生のところに通い続けています。弟子の前田も同様に通っています。

 

 私のところでは、長唄、三味線(同じ師匠に習います。杵家七三先生)鳴り物(鼓、太鼓、梅屋巴先生)、日本舞踊、この三つは必須で勉強します。長唄の方は声質によりますので、向き不向きがありますが、それでも、発声の練習と思って通うと、舞台でよく声が通るようになります。声の出し方がわかると、舞台で小声でつぶやいてもきっちり客席の隅まで聞こえるようになります。手妻に限らず舞台人にとっては長唄は必須です。

 三味線は、演奏がうまくなることを目指すだけでなく、BGMが背景で鳴っているときに、よく聞こえるようになります。邦楽の方々と打ち合わせをするときに、曲目などがすぐに言えるようになります。きっかけを出す際も、どこで上げて(フェルマータ)、どこで絞める(コード)かを説明できます。今、手妻をされる人で、邦楽ときっちり打ち合わせができる人がいなくなってしまいました。これは手妻師の怠慢なのです。

 鳴り物は、耳に邦楽のリズム感をたたき込むのに役立ちます。三味線のリズムと太鼓、鼓のリズムは時としてかなり違います。太鼓、鼓は能から入って来たリズムが多用されますので、時々とんでもなく古いリズムが使われていたりします。

 そもそも能は、四拍子(しびょうし=鼓、小鼓、太鼓、笛の四つの楽器で拍子を刻みます)と、謡(うたい=合唱団、または語りの集団)によって構成されます。能の謡は、うたいとは言ってもほとんど語りにしか聞こえません。まるでお経のように聞こえます。現代の人が聞くと能の音楽は、リズム楽器と語りで構成されているように聞こえます。

 その能で作られた作品が、室町時代末期になって、南方から三味線が入って来て、三味線のメロディーと合体します。日本の音楽の大革命が始まります。折から歌舞伎舞踊が盛んになり、能から題材を取って、三味線を取り入れた音楽が作られて行きます。

 これが今日の歌舞伎舞踊であり、日本舞踊に発展します。この時、能の拍子はそのまま移されました。その上に三味線音楽が付加されます。然し、能の拍子と三味線音楽は似て非なるものです。それが不思議な融合をして結び付いています。

 ここの説明はちょっと文章で書くのは難しいことですが、クラシック音楽で、フォ-レが作曲したアヴェ・マリアと言う曲があります。この曲は、ハープシコードで伴奏されていますが、この伴奏は、バッハの平均律クラヴィアと言う曲をそのまま演奏しています。つまり、名曲の平均律クラヴィアからヒントを得て、後年、フォーレ平均律クラヴィアに勝手にメロディを乗せたものがアヴェ・マリアなのです。

 曲は緩やかに歌でアヴェマリアを唄いますが、その底辺で伴奏している曲はバッハの平均律クラヴィアなのです。コードが合っているので不自然さはありませんが、だからぴったり合っているかと言えばピッタリではありません。そもそもが別の曲なのです。伴奏はまったくアヴェ・マリアとは無関係に進行します。然し、不思議な一致をしています。フォーレの時代の人が聞いたなら、とんでもなく古い時代の曲を聞いているように感じたでしょう。フォーレの音楽センスの勝利です。

 日本舞踊の音楽はこれとよく似たところがあって、元々三味線のために作られたわけではない古いリズムが底辺に流れ続けています。そこに当時としては新しい、南国的なメロディーを持った三味線音楽が乗っかっているのです。時に三味線のメロディーが主体になって進行したり、鼓や太鼓のリズムが主導権を握ったりして曲は複雑に絡み合って行きます。この時に、踊りながらも聞き分けが出来て来ると、舞踊はうまくなります。

 

 とか何とか言っても私の舞踊はお粗末です。何十年やっても少しも上手くなりません。特に60歳を過ぎてから記憶力が悪くなり、度々舞台の上で手を忘れます。仕方なく創作をします。なまじ何とかごまかしてしまう知恵があるために、忘れても止まらずに踊ることが出来ます。ところが勝手に作って踊っているうちに、どんどん元に戻れなくなって行くと心の中は大慌てになります。

 そんなことを本舞台で繰り返しているのですから、うまくなるはずがありません。私の舞踊はお粗末です。

 私は決してうまい舞踊を踊ろうとは考えていません。そんなことよりも、わずかな仕草から古風な振りが自然に出て来ることの方が大切なのです。さりげなく袖を持つとか、傘をさして彼方を眺めた姿に独特な世界が出来てくれば手妻に役立つわけです。そんなことのために毎週踊りに通っています。明日はもう少し詳しく舞踊についてお話ししましょう。

続く