手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

3つのルーツ

 どうも私の文章は一度読むと私の毒気にあたり、それにもめげず読んでいると、その毒がマヒして来て中毒症状になり、だんだん快感を覚えて抜けられなくなるようです。

 私は毎朝6時半ころにパソコンを広げるのですが、そのころにはすでに20人近くの人が見に来ています。6時半では何も書かれていないのに、様子を見ているようです。午前中11時ころまでにはブログを書いて公開するのですが、公開したと同時に、お客様が50人近くに増えます。そしてあとは1時間に10人程度増えて行き、大体1日、150人から250人くらいが閲覧してくださいます。

 正直有難いことと思っています。せいぜい私の知っていることをいろいろお伝えしたいと思います。

 

 昨晩はボナ植木さん、マギー司郎さんと私の三人で食事をしながら一杯やりました。こんな楽しい会はほかにありません。気の置けない仲間と、ばかばかしい話をするのは最高に幸せです。マジックの種仕掛けの話はまったくありません。それでいいのです。50年弱の仲間は今も健在で、何か困ったことがあればすぐに駆け寄って助け合います。しかし普段は全く互いに干渉しあうことはありません。それがいいのです。それが男の付き合い方なのです。

 

 「そもそもプロマジシャンと言うものは」をお読みになった方はご存じと思いますが、マジックの世界には大きく分けて3つの民族が混在して活動しています。単にマジックが好きでマジックをしていると言う人でも、全く違うルーツからやってきて、かなり違った考えでマジックをしているのです。マジック愛好家とひとくくりに言っても、その心の奥は求めているものが違います。

 ここのところがわからないでマジック愛好家だからと、互いが話をすると、互いを傷つけあったり、罵倒し合ったり、信じられないくらい相手の人に無理解であったりします。それは最終目的が違うのですから致し方のないことです。

 長く「そもプロ」を愛してくださった読者の皆様には申し訳ありませんが、私の考えをしっかり理解していただくために、再度ここで3つのルーツのお話をします。

 マジシャンの3つのルーツと言うのは、1、不思議絶対型 2、技術崇拝型 3、エンターティナー型の3つのことです。マジックがまだ形がはっきりできていなかった、二千年、三千年前から、いろいろな人種が集まり、各々不思議とは何か、を提示して、不思議を形成してきました。結果、今日のマジックが生まれたのですが、そのマジックは一つの流れではありません。

 

1、不思議絶対型

 これはとにかく、誰にも解明できないような不思議を考案したり、実演したりすることに無上の喜びを感じる人たちです。クリエーター、とか、メンタルマジック、超能力、予言者、クロースアップにもいます。

 不思議が第一で、例えばステージの上での見た目などにはまったく気にしません。およそ芸能人とは程遠い人たちで、外見を見ると、風采が上がらない人であったり、小声でぼそぼそ話したり、演出や音楽など芸能に全く興味がありません。研究室に閉じこもって、一つのことを追い求めるようなタイプの人たちです。

 それが、超能力や宗教と結びつくと危険な方向に走ります。実際、欧米では長いことこの種の人たちの一部は宗教と結びついて、占いや、予言をする傍ら、当人の信じる、絶対の不思議を見せては活動の裏付けにしていた人がいました。その歴史はいまだに脈々と続いていて、超能力者を自称したり、宗教家のアドバイザーをしたり、自らが予言や占い師の道に進む人もいます。

 

2、技術崇拝型

 この人たちは、ジャグリングをルーツとする人たちから流れて来ています。1,2に共通することは、自分の力で不思議を作り出そうとします。1、の人は頭を使って不思議を想像し、2、の人は自ら技を磨くことで不思議を作り上げます。どちらも不思議に対して能動的です。彼らは自分の指先から魔法が生まれた時に無上の喜びを感じます。

 彼らは道具をあれこれ持ち込むことを嫌います。ほんのわずかな素材だけでマジックを構成しようと考えます。そのほうがよく技が見えるからです。たった一つのことを達成するために何年も技の稽古をし、それがさほどに不思議な現象ではなくても、一人満足して演じ続けます。ある種マゾ的要素の強い人たちと言えます。

 不思議でないことにも興味があると言うのは、たとえば、彼らはフラリッシュが大好きです。ボールを投げて、空中で指の間で挟むとか、ダイスをテーブルの上で、カップを使って縦に並べるとか、カードマジックをするときにワンハンドシャフルをして見たり、不思議とは何ら関係のないこともします。

 つまり、ジャグラーのルーツがそうさせるのでしょう。不思議を認めてもらうことは勿論うれしいのですが、それよりも、長い時間をかけて技術を習得したことをほめてもらうと最高に喜ぶ人たちです。

 極めて職人気質で、地味な人が多いのが特徴です。よくマジシャンは暗いと言われますが、それは1,2の人たちのことで、3の人種には当てはまりません。

 それでも1、とは違い、2の技術崇拝型はステージの人たちですから、日頃からおしゃれをしていますが、総体好みは地味です。黒を良く着ます。スライハンド、クロースアップ、に多い人たちです。無論、陽気な職人気質もいることはいます。

 

3、エンターティナー型

 この人たちは、長いショウの歴史の中で育った人たちです。マジシャンである以前に芸人なのです。言ってしまえば何でもありの人たちです。一つのマジックが不思議が弱いと感じると、踊りを足して派手にして見せたり、ギャグを言って笑いを足したり、とにかくお客様が喜ぶことなら何でもします。マジックにこだわらないのです。マジックも、ギャグも、受ければ同じ得点だと考えています。

 1、2、のマジシャンから見たら、エンターティナー型のマジシャンのすることは偽物にしか見えません。しかも、彼らが言うことはマジックから遠いことを平気で語ります。「マジックは音楽のカウントにきっちり合わせなければいけない」「演技が終わった後の表情ですべての評価が来まる」どれもマジックの本質からかけ離れたことを、まるでこれがマジックの本質だと言わんばかりに持論を語ります。

 よくサーストンの言葉として、「マジシャンとは、マジシャンを演じる俳優のことである」と言うセリフを持ち出して、それをマジシャンの本質のように語る人がありますが、これを明言だと言う人はエンターティナー型の人だけです。1,2、の人たちは、マジックを演じるのはあくまで自分自身であって、自分が役者になろうとは考えません。この辺の違いが人種の違いであって、マジシャンなら誰でも同じことを考えるに違いない、と思って仲間と話をすると、全く理解されないことが多々あるのです。

 派手な衣装、オーバーなジェスチュアー、それらは彼らが重視する「ショウアップ」という観点からはとても重要なことなのです。私も人のことは言えません。キンキンの着物を着て手妻をしているのですから。そうしたことが平気でできる人がエンターティナーなのです。マジックに対する考え方も大ざっぱな人が多く、売りネタを平気で舞台に掛けたりします。自作、他作にこだわらないのです。そして舞台が終わるとマジックの話を一切しなかったりします。自身のマジックは虚構だと、自他ともに公表してはばからない人たちです。彼らは自分に指先からマジックを生み出そうとはせず、あくまでマジックを演技と心得、客観的に眺めようとします。

 その結果、マジシャンとはどういうものなのか、を必死で考え、見た目のマジシャン像にこだわります。観客の好みを最も熟知しているのがエンターティナー型の人たちなのです。その結果、1,2,3、の三つのタイプのマジシャンを並べてみて、お客様から見て最もマジシャンらしい人は誰かと問えば、殆どのお客様はエンターティナー型を選びます。少しもマジックを能動的に捉えない、上っ面の効果ばかり求める芸人が、観客が見ると最もマジシャンらしく見えるのです。したがって、プロマジシャンの中で最も多い人種はエンターティナー型になります。

 

 この3つのタイプは厳格に区別されているわけではなく、個人差がありますし、また、二つのタイプにまたがった人もいます。私自身が心しなければならないことは、私が「マジシャンとはこうあるべきだ」などと書くと、全然それに当てはまらない人たちがいることです。つまり私自身がエンターティナーのものの見方でマジシャンを語ってしまっていて、自分の価値観でものを見ているのです。これは心しなければならないことです。

マジックの世界は思っている以上に広く深いと言うことをご理解ください。