手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

ノームニールセン一代記 その2

 さて、このころのニールセンさんは仲間のマジシャンと比べても、仕事にも恵まれず、まだ自身のマジックをどうしていいのかまったく当てもなかったようです。

 ある時、子供のおもちゃで、貯金箱に金属の板が数枚斜めについていて、上からお金を落とすとチリチリンと音がしながらお金が下に落ちて行く貯金箱を見つけます。初めは単に面白いと思って買い求めたのですが、これを大きくして、自分のコインの演技に使ったら、少ないお金でもたくさん出たように見えるし、音が観客に強く印象付けられて、現象を強調できるのではないかと考えました。

 早速道具作りを始めると、トムソーニがやってきて、「ただ手からお金を出すだけではなく、距離の離れたところからお金を放り投げる動作をすると、時間差でお金がチリチリンと落ちて行ったら面白い」とアドバイスをしてくれます。トムソーニと言う人はラジコンカーなどをこしらえるのが好きで、無線や、タイマーなどに詳しいのです。その彼の才能に助けてもらいながらアイディアを取り入れてコインのアクトを作り上げます。ニールセンさんにとっては、トムソーニさんは救いの神でした。彼はのちに大きな成功をニールセンさんに提供してくれます。

 コインのパートが完成すると、まるで鉄琴を立てかけたようなスタンドが完成します。それが目新しくて、見た目に斬新な舞台になりました。しかし、いまだ、コイン以外はカードと、四つ玉とゾンビボールと言った、マジシャンのお馴染みのアイテムを普通にこなすだけのマジシャンです。もっともっと個性あるマジックが必要です。

 

 コインの手順を作り上げると、従来のBGMでは不都合が生じます。つまり、当時のナイトクラブでは生バンドがジャズやラテンを演奏するのですが、バンドの音が大きいと、コインのチリチリンが聞こえないのです。そこで、コインが落ちるときにはバンドの音が止まらなければいけません。しかしいちいち音楽を止めていては流れを壊します。ところどころ音が止まればいいのですが、そんな都合のいい音楽はありませんから、一から作曲してもらうことになります。そうして、オリジナルの音楽を依頼しました。曲を止めるのではなく、コインのチリチリンと、生バンドの軽快な音楽がコラボする曲を作って、マジックを演じるようになります。

 このセンスは仕事先でも誉められるようになります。そこで、ニールセンさんは自分の音楽センスに気づきます。いっそ自身の手順を音楽をイメージしてまとめたなら面白い演技ができるのではないかと考えます。

 常々、ゾンビボールの素材を銀のボールから他のものに変えたいと考えていたのですが、音楽をテーマとしたマジックなら楽器がいいだろうと考え、トランペットや、サキソフォンなどを使ったらどうかと、いろいろ工夫しますが、これと言ったものがありません。やがてバイオリンに気付きます。古いバイオリンを改造して、どうにかゾンビの手順をバイオリンで演じることに成功します。

 するとそこにトムソーニがやってきて、「バイオリンなら弓を使って演奏するものだから弓をバイオリンに乗せて、弓を弾きながら音楽を演奏しているように見せて浮遊したほうが不思議だ」とアドバイスをしてくれます。確かにそれはいいアイディアです。しかしバイオリンの弓がひとりでに動くと言うアイデアを実現させるのは至難です。それをトムソーニが親身になって、メカの才能を生かして工夫してくれました。

 お陰で、布の上でバイオリンが浮遊するマジックが、弓が動いて音楽を奏でると言う、今までのゾンビの演技にはない世界が生まれます。するとニールセンさんは、途中で弓を外して、ピッチカート奏法を取り入れてはどうかと気づきます。これは全くマジックではありません。それまで流していたバイオリンの曲を途中からピッチカート奏法の曲に切り替えればよいだけのことです。しかしこれはとてもいいセンスです。

 なおかつ、演奏後に、バイオリンそのものを消してしまおうと言うアイディアを考え出し、バイオリンを消す装置まで工夫します。何年も苦労をした末に、コインとバイオリンの演技は完成します。その間に、オープニングに出て来て、フルートを演奏しようとすると、フルートが消えてしまう、と言う演技を加え、ようやく音楽でまとめた手順が完成します。これを師はミュージカルマジックと名付け、仕事先に売り込みます。

するとこれは斬新だと仕事があちこちからくるようになります。

 

 私の経験で申し上げるのも僭越ですが、芸能は、やっている内容が一言で表現できると売れます。どんなにうまいマジシャンでも、やっている内容をあれこれ説明しないと伝わらない人は売れません。島田晴夫の和傘とか、チャニングポロックのハト、ふじいあきらの口からトランプ、ナポレオンの頭回し。マギー審司の耳大きくなっちゃった、等々、一言で言えて、相手先がイメージできればその芸は売れるのです。その伝でいうなら、多くのクロースアップマジシャンの演技は、仮にうまいとしても、売り込むために多くの言葉を要します。これではなかなか高くは売れません。どこかに強いインパクトのある、一言で言えるアクトが必要です。

 

 ニールセンさんはようやく自身を売り出すための攻め口を手に入れます。しかし、仕事先からは、面白いんだが、今一歩、強いインパクトがないと言われます。バイオリンは受けはいいのですが、消えて終わってしまうと言うところが寂しいのです。もう少し何か華やかな終わり方が欲しいと言われたのです。

 そこでまた悩みます。悩んでいるところにトムソーニがやってきます。悩みを相談すると、「消えてしまって寂しいなら、カーテンコールで消えたバイオリンが出てきたらどうか」、と、とんでもないアイディアを言い出します。例によってラジコンカーのアイディアでバイオリンに車輪をつけて、バイオリンが立ったまま、すーっと出てきたらどうだ。と言うのです。更に、「どうせ出てきたのなら、バイオリンが頭を下げたらどうか」。と言います。「本当にそんなことができるのか」。と聞くと、「出来る」と言います。 

 それから頭を下げるバイオリンの製作にかかり、数か月してアイディアは完成します。これをステージに掛けると、がぜん観客反応が変わりました。あちこちで噂が広がり、仕事はひっきりなしに来るようになりました。

 そのうちテレビのジョニー カースンショウから出演依頼が来ます。あらゆるショウを紹介する番組として当時最強に視聴率を誇っていた番組です。無論出演は了解ですが、至急にロサンゼルスにまで行かなければなりません。師はボロのT型フォードに乗って、ニューヨークから三日かけてロサンゼルスに行き、出演のための打ち合わせをして、当日の出番を待ちます。

 ジョニーカースンショウは当時生番組でした。出番を待っていると、プロデューサーから、「前のゲストとのトークが伸びているから、2分演技を削ってくれないか」と言われます。テレビに出慣れていない師にすれば間際にそんなことを言われてもどうにもなりません。とにかくバンドと打ち合わせをして、カードの部分をカットすることを了承します。するとまた「まだ話が伸びているからもう1分カットしてくれ」。全くパニックです。オープニングのフルートをカットします。自分自身はリハーサルもせずにカットした演技をいきなりテレビで演じることになり、頭の中は真っ白です。これ以上カットすればもう出て演じるマジックはありません。一体どうなるのかと思っていると、出演時間がやってきます。そこでバイオリンの手順を演じます。

 このテレビ出演が大変な話題になり、以後あちこちの一流の舞台で引っ張りだこになりました。めでたしめでたし。

 

 私がなぜノームニールセンさんのマジックが好きかと言う話をお終いにいたしましょう。それは師の演技はマジックでない部分に細かく演技が入っていて、見事に不思議が演技に溶け込んでいるのです。マジックの不思議ばかりを押し付けるのではなくて、自然自然に自身が語りたい世界を作り出して見せて、そこに何げなく不思議が加味されてゆきます。「不思議」に押しつけがましさがありません。

 バイオリンの浮遊も、師は、決して浮いていることの不思議さを強調しません。切ないバイオリンの音が奏でられると、満たされない心の悲しみが伝わってきます。しかも、弓を外して、テーブルに置きに行く途中で、追いすがるようにして、ピッチカートが鳴り出します。テーブルのほうに顔を向けていた師がバイオリンを見て、「済んだ話をいくらしても仕方がないよ」と言ったような表所をすると、それに追いすがるように、綿々と女性が心の奥をピットカートで語るのです。

 こんな場面を見ていると、フランス映画によくある、愛し合っている男女が、会うと皮肉を言い合って、素直に愛を語れない関係、を見る思いがします。師はよくパリのムーランルージュに出演していたそうですが、もし私がムーランで、師のピッチカートを聞いたなら、切なくて涙が止まらなくなるかもしれません。

 こんな思いにさせるマジックはそうざらにはありません。つまり師の演技は職人技を超えて、芸術の域に入っているのです。芸術と言うものを小難しいもの、つまらないものととらえる人がありますが、それは間違いです。芸術とは心の告白であり、見たさま、感じたさまのものです。演者が心を素直にして語ったものを、観客が同じように気持ちを素直にして見たならどんな芸術も理解できます。

 私は長いこと、マジックは芸術になりうるかどうかを考えてきました。今まで私が見てきたマジシャンの中で、ほんの数人が芸術と感じる世界を備えていると感じました。その一人がノームニールセンさんです。私にとっては忘れ得ないマジシャンです。