手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

弟子を持つ

 昨晩は六本木のオズマンドに行きました。スペインのジャビ ベンテツさんと言うサロン、クロースアップマジシャンと、高橋匠さんを見ました。二人ともやっていることは技巧的でうまいと思いました。ジャビさんは古典の作品をうまくアレンジして、不思議な現象を作っています。ヒンズーヤンは見事です。高橋匠さんは最近よくテレビに出演しています。およそ芸能人とは程遠い雰囲気の人ですが、かなり仕事をこなしているらしく、見せる力がついてきたようです。

 

 今日は大型台風が来ると言うことで、すべての用事はキャンセルんになりました。おかげでじっくりブログが書けます。私は毎晩、深夜に文章を書きます。それを早朝見直して、ブログに載せます。大体朝8時ころに出しています。毎日ではありません。

 朝8時にブログを出して、30分もすると、50人くらいの読者から反応があります。これはありがたいことです。私の文章を待ってくれている人がいるんだなぁ、と実感します。ブログを始めて、全く新しい喜びを日々かみしめています。

 

 今日は、弟子についてお話ししましょう。

 かつてマジックの世界で徒弟制度は当たり前だったのですが、今は弟子を取る先生もいなくなり、また弟子希望の人も少なくなり、もっぱらマジックを覚える方法は、DVDを買うか、ネットで種明かしを見るか、メーカーから道具を買って覚えるか。結局、人から人に伝えるのではなく、種を物として金で取引をするようになってしまいました。これは日本だけのことではなく、世界的にそうなってしまいました。

マチュアが趣味でマジックをするならそうした習得法でもいいのですが、こうしたやりかたでマジックを覚えた人がプロになろうとすると問題です。

 彼らは自分のしていることを客観的に捉えていないのです。誰からも彼らの演技は指摘されたことがないし、自分のしていることで、何がよくて、何が悪いのかもわかっていないのです。観客が本当に求めている芸能とは何なのか、と言うことも考えずに、人を見るとカードを広げて、「一枚引いてください」と言います。マジシャンにとって、観客は、マジシャンが差し出すカードを受動的に引くロボットだと考えています。

 なぜこの場でカードを出さなければいけないのか、なぜ観客はカードを引かなければならないのか。その根本を自らが問わないまま、当然のようにカードを取り出し、相手が見たいとも、見たくないとも思わないうちから、自分の都合でカードマジックをはじめます。これはDVDでマジックを覚えた人の特徴です。人はカードを引くもの、そう思い込んでいるのです。そうして、いくつか見せ終わって、相手が種がわからなかったことを知ると、それでマジックが成功したと、自己満足をして、演技を終わります。

 これで、ショウは成り立っているとマジシャンは思い込んでいます。観客の気持ちで考えてみてください。本当にカードが当たることで観客の気持ちは晴れるのでしょうか。観客は幸せになれるのでしょうか。幸せなのは、わずかな稼ぎを手に入れたマジシャンだけではないのでしょうか。そんなことでマジックは今後も芸能として存在してゆけると考えているのでしょうか。

 

 話を戻して、このところスペインからいいマジシャンがたくさん出て来ています。彼らに共通して言えることは、ワン タマリッツなどの優れた先輩が、若いマジシャンを集めて、マジックの本質を度々語っていることです。時には集中合宿をしたり。時にはレッスンをしたり。マジックの種仕掛けでない部分をしっかり指導しています。それによって、種仕掛けを売り買いする今の風潮から、こぼれ落ちた考え方を補足しているのでしょう。ジャビさんの演技も、なかなか人柄が出ていて面白かったです。

 さらに高橋匠さんですが、彼は子供の頃にテレビで見たレナート グリーンに心を奪われ、その後、実際にスエーデンのレナート グリーンの自宅に押し掛けて行き、弟子入りを求めたのだそうです。何度も断られ、それでもあきらめずに通い詰め、ようやく家に入れてもらい、それから5年、寄宿させてもらい、授業料も取らず、家族のように面倒を見てもらい、マジックを教えてくれたそうです。クロースアップマジシャンとしては珍しい経歴ですが、彼の熱意は今開花しようとしています。何にしても彼が師匠を思う心の熱さが演技に出ていて、とてもいいマジックです。オズマンドにたびたび出演しているようですので、一度ご覧になってはいかがでしょう。

 

 徒弟制度について語るときに、覚えておいていただきたいことは、弟子を取る側の立場です。時折、マジック教室の生徒と、弟子を混同して、月謝を取って教えている生徒さんを弟子だと言う先生がいますが、これは間違いです。指導家たるものは必ずここは心しなければならないことですので、3つのことを述べておきます。

 

1、月謝を取ったら弟子ではない。

 弟子とは、自分の芸や技術を継承する人のことです。月謝を取ってマジックを教えることはマジック教室の生徒であって、自分の継承者を作ることとは別です。ガラス職人や、革細工職人の徒弟制度は、師匠の仕事を手伝うことで、なにがしかの収入をもらいます。最低生活ができるようにしつつ、技術を伝承してゆきます。逆に言えば、弟子を食べさせられない人は弟子を持てないのです。弟子から収入を得ては子弟ではありません。ここははっきり区別をつけなければいけません。

 逆に言うなら、弟子を取るときに、給料を渡してでも育てたいと思うような弟子かどうかをしっかり見極めなければいけません。3年とか5年とか人を教えるのです、自分の人生のかなりの時間を弟子に割くことになります。それがいいことか、間違ったことかを見極めて弟子を取ることです。安易に弟子を取ってはいけません。

 

2、弟子の経験のない人は弟子はとれません。

 自分自身が弟子を経験していない人が、弟子を取ることはできません。仮に自分自身に収入があって、弟子を育てて行けるゆとりがあったとしても、自分自身が弟子を経験していなければ、弟子を育てる資格はありません。それは弟子とはどう育てるかがわかっていないからです。ただ単に毎週二つ三つマジックを教えることが徒弟の修行ではないのです。大切なことはマジックを通して人を育ててゆくことです。弟子を育てることは失敗の連続です。どんなに面倒を見ても、悪口を言いまくって辞めてゆくものも多々あります。割に合わないことばかりです。それでも弟子を取らなければならないのはなぜか、それは次の3に答えがあります。

 

3、継承すべき作品、技術のない人は弟子はとれません。

 徒弟制度と言うのは、自身が師匠から受け継いだ技術、作品を後世に伝えるためにあるのです。初めに師匠から受け継いだ作品を持っていない人は弟子はとれません。自分が工夫して作ったマジックを弟子に教えると言うのは、継承ではありません。継承とはもっと長いスパンで伝わってきた作品を言います。自身の演技、または作品に普遍性があって、初めて継承する意味が生まれます。

 私が弟子を取る理由も、江戸時代、あるいはそれ以前から続く手妻を後世に伝えるためです。そこには本に書かれていない「口伝(くでん=古くからの口伝えの秘密)」があるからです。口伝は外の人に伝えるものではなく、一子相伝のように昔から伝えていたものです。それをだれに教えるかはとても重要な問題なのです。

 ネットやDVDで覚えたマジックで弟子を取って教えると言うのはみっともない行為です。ましてやそこから収入を得ようとするのは盗人行為です。

 

 決して安易に弟子を取らないでください。人を育てると言うことは簡単なことではありません。それは自分自身の息子や娘を見たならわかるはずです。毎日面倒を見ても、自分の思い通りには人は育たないものです。ましてや他人の若者がおいそれということを聞くわけはありません。そこに幻想を抱かないことです。