手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

アダチ龍光師のこと

 私は若いころずいぶんアダチ龍光師にお世話になりました。師は当時、奇術協会会長で、テレビにもよく出演されていました。おしゃべりが絶品で、立川談志師をして、昭和の三大名人と言わせたほどです。

 ただし、今残っている師のビデオを見ると、その面白さは全く伝わりません。師の面白さは、決まりきったセリフにはなくて、その時その時の何気ない話の中に、何とも言えないおかしさがありました。行ってみれば雑談の名人だったわけです。

 私は何とかして師の面白さを学びたいと思いつつ、毎日舞台脇でマジックを見ていました。およそ師は舞台で無駄な言葉を話しませんでした。「ようこそいらっしゃいました」とか、「この後もどうぞごゆっくりご覧ください」とか、余計なセリフは一切ないのです。私が「師匠はなぜお客さんにようこそいらっしゃいました」って言わないんですか。と聞くと「別に、お客は好きで来ているんだろうから、余計なことを言わなくてもいいじゃないか」と言うのです。まぁ、確かにその通りです。

 いつでもセリフは前置きなしにいきなり話し始めます。しばしば、年を取っているため、セリフが出てこないこともあります。そんな時には、じっと黙って正面を見ながら、セリフを思い出そうとします。その間も、「えー」とか「あー」とか、つなぎのセリフは一切言いません。じーつと黙っています。するとお客様が何事が起ったかと静かになり、やがてじわじわ笑い出します。すると龍光師匠も、にやりと笑い出します。この雰囲気が実にのどかでした。

 ロッキード問題で時の首相、田中角栄さんがアメリカから、5億円の賄賂をもらった疑惑で、警察に捕まった時に、お客様の少ない寄席で、扇子の先から50銭銀貨を出すマジックをしていた龍光師匠が、ちょび髭を生やして、学校の校長先生のような顔をして「なぁ、一遍に5億円ももらうから警察に捕まるんだ。俺みたいに扇子から50銭ずつ出していれば税務署にも見つからない」と言った時の、わびしい顔が妙におかしくて、いまだに忘れられません。

 

 師匠は、どんな失敗があっても実に堂々としていて、何が起こっても平気で舞台をしていました。噺家の前座さんがテーブルを運ぶときに、舞台に出したとたんにテーブルをひっくり返してしまったときがありました。もうセットしたマジックはできません。そんな時でも師は平気で舞台に出てきて、懐に持っている扇子から50銭銀貨の出て来るマジックを始めて、それだけで15分演じて終わりました。楽屋の戻っても前座を叱ることもしません。泰然自若とした人でした。

 私が、「どうしたらそんな、面白いことが話せるんですか」と尋ねると、「あきらめることだ」と言いました。「あきらめる、って何をあきらめるんですか」「全部。売れることも、儲けることも、女にもてようとすることも、全部諦めるんだ」「あきらめたら、面白くなりますか」「なるよ、人は欲があるからいい恰好をしようとしたり、えらそうに見せたり、人を押しのけようとする。そんな姿が見えると、お客はすぐ嫌な奴だと思うんだ。初めからあきらめていれば嫌みがなくなる。何にも求めなければその人に欲がないから害はない。害のない人が何かを言うから面白く聞こえるんだ」。

 私はそのとき20歳でした。20歳の若者は欲の塊です。どうにかなりたくて仕方のないときです。その若者に「すべてをあきらめろ」と言うのは無理な話です。むしろ、話は逆で、求めようとするから手に入るのではないのかと思っていました。それが何もかもあきらめろと言う言葉は、どう考えても理解できませんでした。

 しかし、今になって、その意味がよくわかるようになりました。才能があっても、人気があっても、それ以上何も求めない。求めないから人が寄ってくる、仕事も来る、収入にもなる。しかしそれを自ら求めない。これは達観だと思います。

 私も、あの頃の龍光師の歳に近づいてきました。そうなら龍光師の言葉を守って、何も求めず、無欲に生きて行こうと思いますが、そうは言っても、ちょろちょろ欲が出て来て、小銭稼ぎをしたくなります。「あぁ、私はまだまだ龍光師の境地に至ってないなぁ」と内心反省します。

 師は、最晩年まで舞台に立って、マジックを演じていました。大きなマジックをするわけでもなく、鳩を出すわけでもなく、地味なマジックをぼそぼそしゃべりながら演じる、およそ花のない芸でしたが、それで生きて行けたのですから幸せだったと思います。昭和の時代は、そうした地味な芸を認める社会だったのです。