手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

芸術祭に参加する

 芸術祭についてお話ししましょう。文化庁芸術祭と言うのは、毎年、10月10日から11月9日(年によって若干の違いはあります)までの一か月間開催され、東京と大阪で催されます。参加資格はプロの実演家であること、内容は6つの部門に分かれていて、音楽、演劇、古典芸能、舞踊、大衆芸能、映像(テレビ、映画)、ほぼ日本の芸能のすべてが参加可能です。

 しかし、参加に関しては規定が細かく、プロ活動を10年以上経験している人であるとか、実際の公演したポスターやパンフレットを添えることとか、プロフィ-ル、受賞歴などの提出などいろいろ資料提出をしなければなりません。その上で、参加を認られたら、東京都区内か、大阪府内で公演場所を借りて、一日ないし、二日、あるいはそれ以上の公演日程を提出します。公演の表書きには、令和元年文化庁芸術祭参加公演とi言う肩書をつけられます。

 

 公演当日は文化庁の役人や審査員10名程度が見に来て、後日審査をして内容の良かったものに、新人賞、奨励賞、優秀賞、大賞などの賞を授与します(新人賞、奨励賞などは該当者なしの場合もあります)。受賞者は翌年1月に文化庁内で表彰され、賞状と盾、賞金30万円が渡されます。

 つまり、提出書類は細かいのですが、芸歴など、条件が認められれば、参加は可能で、プロ活動を続けている限り、芸術祭参加公演のタイトルはとれるわけです。その中で良かったものが受賞の対象になるわけです。あからさまに落選と言うものはありませんから、例えば松竹などでは歌舞伎座の歌舞伎興行や、東宝の芝居などは通常の10月公演を自動的に芸術祭参加公演にしています。特別に芸術祭のための企画と言うものはしないようです。それで、もし受賞できれば儲けものと言うわけです。

 但し、受賞するのはかなりシビアで、例えば音楽部門などは、NHK交響楽団や、新日本フィルハーモニー交響楽団などのクラシック音楽団体が申し込んでいるかと思えば、演歌歌手や、シャンソン歌手、民謡、長唄、清本などの古典音楽などが入ってきます。それぞれにジャンルの名人が参加してきますし、元々、社会的に評価の高い団体などが芸術祭に参加するわけですから、受賞は熾烈を極めます。

 

 マジックが所属する、大衆芸能のジャンルは、落語、講談、漫才、曲芸、パントマイム、民俗芸能、伝承芸能、ありとあらゆる分野が入ってきます。参加団体は約40組から50組。審査員にすれば毎日1本から2本、都内で催されるあらゆる芸能を見に行かなければなりませんので、かなり大変な仕事になります。

 そうした中でマジックの面白さが評価され、受賞に至るには、なかなか理解が得られにくく、これまで多くのマジシャンが芸術祭参加公演をしていながらも、芸術祭の80年の歴史の中で奇術師はわずかに6人しか受賞していません。(アダチ龍光、松旭斎広子、松旭斎すみえ藤山新太郎、北見マキ、ナポレオンズ

 もっともっとマジシャンは積極的に芸術祭に参加すべきですが、そもそもマジシャンの中で、芸術祭に価値を感じている人は少ないように思います。これは大変に狭い考え方だと言えます。マジシャンはマジシャン同士の中でコンテストをすることには関心がありますが、すべての芸能のジャンルの中でマジックがどの程度に位置づけられているか、を知ることの大切さに気付いていないのです。

 マジシャン同士の優劣と言うのはむしろ一般社会の中ではほとんど無価値です。藤山新太郎が、マジックコンテストで引田天功に勝ったとしても、世間は話題にはしません。そんな評価は世間の人にとってはどうでもいいことなのです。マジシャンはほかのジャンルと比較しても、ないかつ素晴らしい芸能だと言う評価を得なければ、世間がマジックを評価をすることはあり得ないのです。

 マジシャンが映画スターを超えて優れた芸術を見せた、とか。NHK交響楽団よりもマジシャンの演技のほうが素晴らしい芸術だった、という評価を得てこそ、社会で大きな活動ができるのです。マジックがほかのジャンルと比べて評価される場と言うのは、日本では芸術祭参加公演以外ないのです。そうであるならば、何としてでも芸術祭に参加すべきなのですが、どうしたものか、マジック界は仲間内で争うことには熱心ですが、外との戦いには消極的です。

 

 ただし今年は少し流れが変わってきたようです。奇術界から3本の芸術祭参加公演がありました。松旭斎美江子さん、上口龍生さん、藤山大樹、これは珍しいことですし、その行動は、称讃に値します。仮に今年、マジシャンの受賞はなかったとしても、毎年2本、3本マジシャンが芸術祭参加公演をしてゆけば、必ずや数年に一度はマジック界から受賞者が出るでしょう。そうしたときに、マジシャンの社会的地位が大きく向上するわけです。

 

 芸術祭に受賞する秘策はあるでしょうか。あります。どうしたら受賞するかについての秘策をここで極秘にお話ししましょう。私は、多くのマジシャンが芸術祭に参加していながら、なぜ受賞しないか、その答えを知っています。それは審査員とマジシャンの間の価値観に乖離(かいり)があるのです。評価の視点は二つあります。

 その一、芸術祭の審査員と言うのは、芸能評論家であったり、新聞雑誌の寄席評論家であったり、作家であったり、芸能史の研究家(または大学教授)です。その中にマジックの評論家はいません。まず、このことをしっかり頭に入れて私の話を聞いてください。審査員はマジックの細かな技術はよくわかりませんし、今演じている作品がオリジナルであるか、既成の作品であるかもわからないのです。

 そうならどうやって審査員はマジシャンを評価しているかと言うなら、それは話術と舞台構成なのです。マジシャンの話術がしっかりしていて、話が面白く、語り口に魅力があれば間違いなく評価は高まります。多くの審査員は、落語や、講談や漫才の評論をしていますので、話術の巧い拙いは敏感に反応します。下手なおしゃべりをすると、すぐに素人の扱いを受けてしまいます。私の見るところ、マジシャンが受賞しにくいのはおしゃべりが苦手な人が多いからだとにらんでいます。

 同様に、演劇の心得、音楽への理解なども重要です。素人臭いセリフのいい方、ぎこちない動き、これらは大きな減点対象です。つまり、芸術祭に求められる才能は、マジシャンであると同時に、芸術家の才能が求められるのです。そのためには自身が常にほかのジャンルの芸能を見ていて、練習もしていなければいけません。マジシャンだからこの程度の芝居でいい。とは誰も言わないのです。芸術祭に出ると言うことは、マジシャンの気持ちの中に、芸能人としての能力があるか否かを求められます。

 そうなると、アマチュアでマジックの特定のセクションだけが得意、なんていう人が入り込む余地はありません。徹底してプロの芸能人であることが要求されるのです。

 

 二つ目は、全体構成です。ショウの展開が面白く、変化に富んでいて、大きな効果を作り出されていれば、受賞対象になります。同じような演技を繰り返したり、盛り上がりに欠けるようなステージは評価の対象から外れます。と言って、有名ゲストを並べて派手な舞台を作っても、主役がゲストに負けてしまうような結果になっては逆効果です。 飽くまでも余分な経費を排して、ノーマルなステージの中で、これまで自身が芸能に生きて来て、学んだことを、構成立てて、しっかりした舞台で表現できることを審査員は望んでいるのです。

 

 さて、今年の芸術祭はいかなる結果になるでしょうか。良い知らせが来ることを期待しています。