手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

うたかたの夢

 一昨日、ピラミッドをもう一度工夫して手順を考えてみたいと書きました。昨日、早速私の金属の道具を制作してくださる岩野鉄工所に電話をしました。岩野鉄工所はもう40年以上のお付き合いで、先代の岩野善二郎さんの頃から私の道具を作っていただいています。善二郎さんはアマチュアマジッククラブに所属していた人で、ご自身も舞台でマジックを披露していました。人柄の穏やかな人で、頼めばいつでも道具を作ってくださいました。それも、もう30年くらい前に亡くなられました。

 その善二郎さんのご子息が岩野勇さんで、勇さんは私と同い年、鉄工所を継がれて、マジックにも興味があって、東京アマチュアマジシャンズクラブに所属していました。私の演じるリングやゾンビボール、ピラミッド、あらゆる金属の道具は岩野さんが図面を引き、制作してくださったものです。しかしこのところ私が洋装のマジックをしなくなったせいか、金属の道具はあまり依頼していません。それでも手妻の金輪(かなわ=リング)などはお願いしていて、銀製のリングを作っていただきました。

 私のところに習いに来る方々は、もうアマチュアでも相当にやり込んでいる人たちで、通常の道具では満足しません。一格も二格もレベルの高い、いい道具を使ってマジックをすることに喜びを感じているのです。リングもゾンビも厚い銀メッキを施したものを岩野勇さんが作って下さいました。作ると言っても私の生徒さんや弟子の分ですから、一度の制作個数は30セットから50セットです。とても企業の利益になるような数ではありません。通常の仕事の合間にお願いするようなレベルです。偉そうな顔をして依頼できるような話ではないのです。それでも岩野さんは嫌がらずに毎回作ってくださいます。その金輪も、もうそろそろ無くなりかけてきています。

 何のかんのといろいろ積もる話もありますので、久々岩野さんとお話ができるかと電話をしたのですが、岩野さんは3月に亡くなられたと言われました。

 私は電話口でがっかり肩を落としました。思えば、今年の正月に訪ねてこられたのが最後になってしまいました。10年ほど前から癌になられていて、それでも治療しながらも会社を経営されて、何とかうまくやっているのかと思っていましたが、会えないことでした。連絡すればいつでも会えると思っていましたが、人は亡くなるのです。そんな当たり前のことが、目の前の現実となるまで理解できないのが凡夫心なのでしょうか。長年の感謝を込めて、合掌。

 

 さて、ピラミッドは困りました。製作者を探すとなると時間のかかる仕事です。この先私がマジックの活動をして行くにおいて、鉄工部分の道具製作者がいなくなるのは大きな痛手です。それでも生きて行くためにはどうにかしなければなりません。

 考えてみれば、私を使ってくださる事務所があって、私のステージを喜んでみてくださるお客様がいて、道具を作ってくださる製作者がいて、習いに来てくださる生徒さんがいて、何もかも満たされていると言うのはぜいたくな話です。何もかも満たされて万全だと言うのは、決して通常のことではないのでしょう。世の中がうまく回っていると言うのはうたかたの夢で、実は綱渡りのような危険な人生の中のほんの一瞬の安定なのかもしれません。一つ先には何が起こるかわかりません。

 でも、何が起こってもこの活動を続けてゆかなければなりません。それが私の仕事だからです。

 

 さて、今朝はこれから富士に行きます。今、夜明け前ではありますが、私のブログを期待してくださる皆様に日々のことをお伝えしようとこまごまと書きました。明日は夕方から峯村健二さんと一杯やって、大阪に行き、そのまま疲れて寝てしまうかもしれません。そのため、多分ブログはお休みすると思います。悪しからず。