手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

一人遊び

一人遊び

 

 昨日は、私は仲間と遊ぶことも、一人で物を考えることも好きだ。と書きました。私の親父はよく私を誘って、あちこち呑みに連れて行ってくれました。親父の知り合いの店には、親父のファンがいて、そこへ、親父は私だけではなく、若い芸人を連れて行って、よく酒を呑ませていました。

 芸人の兄貴分が、よく若い者を引き連れて深夜まで酒を吞んでいる姿を見かけますが、芸能と言うものは、人前に出るために大変なエネルギーを使います。ありったけの知識と体力を使って、人に気を使って、人を楽しませようと努めます。然し、一旦燃えた炎はなかなか消えないのです。幾ら疲れていても帰ってすぐ寝ることなどできません。麻薬の如くに体中、異常な熱気が渦巻いています。そのため、若手を引き連れて、余った熱を冷ますために呑みに行くのです。

 親父にすれば、私と吞むのは熱冷ましにちょうどいいのでしょう。親父にとって、息子が大学に行きながらマジックをしていると言うことは最大の自慢で、行く先々の店で店のママやマスターが私のことを何でも知っていました。但し、逆に自慢の息子という触れ込みで呑みに行くことが、飲み屋の中での私の行動を縛り付けます。

 私は別段天才マジシャンでもなければ、世慣れて人あしらいのうまい芸人でもないのです。未だ20歳の若者が、親に連れられて知らない店に行ったとしても、面白おかしい話は出来ません。全く自分の立ち位置が見つからないのです。

 そこで、親父に、誰かもう一人芸人を連れて行こうと提案します。その頃演芸場に出始めて仲良かったのがツービートのたけちゃんでした。

 演芸場に出る以外に全く仕事のなかったたけちゃんは声を掛けるといつでも付いてきました。この人は、普段楽屋でも面白い人だから、飲み屋に行ったらさぞや面白いかと思っていると、全くだめなのです。舞台はハチャメチャで面白い人なのに、初対面の人に合うと全く話が出来ないのです。

 隣に座っている私にはくだらない話をしますが、店のお客様全体を見渡して、人を楽しませるなどと言うことはできないのです。ただただうつむいて水割りを呑んで、ぼそぼそ私にだけ話をします。私の親父などは、「たけし、お前はネクラだなぁ。この先芸人として生きるのに、それじゃぁ、客もつかないし、面白い芸人にはなれないぞ」。

 と、意見します。言われてたけちゃんは、「へへ」、と笑って、又下を向いていました。そうであるなら、飲み屋に行く事なんて嫌なのかというとそうではなく、人の集まっているところで呑むのは好きなのです。それが証拠に誘えば必ずついてきます。

 結局親父は、陰気な芸人と、世慣れていない息子を連れて、酒を呑んでいます。

 たけちゃんは、初対面の人と話が出来ません。唯一、私に小声で話をします。その話がまるで、授業中に小声でくだらない話をする仲間のように、笑ってはいけない場所で小声で話すのが、おかしいのです。

 その後にたけちゃんが売れてから、番組として定着した、オールナイトニッポンの深夜のひそひそ話の原型のようなもので、くだらないことこと、差別発言の連発で、面白いことに関しては無類でした。

 然し、50年前は、そんな笑いの作り方をしても、人に理解されるわけでもなく、たけちゃんの才能は空振りを繰り返していたのです。

 

 そのたけちゃんですが、酒を呑んで家に帰っても寝付くことができないらしく、翌日、演芸場の楽屋で会うと、「新しい漫才の台本書いてみたんだけど」。と大学ノートに鉛筆で書かれた原稿を私に見せるのです。ネタは単発の小話なのですが、「これ、いつ書いたの」。と聞くと、呑んで帰った後だと言います。

 酒を呑んだなら、もう、ものを考えることなんかできないだろうに、たけちゃんは逆に目が冴えてしまうのです。そして3分程度のネタを一本書き上げるのです。

 実は私も似たようなことをしていました。ネタを書くほどではありませんが、家に帰ると、その日にあったことをノートに書きまとめて、読みかけの本を読み、それから深夜にヘッドフォンでレコードを聴きます。酒を呑んで帰っても、1時間2時間自分の時間を作って、それから寝るのが日課です。でも私は人にそうした時間を作っていることを話すことはなかったのです。

 仲間の芸人にちらりとでもそんな話をすると、物を書いたり、読んだり、クラシック音楽を聴くことなどおよそ「芸人らしくない」。と否定されます。芸人とは、常にお客さんと遊んで、仲間を作って、面白おかしく生きて行くのが芸人だ。と言われていました。20歳の私は、「私は芸人らしさがないんだ」。と思っていたのです。

 ところがたけちゃんの生活を見ていると、遥かに私より上手だったのです。いつでも何かしなければ勿体ない。と言う、自然にあふれ出て来る自分の才能を、忠実に書き溜めようと、深夜でも頭をフル回転していたのです。

 私はこの人を見て、「あぁ、自分のしていることは間違ってはいなかったのだなぁ」。と思いました。「ただ面白おかしく生きているだけでは、大きく成功することはあり得ないだろう。遊ぶことはいいことだけど、遊びながらも何か思いついたこと、気付いたことがあれば、何らかの形にしておくことが大切なんじゃないか」。と確信したのです。

 いつでも仲間と酒を飲んだり、マージャンをしているだけでは、自分の楽しみに浸かっているだけで、人の楽しみを追求していない。これでは世の中の流れから取り残されて行く。遊ぶことは結構だけども、同時に一人になって、自分のこと、芸のこと、世間のことを考える時間も大切なのだ。それがないと、全く自分と言うものが形になって行かないのではないか。と考えたのです。

 たけちゃんが遊びと、自分の時間を普通に共存させているのを見て、その生き方は間違っていない、ということに気付かせてくれたのです。

 

 ひところ、「自分探しの旅に出る」。なんて言う人があって、突然芸能活動を休止して、どこか海外に行ってしまうタレントがいましたが。自分探しが何なのかが分かりません。自分とは常に心の中にあるもので、どこかに探しに行くものではないでしょう。自分が分からなくなったと言うのは、分からないのではなくて、日ごろ自分を顧みていないのでしょう。自分が人に伝えるような考えがなくて、慌てて自分探しを始めても、それこそ今まで自分と言うものを見ていないのですから、自分の考えなどと言うものはどこを探しても出てこないでしょう。どこに何を求めて旅をしようと言うのか。それはあまりに手遅れでしょう。

 毎日1時間でも2時間でも自分と対話して、心の中にあるものを素直に表に出して、文章にしたり、音楽にしたり、作品にしたりすることこそが創作活動をする人の日常なのでしょう。それが「一人遊び」というものなら、芸能芸術活動とは一人遊びそのもなのです。

続く