手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

金無くして遊ぶ法

金無くして遊ぶ法

 

 私は子供のころから友達と遊ぶ時間、そして一人で物を考える時間。その両方を切り替えて生活していました。世の中には一人遊びが楽しいと言う子供もいますし、常に仲間と遊んでいなければつまらないと言う子供もいます。

 私はそのどちらも好きで、遊んで帰ってきた後も、一人になって、様々なことに没頭することが楽しみでした。幼いころは、ラジオの朗読や、落語を聴くのが楽しみでした。落語は、三遊亭金馬さんが良くラジオに出演していました。明快な話し方で分かりやすい落語でした。幼いものにとっては理解しやすい落語でした。

 まだ幼稚園のころから、7つ年上の兄が持っていた、こども年鑑という分厚い本を見るのが楽しみでした。まだ漢字が読めず、内容は難しかったのですが、平仮名が降ってあるため、私でも読めました。国の面積や、首都の名称など、暗記して、周囲の大人に聞かせると、大人はびっくりしていました。今でも国と首都の名前はよく覚えています。

 やがてクラシック音楽を聴くようになります。そうなると家族は長いクラシックに付き合ってはくれませんから、自分だけで聴くようになります。中学に入って、レコードを買い始め、深夜はクラシックのラジオを熱心に聞いていました。

 そして、マジックの練習をしたり、手順をいじってささやかな改案をして見たり、或いは、文章を書き始めて、簡単な小説を書いて仲間に見せたり、日々のことを書き綴っていました。このブログもその頃からの名残です。

 何にしても、一人であれこれ想像をめぐらすことが楽しいのです。想像したことは、絵に描いて見たり、文章にしたり、マジックの作品として書きまとめて見たり、夜中になると一人でそんなことを繰り返していました。

 

 だからと言って、常に一人静かに本を読む少年だったわけではありません。良く仲間と遊んでいました。大学に入るようになると、学校の仲間の他に、お笑い芸人と遊ぶことが増えました。彼らを見ていると、金もないのにひたすらあそぶことに熱心でした。金無くして酒を飲む方法、金なくして女の子にもてる方法、金なくしてギャンブルに勝つ方法、など、一歩間違えれば犯罪になりかねないようなことをして、遊んでいる芸人がたくさんいました。

 然し、金がないと言うことは、金がある時よりも面白いことが多く、今考えてもおかしなことを平気でしていました。

 金なくしてギャンブルで稼ぐ方法は、楽屋で、売れている芸人が競馬の馬券を若い芸人に買いに行かせるときに、買ったと見せて、買わずに全額着服してしまうのです。すなわち「呑み行為」です。これはかなりきわどい行為です。

 売れている芸人は自分が買いに行かせた馬券を確かめもしません。競馬が終わった後も、馬券を見ずに、「あーぁ、取られちゃった」。などと言って、買いもしない馬券をさっさと諦めています。たまに取った馬券があったときは、後で配当金を渡せば何も言いません。

 この若い芸人は、なかなか頭が良く、手堅く倍率の低いの馬券を何十枚も買うときは、素直に買いに行きます。また、飛んでもない高額配当が付きそうな馬券も買います。もし当たったら取り返しがつかないからです。手堅い倍率の馬券でも10枚程度だったり、倍率が中程度の馬券を数十種類買うようなときだけ、全て着服します。

 つまり、仮に当たったとしても、預かった金のはずれ馬券分で支払いができてしまうのです。ギャンブルは確率の問題ですから、たくさん馬券を買えば、必ず負けの方が多いのです。

 

 このやり方で、彼は毎回結構な収入を得ていましたが、彼は決してそのことを人には話しませんでした。私とは仲が良かったため、私にだけはそっと教えてくれました。

 彼は、楽屋で金を集めて、それから馬券売り場に行くと見せかけて、喫茶店に行き、買う馬券、呑む馬券を精査します。この時間こそは彼の最高に楽しい時間なのでしょう。私が余計な口をはさんで、「この馬券も呑んだらどう?」。などと言うと、「それなら君呑むかい?」。と尋ねて来ます。

 私が調子に乗って、「呑んでみるよ」。と言えばきっと私は彼の仲間になって、吞み屋になっていたでしょう。でも私はそこに踏み込めませんでした。ある時、彼は楽屋から突然消えました。恐らく、飛んでもない高配当の馬券を呑んだかして、進退窮まって、いられなくなったのでしょう。お笑いの世界から消えてしまいました。

 

 ある時は、覗きの天才という先輩芸人に覗きに連れて行ってもらったことがあります。場所は熊本城公園。熊本に寄席が出来て、10日間熊本に行きました。昼は寄席に出演して、夜は用事がないものですから、先輩に進められて覗きに行きました。

 広い公園で、カップルが夜に暗いところで抱き合っているのを間近に見に行くのです。覗きに行く日は、事前に黒っぽい服を着て来るように言われ、やむなく黒シャツを買い、準備万端公園に行きます。

 たくさん木立のある中で、若いカップルが寝そべって抱き合っているのを見つけて、素知らぬ顔で近くまで行き、通り過ぎるようなしぐさをして、何気に木の裏側に回り込みます。そしてしばらくじっと立ち続けています。やがて二人が何事かを話し出して、もぞもぞし出すと、先輩は腰を低くして、芝生を這うようにして、カップルのすぐ脇まで回ります。私も同じ動作で回り込みました。

 ここまで来ると二人の息遣いが良く聞こえます。こんなことをしてばれないのか、と心配になりますが、相手は行為に真剣ですから、もうほかのことは聞こえません。然し、なかなか抱き合っているばかりでその先に進まないで躊躇しています。

 そんな時は先輩が、そっと手を伸ばして、女性を触ってやり、更に男性の手を捕まえて、女性の体までリードしてやります。女性は先輩の手を彼氏のものだと思い込み、彼氏は女性が求めていると思い込みます。私に取っては驚きの行為です。そんなことをして、互いが気付かないのか。と心配になります。然し、気付かないのです。

 縁もゆかりもない人の体に触ったなら犯罪行為ですが、考えようによっては決断できないカップルを一歩先に導いてあげたのですから、キューピットの行為です。

 但し、黒い服を着て覗きをしているのですから、人に感謝されることではありません。覗きは、終わり方が難しく、カップルが、「ホテルに行こう」なんて言い出して、立ち上がる前に離れなければなりません。常に相手の言葉を聞いて、変化を読み取って頃合いよく切り上げるのです。なかなか技術を要します。何気に後ろに戻り、立ち上がって、通行人を装って知らぬ顔をして歩いて去れば成功です。

 この先輩は翌晩も、また公園に行こうと勧めて来ましたが、出かけませんでした。ある一線を超えた遊びというのはスリルがあって面白いのですが、繰り返していると、何となくその道の人になってしまうような気がします。

 遊びで始めたことがそのまま仕事になることは普通にあります。そんな時に、道に外れている行為に自らが気付くかどうか、そんな仲間と一緒にいて、将来が幸せかどうか、遊びは飽くまで遊びであって、マニアになると危険です。などと偉そうなことを言いますが、金のないときの馬鹿馬鹿しい遊びは最高の刺激です。

続く