手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

知ると知識は違います 2

 今日(26日)は日本舞踊の浴衣浚いです。午後に家を出て根津に行きます。昨晩、鏡の前で一人で踊りの稽古をしてみて、恥ずかしくなりました。以前はもう少し巧いと思っていたのですが、なんだかふにゃふにゃしていて踊りにすら見えません。「偉いことになった。こうまで下手だったか」。少し自己嫌悪に陥りました。午後は気持ちを引き締めてなるべくちゃんと踊ります。

 私はこれまで三人の舞踊家から踊りを習いました。初めは藤間勘加寿(かんかす)先生で、私は18歳、まだ上板橋の親の家にいたころに習い始めました。先生は、駅前の呉服屋さんの娘さんで、初心者の私を丁寧に教えてくださいました。

 私が結婚をして、常盤台のマンションに引っ越してからしばらく踊りから離れていました。三十代になって、伍代夏子さんに水芸を指導するときに、狂言方で手伝いに来ていた藤間章吾先生と知り合い、休憩時間に色々話を聞いていると、とんでもなく舞台のこと、舞踊のことに詳しい人でしたのでこれは仲間になろう思い、入門しました。

 実際、章吾先生のお陰で、水芸の菖蒲の精の振りや、色々振り付けをお願いし、私の舞台は形が整ってゆきました。平成10年、私が、芸術祭大賞を受賞した時に、その数日後、年の暮れに国立小劇場で舞踊の発表会に出演して、「浮かれ坊主」を踊りました。

 この踊りは、六代目菊五郎が、踊りの神髄を見せるために殆ど褌一丁で舞台に出て来て、江戸の風俗を表現したもので、裸ですから体のバランスが一目瞭然で、ごまかしの効かない踊りです。手数も多くとんでもなく難しい踊りでした。囃子が鳴って、私が褌一丁で舞台に出て来ると、客席から「よう、芸術祭大賞」と声がかかりました。国立の舞台で持ち上げられて、何とも気持ちの良い瞬間でした。

 

 話は少し戻りますが、娘に舞踊を習わせようと考えていた折に、杉並に子供を教えるのが上手な先生がいると聞き、娘は藤間豊治(とよはる)先生の所に通わせました。豊治先生は、何遍でも同じことを繰り返し繰り返し根気よく教える先生で、確かに初心者にはわかりやすい先生です。

 章吾先生の所は国立に出たあと、数年して辞めてしまいました。辞めた理由は、先生の家の近所の駐車場がなくなってしまったことです。当時私は仕事の途中で踊りに通うことが多かったため、いつも車で先生の所に通っていたのです。それが駐車場がなくなり、やむなく路上駐車していたら、二度立て続けにレッカー移動されてしまいました。車にはマジックの道具や衣装が積んでありますから、取りに行かないわけにはいきません。然し、警察署まで取りに行って、それからホテルのパーティーなどに出ると、出番ギリギリです。そんなことが続いて、何となく縁遠くなり、辞めてしまいました。

 

 やがて娘が大きくなって、一人で夜道に通うのも危険と思い、私も豊治先生に入門して娘と一緒に通うことにしました。ここでも10年くらい通いました。

 その後、章吾先生の家の近所に地下鉄が引けて、電車で通えるようになり、章吾先生のところに戻りました。巧さと言い、知識と言い日本の舞踊界ではトップの人です。

 弟子の前田も通っています。前田には少し厳しいかもしれません。初心者に優しい先生ではないのです。毎回ガンガン怒られています。でもここで学べることは幸せです。

 と言うわけで、間に休みがありましたが、私は何のかんのと48年くらい舞踊をしています。ですが、少しも巧くなりません。ちょうど熱い豆腐に上に鰹節を乗せると鰹節が踊りを踊りますが、私の踊りはあの鰹節のような踊りです。ふにゃふにゃしています。

 

知ると知識は違います

 知っていることは知識に昇華してこそ自分の人生の役に立ちます。一つことを縦糸と横糸を探し出して、どんな成り立ちかを知ってこそ知識となるのです。

 マジックでも、よくアマチュアの親父さんが、自宅の押し入れ一杯に道具を買い込んで、自慢している人がいます。一人で自慢しているなら結構なのですが、そんな人が私の会や、マジックショウにやってきて、出るマジシャン、出るマジシャンを見ながら、「あれ、あの道具わし持っている。あれも知っている」。と自慢する人がいますが、百害あって一利ない困ったアマチュアです。

 持っている、知っているは自慢にならないのです。どんな単純なマジックでも、演じる人によって、魔法に変わるのです。押し入れにしまっているだけでは何も魔法は生まれません。道具を取り出して、稽古をしなければ身につきません。とことんわかって演じなければ芸にはなりません。時に技量のあるマジシャンから習いなおしてみることです。まるで目から鱗が落ちるかのようにマジックに対する見方が変わってきます。

 作品を深く知り、成り立ちを知って初めてマジックが生きて来ます。買った道具はさっさとしまい込み、新たな道具を求めて、ネットのカタログを漁ったり、マジックショップのケースを覗き込んでばかりいても、芸術、芸能は手に入りません。そんな人はどこかで自分がしなければならないことから逃げているのです。

 私はいつも思いますが、今のアマチュアマジシャンの成り立ちは、根本が間違いだと思います。まず金に飽かして道具を買い漁って、種ばかり先に知ってしまう姿勢が間違いです。初めに種を知るから、マジックを舐めてかかります。それでいいマジシャンが育ちますか。マジックは道具ではないのです。道具なんて初めはいらないのです。

 ロープ、シルク、コイン、カード、シンブルがあればそれで十分です。これだけあれば、一年みっちり基礎を学ぶことが出来ます。(実際私の弟子の指導はこうした基礎指導を一年みっちりやります)。大学のマジックラブに所属していて、そこでスターだった人が、私の所に弟子入りすると、ロープ一本の基礎からじっくり始めます。初めはそれを馬鹿にします。こんなことのために弟子になったのではない。と不満顔です。

 然し、始めて見てすぐに気づきます。自分が何も知らなかったことが。ロープを結ぶこと、持つこと、ほどくこと、一つ一つに考えがあってしています。その一つ一つのことごとくを知らないのです。いや、知ってはいます。然し、ちゃんと稽古をしたことがないのです。みんなDVDを見ただけでスルーしているのです。何一つ学ばず、全く身についていない自分を知るのです。マジックを舐めていたのです。その時初めて、自分がマジックに向き合う姿勢が間違っていたことに気付きます。

 プロの道と言うのは特別、人のやらない、レベルの高いことをすることではありません。話は逆です。アマチュアが見落としてしまうようなこと、アマチュアが馬鹿にしてやらないようなことを一つ一つ地道にやって見て、体に叩き込みつつ本質を見つけだして、理解してゆくことがプロの道なのです。「知るは知識にあらず、その経緯がわかって初めて知識となり、生かされる」のです。

 私はよく弟子に言います。「普通のことが普通に出来て、それでお客様が喜んでくれたならそれが名人だ」と。多くの人は名人とは人のできないことができる人のことだと思っています。そうではないのです。何でもないことをして見せて、それで巧いと人をうならせたら名人なのです。名人とは知るを知識に昇華させた人のことなのです。

続く