手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

知ると知識は違います 3

 昨日26日は日本舞踊のお浚い会でした。私としてはかなり気持ちを集中させて会に挑んだのですが、3か所ほど手が飛んでしまいました。そしていつものごとくその場で創作してしまいました。私の踊りが、どんどん勝手な振り付けになって行くのを脇で章吾先生が見ていて、爆笑しています。

 私は私で「あぁ、またやってしまった」。間違いを間違いに見せず、その場で創作するのは私の得意芸なのですが。途中からどうやって元の手に戻すかで頭の中がパニックです。頭の中で必死に考えて、何とか踊りをつなげて終わりましたが、終わった後もしっくりしません。もっとちゃんとしっかり踊らなければいけません。と反省しつつ毎回不出来な踊りの会をしています。

 この前のNHKの取材でも、「藤山さんの踊りは巧いですか」。と言う質問に、章吾先生が、「藤山さんは、失敗してもその場で手を作ってしまって、流れが止まらずに、失敗に見せないのがすごい」。と言っていましたが、それは公共放送で褒めてもらえるような話ではありません。結局私は幾つになっても芸の到達点には立てません。

 

知ると知識は違います。

 私が20代の頃、アメリカでレクチュアーをして回っているときに、クリーブランドのマジッククラブで会場に早くついて、セットを済ませると、既に参加者ががかなりの数集まっていました、レクチュアー開始までにはまだ1時間以上あります。

 そこで、私がいくつかのマジックを見せました。多くは天海のハンドリングでした。シルクバニッシュや、5枚カード、紐抜け等です。私は何気に見せただけなのですが、これが会場が騒然となり、終わった後も、もう一度、もう一度とアンコールが続きました。私は種明かしはせずに、今見せたマジックを前よりもゆっくり演じて見せました。するともさっきよりもすごい拍手です。その後レクチュアーをして、全てが終わった時に、ある中年の紳士が、子供を二人連れて来ました。

 「新太郎、申し訳ないが、この子は私の所でマジックを習っている生徒なんだけど、さっきのあなたの演技があまりにすばらしかったので、今、彼らを呼んできたんだ。誠に申し訳ないが、もう一度さっきの5枚カードとロープとシルクを見せて下さい」。

 そう言うと、会場の参加者も、拍手をしてくれて、みんな席について、再々私の演技を見ようとします。勧められるままに演技を見せると、すごい拍手です。そこで私はこう言いました。

 「これは天海石田のハンドリングを私なりにアレンジしたものです。元をただせば、天海が1920年代にアメリカに渡って、当時のアメリカのマジシャンにレッスン料を支払って習い覚えたものです。元となる考え方はアメリカや、ヨーロッパにあったマジックだと思います。それを私が受け継いでここでお見せしただけです」。

 すると、指導家は言いました。「悲しいことですが、今のアメリカにはこうした優れたアイディアが残っていません。多くのプロマジシャンは、ゴムの鳩を出したり、紐に魚をぶら下げた三択の当てもので笑いを取る人たちばかりです。マジックが笑いの種になっているのです。本気になって、技の蓄積を見せる人がいないのです。恥ずかしい話ですが、私自身も、指導をしていますが、これほど内容の深いマジックを教えたことはありません。もしよかったら数日でもクリーブランドに残って、有志にあなたのマジックを教えてくれませんか」。

 私はこの申し出は嬉しかったのですが、明日には次のレクチュアー会場に行かなければなりません。やむなくお断りしました。実際アメリカではビデオや、DVDでマジックを学ぶ人が増え、それにつれて、マジックの蓄積、味わい、意味を伝える人がいなくなってゆきます。一方、習うほうも、DVDで語っていることがマジックの全てなんだと勘違いして、マジックを舐めてかかるようになります。

 演技の一つ一つを細かく見れば、決して昨日今日出来た手順でないことは明らかです。多くの先人が悩んで解決したハンドリングのオンパレードです。たった一つの部分ですら、50年前、百年前の考え方が今も継承されています。然し、それらは無視されてゆきます。目の前で見たなら、とても味わい深い手順も、答えを先に知ったDVDの解説の中では無味乾燥した古臭い演技に見えてしまいます。

 そうして過去を否定して、安く、手軽に、たくさんのマジックが習えるようになった結果。アメリカのアマチュアマジシャンは大きく愛好家を減らしています。そしてそこからプロマジシャンが出て来ません。アメリカから優れたマジシャンが出なくなって、もう20年以上もたちます。かつてのクリーブランドのマジック指導家の杞憂は現実となり、アメリカの衰退はもう救いのない所に来ています。

 私は、20代にアメリカでレクチュアー旅行をしました。結果は、面白いように儲かりました。然し、28歳でそれをやめました。以後10年間アメリカにもヨーロッパにもいきませんでした。私のようなタイプの人間は、どんな仕事をしていてもそこから金儲けの種を見つけ出すのが巧いのです。でも、それは結果として才能の切り売りです。これを続けても、50歳になった時に、指導の権威者にはなれません。自分の知っていることを知らない人に小売りしているだけなのです。

 自分自身が芸能芸術の中で生きたいと望むのなら、今自分が知っていることをもっと発展させて、知っていることを知識に発展させて、自分の世界を作って行かなければいけないのです。そのために最大限の時間を使うことが大事なのです。

 クリーブランドのアマチュアさんは純粋で、素晴らしいマジック愛好家たちです。しかし、私がそこに残って、一年、二年と指導すれば、私はクリーブランドのアマチュアマジック界では権威者になれますが、お山の大将で終わってしまいます。その道は自身の選択としては最悪のものです。

 

 ところで、アメリカの衰退を40年前に見て、今の日本の奇術界を見ると、日本の多くの若い人は韓国のマジックを追いかけています。私が見る限り韓国のマジックは知識の蓄積が浅く、自分で作った不思議の羅列を繰り返しているばかりで、どれもプロとして成功している人のようには見えません。歴史も、深い旨味も感じません。しかし多くの日本人はそれを追いかけます。

 何やら、今の日本は、40年前のアメリカを見るようです。明らかに衰退が進行しています。日本人は、日本のマジックの歴史が持っている蓄積の厚みに気づくべきだと思いますが、私の考え方が今に通用するでしょうか。私は知ることだけで満足している人たちを助けることはできません。今やマジックは底の浅い遊びに落ちてしまいました。既にアマチュアのおもちゃになっています。それが日本人の望んだマジックなのでしょうか。

知ると知識は違います。終わり