手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

大腸検査その3

 昨日の続きです。結局午前中に薬品の入った水を2リットル飲みました。いくら甘味や、塩味が付いているとは言え、2リットルの水はなかなか飲めるものではありません。相当に無理して飲みました。すると、30分もしないうちに、強烈な便意を感じました。

 トイレに駆け込むと、水便です。全くホースで水を撒くような、勢いのある便が流れました。この水便は昨日とは違って、薄い黄色でした。もう体内の宿便は流れたのでしょうか。始末の悪いことに、放出した後に立ち上がると、また腹のどこからかぐるぐると音がして便意を催します。やむなくしゃがむと水便が放出されます。こうなるとなかなかトイレから抜け出せません。それが朝の9時半くらいです。

 さて、それから30分に一回トイレに駆け込みます。合計5回のトイレでした。こんな状況ですと、座っていても、立ってかたずけをしていても便意を催すのではないかと不安になります。私のアトリエは一階にあります。トイレは二階です。催してトイレに駆け込むためには二階に上がらなければなりません。これが簡単ではありません。

 便意は突然来ます。「そら来た」と、席を立って、ドアまで行き、二階に上がろうとするのですが、水便は容赦ありません。二階の階段の前で既に便意が最高潮に達します。「いや、ここで放出してはいけない。何とか二階まで上がらなければ」。そう思ってきつく肛門を〆ます。そして、階段を上がるために片足を上げます。右足を揚げる動作と、肛門は連結していて、階段のステップを上ろうとすると、肛門にゆるみが出て肛門に水圧が押し寄せます。「まずい、漏れる」。そこで、一層肛門を引き締め、手すりにつかまって、右足を女の子の縄跳びのように、ひざ下からチャールストンのように足を回してステップを上ります。その足を軸にして、肛門をずらさないようにして、そっと左足を持ち上げます。「よしこれで一歩上がれた」。

 然し、まだ13段あります。一歩一歩気持ちを引き締めてゆっくり上がって行きます。うまい具合です。この調子でやれば問題はありません。ところが、私の慎重な動作に大腸がしびれを切らしたのか、一層きつい便意が襲ってきます。「むむっ、これはまずい」。相手は大量の水便です。私の肛門の筋力には限界があります。意志は強くても肛門の皮膚に意志はありません。いよいよ階段の途中で大放出か。いやいや、ここであわててはいけません。

 長く生きていれば、物事の潮時が見えて来ます。便意は潮の干満に似て、少し時間が過ぎれば嘘のように引くものです。ここで、便のことばかり考えるから、便意が調子に乗るのです。ここが人生の駆け引きです。

 私は階段の途中ですっと立って、便意を我慢しつつ、別のことを考えます。ガースー政権の外交はうまく行くのだろうか、とか、山口達也の飲酒運転はこれでタレント生命が断たれるのだろうか、とか、余計なことを考えます。

 すると一瞬、便意が薄れました。「しめた、相手が忘れかけているこのときがチャンスだ」。素早く階段を上がり、二階の玄関に達します。「ここまでくればあと2m、もう大丈夫だ」。と思った瞬間、大腸に心の油断を見破られました。更なる強烈な便意が襲い掛かります。

 「あぁっ、これはまずい。ここまで来て、便器がそこに見えていながら、もう一歩も足が前に出ない。そうだ、また別のことを考えよう」。又も山口達也の頭を刈り上げた顔を思い浮かべました、ところが、便意は収まるどころかとんでもなくきつくなりました。「やはり同じネタでごまかすことはできないか、どうしよう。よし、この上はやむなしだ。強硬突破だ。どうせ便器に座るまでは3秒とはかからない。それなら思い切って行こう」。と急ぎパンツを脱いで座りかけると、便意が怒涛の如く押し寄せててきました。然し、間一髪でセーフです。

 水便が勢いよく便器に流れました。安堵の思いと同時に別のことが脳裏をよぎりました。「山口達也ネタは二度はきかない。だから山口達也も今度と言う今度は助からない。世間に甘え続けていてはいつか限界が来る。私だって苦労して苦労してトイレにたどり着いたのだ。山口達也も私のように苦しんで、苦しんで自分の道を考えるべきだ」。私は排便をしつつ、山口達也の人生の甘さを諭しました。しかしよく考えてみれば、水便を垂れ流している親父が偉そうなことを言っても何ら説得力はありません。

 

 その後、午後2時半に世田谷健康センターに行きました。そこで紙製のパンツと甚平のような下着に着かえ、控室で待っていると、看護婦さんが二、三人集まってきました。そして、私の蝶々や、水芸を褒めてくれました。実は、前回来た折に、杉並区が作ってくれた宣伝名刺を渡したのです。名刺はスマホを当てると映像が流れ、私の手妻が映し出されるようになっています。それを皆さん見てくれたのです。

 そうやって褒めてくれるのは有り難いのですが、これから肛門に内視鏡を入れなければならない状況ですので、どうにもカリスマ性が薄れます。

 診察室に入ると、機械類は、ほとんどなく、内視鏡の映像を見る画面があるだけです。私はまず麻酔を腕に打たれました。点滴のようにして、少しずつ麻酔が流れる仕掛けです。ただ、この麻酔は罹っている意識はありません。気持ちも目も確かです。

 内視鏡は試験管のような透明な筒に内視鏡が入っていて、試験管のまま肛門にいれたようです。入った実感は全くありません。先生が、内視鏡を押したり引いたりを繰り返していましたが、特別痛みもありません。15分位うとうとして目を覚ますと、私が顔の角度を変えれば、私も画面を見ることに気付きました。そっと顔を動かして画面を眺めると、ピンク色の大腸の中がよく見えます。食べかすなどは全くありません。洗濯機の蛇腹のホールを中から眺めているようです。中は緩やかな襞(ひだ)が段々に続いていて、洞穴を探検しているようです。「よし、いいだろう」。と先生が言って、内視鏡は抜かれ、検査は終わりました。その後、寝台のまま別室に連れて行かれ、そこで30分休みました。私は麻酔が残っていたせいか気持ちよく寝てしまいました。

 その後健康センターを後にしました。ここで初めて空腹を覚えました。思えば昨晩から何も食べていないのです。然し、水を大量に飲んでいたせいかまったく空腹は感じませんでした。こってりと鰻か、焼き肉が食べたいと思いましたが、酒や、脂ものや刺激の強いものはだめと言われましたので、高円寺の寿司屋に行きました。

 シマアジの握りと金目鯛、のどぐろを立て続けに注文しました。シマアジは絶品でした。今朝、いかがわしい白い薬を飲んだため、味覚が衰えてはいないか心配でした。シマアジのさっぱりとした脂と、奥に残る独特の香りを感じました。味覚は健在です。

 金目のほどほどの脂も上品でした。のどぐろは期待しすぎたためか普通の味わいでした、むしろこはだの握りが当りでした。酢で締めた身が空っぽの胃袋に染み渡りました。酒はだめなのですが、これだけいい魚が並ぶとちょっと一杯やりたくなります。ハイボールなら罪もないだろうと勝手に判断して、一杯だけ飲みました。何のかんのと能書きをたれて、結局酒を飲み、寿司で一杯やれて最高です。腹が膨れて幸せな気分になり、上機嫌で家に帰りました。

大腸検査終わり