手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

ドボルザーク 第8番

ドボルザーク 第8番

 

 ドボルザークと言う作曲家が好きだと言う日本の音楽ファンはたくさんいます。ドボルザークで特に有名な曲が、交響曲第9番「新世界」で、これはドボルザークが最晩年に、アメリカの音楽学校の校長を頼まれて3年間ニューヨークに住んだ時に、アメリカ原住民の音楽を調べて、それらをイメージしながら作った交響曲です。

 特に第2楽章が有名で、このメロディーを抜き取って歌詞を付けて、「家路」と名付けて、学校で良く歌われています。「遠きー山に陽は落ちてー」。という歌詞です。日本人はこの曲が大好きなようで、今でも地方都市で、夕方5時になると町中どこでも家路が流れて来ます。チェコの町ですらこんな風に「家路」が流れることはないでしょう。多くの日本人は下校の音楽だと思っています。 

 恐らく、交響曲と言うジャンルの中では、ベートーヴェンの合唱と並んで、新世界、は最も日本人に知られた音楽でしょう。ドボルザークの音楽は、哀愁があって一度聞いたら耳から離れなくなる特徴があります。

 もし、ドボルザークが現代に生きていたなら、確実にコマーシャルソングの作曲家となって大成功したでしょう。ドボルザークを引き立ててくれた音楽の大先輩であるブラームスが、ドボルザークのメロディを次々に考え出す才能を、心底羨ましがったと言います。

 さて、そのドボルザーク交響曲ですが、9番の新世界ばかりが有名で、他の作品が演奏されることは稀です。然し、実際聞いて見ると、7番、8番は素晴らしい出来で、もっともっと演奏会の演目に上ってもいいくらいです。

 ドボルザークは、7番あたりから、交響曲の規模が大きくなっています。これはどうも、尊敬するブラームスが一連の交響曲を発表する1880年代から大きな影響を受けたようで、自分もこれでは駄目だ、もっとしっかりとした曲を作らなければと決意したようです。

 

 話が長くなりましたが、ドボルザークの第8交響曲は、9番新世界の影に隠れてしまっていて、およそ目立ちませんが、アメリカへ行く以前の傑作として記念すべき作品です。ボヘミアの自然を愛したドボルザークの郷土愛が良く出ていて、ドボルザークの音楽を好きだと言う人ならぜひとも聴いていただきたい音楽です。

 ドボルザークの音楽全てに言えることですが、音楽そのものが愛情に満ちています。人に優しく暖かいのです。第8番の冒頭、チェロで始まる哀愁を帯びたメロディーからして、その愛情深さがじっくりと伝わってきます。

 そして全編小鳥が無邪気に遊ぶさまが音楽になっていて、行ったこともないチェコの森に引きずり込まれます。音楽はがっしりとドイツ風に作られています。それは明らかにブラームスを意識しています。然し、ブラームスのような、薄暗く、じめじめとした愚痴の多い、重たい曲ではありません。どんなに曲が複雑に絡まって来ても、明るく陽気に展開され明快です。聴く人を幸せにします。

 但し、音楽的にはドボルザークはどこか映画音楽のような軽い曲が多く、物足りなさを感じる人は多いかと思います。そうした点でチャイコフスキーに似ています。分かりやすく綺麗な曲なのですが、物足りないのです。

 然し、だからと言ってドボルザークが嫌いかと言うと、私は大好きです。 チャイコフスキーが、暗く、どうにもならないことを繰り返し思い悩んでいるのに対して、ドボルザークは物事の悩みに明快に答えを出します。そこが好感が持てるのです。

 しかもこの曲は、全編祖国愛によってつくられています。第一楽章の小鳥のさえずりはとても魅力的ですし、第2楽章になって、神秘性が加わり、ボヘミアの森の中に引き込まれ、不思議な昔話を聞かされます。話は時に大きく盛り上がりますが、やがてまた深い静かな森の中に消えて行きます。

 第3楽章は、ワルツです。然し、ウイーンやパリのワルツとは違い、随分と田舎臭い朴訥とした三拍子です。でも、そのローカルさが忘れられません。

 第4楽章は、これぞドボルザークの傑作です。すばらしくがっしりとした構成で出来ています。華やかなスラブ舞曲がにぎやかに演奏されて、曲は一気に盛り上がります。ソナタ形式も、ベートヴェンやブラームスのような気難しい議論や、主義主張がありません。見事な祖国愛でまとまっています。

 「新世界」が、1楽章から3楽章までは素晴らしい出来であるのに、第4楽章のみが、今一つ物足りません。第4楽章の冒頭など、どれほどすごい音楽になるのか、と期待をさせますが、後に行くに従って尻つぼみになってダレてしまいます。このため、新世界を聞くたびフラストレーションがたまります。

 それに対して、この8番はドボルザークの作った交響曲の中で最高の最終楽章だと思います。しかもお終いはボヘミア賛歌の大団円で終わります。ドボルザークの語りたかった音楽はまさにこれなのではないかと思います。

 

 そこで、演奏家ですが、古いですが、バーツラフ・ノイマンチェコフィルが、お家芸で、素晴らしいと思います。私が子供のころまで現役で指揮をしていた人で、1960年代のステレオ演奏ですが、演奏の仕方はテンポが速く、癖が少なく、それでいて細かなニュアンスがチェコ的と言えるのかどうかはわかりませんが、独特な音楽を聴かせます。聴いていて「こういう曲なんだ」。と説得力があります。

 かつてはジョージ・セルクリーブランド管弦楽団が一番だと言う評判でしたが、セルは正確無比で、演奏は素晴らしいのですが、どうも冷たい印象を受け、この曲には向かないと思います。

 同様に、カラヤンアバドも、巧いことは勿論ですが、ドイツ的な大きく重たい演奏になってしまいます。ブラームスドボルザークははっきり目指す世界が違うのです。ドボルザークはもっと俗人であり、田舎の親父なのです。それが分かると余りに立派な演奏はドボルザークに似つかわしくありません。さりげなく、飾らない演奏でないと、ドボルザークの良さは聞こえてこないと思います。

 どうぞ、初夏のさわやかな新緑の季節にぴったりな音楽として、8番を聴いてみてください。全編いい曲ですが、先ずは第一楽章から。

続く