手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

歴史の証人

歴史の証人

 

 このところ、youtubeショスタコーヴィチ交響曲11番が頻繁に出て来ます。11番と言う曲は、決してポピュラーな音楽ではありません。あとでお話ししますが、この交響曲は、第2楽章の内のわずか3分半の部分だけが突出して有名で、そこだけよく演奏されています。

 そこは、曲と言うよりも、打楽器のリズムが激しく響き渡り、三連符のタタタ、タタタと言うリズムが終始繰り返され、耳に残り、まるで追い立てられるように激しく緊張を高めます。

 11番と言う交響曲は、「1905年」と言うタイトルが付いています。1905年とは日露戦争のさ中です。日本も、ロシアも互いに戦争に疲弊して、国は破綻寸前でした。特にロシアは戦費がかさんで、兵士の給料も滞り、国民に新たな税金をかけるなど、厳しい経済状況が続きました、そのため国民の不満が高まり、デモを起こし、王宮に行進を始めました。これが後に言う「血の日曜日(1905年1月22日)」です。

 全く無抵抗の国民に対して、政府軍は機関銃を掃射して、国民を殺戮しました。この状況をショスタコーヴィチは音楽にしたのです。但し、曲の初演は1957年。

 音楽全体は暗く、死んだ国民へのレクイエムとして書かれています。そうした中で、この部分だけが緊迫していて物凄く個性的に書かれています。

 遡ること、1925年に作られた映画で、「戦艦ポチョムキン」と言う作品があったのですが、これは映画史に乗る名作で、1905年の市民のデモが描かれています。それが1970年代になって、リバイバルで上映されるようになります。その中に出てくる血の日曜日の場面に1957年にできた11番のこの部分が使われ、それが見事にリンクして、一躍11番の交響曲は有名になりました。

 この頃は私も20代だったため、この映画を見て、映画監督のエイゼンシュタインと、ショスタコーヴィチの音楽に感動したことを記憶しています。何にしても、「戦艦ポチョムキン」も、交響曲11番も歴史的な名作です。しかも、ショスタコーヴィチは、私が20代までは生存していた人で、私に取っては過去の作曲家ではなかったのです。

 

 ショスタコーヴィチと言う人は、私が以前に書いた通り、歴史的な作曲家の四大ネクラ(他の3人は、ブラームスチャイコフスキーシベリウス、)の一人です。

 中でもショスタコーヴィチは、生涯を通して、テーマが革命であり、戦争です。若いころは第二次世界大戦を経験し、一兵士としてドイツ軍と戦いました。その姿勢はファシズムに反発し、多くの名作を書いたのですが、同時に、ソ連国内の共産主義にも懐疑的で、スターリンに対しても内心では批判的でした。要するに、ナチも嫌い、社会主義も嫌いだったのです。然し、ショスタコーヴィチの生きた時代はスターリンの全盛期で、一切の批判は許されません。批判めいたことを言えば、密告され、そのまま裁判なしで銃殺されてしまうのです。

 当時の彼の音楽は、前衛的で、難解で、必ずしも万人受けする音楽ではありません。そんな音楽がスターリンに受けるはずもないのです。それでも才能は早くから認められていたため、度々演奏会に取り上げられる機会もあったのです。

 それが、ある時、彼のオペラを観劇したスターリンが、「つまらない」と、言った途端。ロシア中の音楽評論家が一斉にショスタコーヴィチ批判を始め、昨日まで彼を天才作曲家と持ち上げていた人たちから、一転して反社会主義的な音楽家としてのレッテルを張られ、立場が危うくなります。

 一時はいつ警察が来て連行されるかと、訪問者に怯える日々が続き、外出もままならなくなります。1930年代のソ連では、文筆家でも新聞記者でも作曲家でも、朝に警察が訪ねて来て、任意同行を求められたなら、もう二度と戻って来ることはなかったのです。

 彼の眼には、ファシズム社会主義も、ともに全体主義であり、悪夢だったのです。それから彼は、健気(けなげ)なほどにわかりやすい音楽作りをします。みんなが感動して団結したくなるような音楽です。要するにベートーベンの第9番のような音楽を作ろうとしました。その結果生まれたのが交響曲5番です。

 この5番の成功が彼をソ連国内で不動の地位に押し上げました。然し、彼が書きたかったのは「苦悩から歓喜へ」、の成功話ではなく、何の理由もなく殺されていった市民への鎮魂曲だったのです。

 戦って勝ち得た社会主義などどうでもよかったのです。そんなことよりも虐げられて虐殺されていった人々の声を残そうとして音楽を作り続けたのです。それゆえ、彼の曲は暗く寂しいのです。

 彼の曲はどれも長大で、悲しい音楽が延々と続きます。クラシックに興味のない人が聴いたら、3分も経たないうちに逃げ出してしまうような曲ばかりです。会社で取引先から嫌味を言われ、上司にきつく叱られ、辛い思いをして帰ってきたお父さんが、夜中にこっそりビールを飲みながらしみじみ聴く音楽としては、余りに不向きで、聞くと気持ちが暗くなるような、報われない音楽なのです。それゆえに、彼の音楽はポピュラーにはなり得ないのです。

 但し、youtubeの発達により、面白いところだけ抜き出して聴くと言う聴き方が出来るようになりました。しかも、別の指揮者が何人も同じところを演奏しています。聞き比べるのも面白いでしょう。

 指揮者は、ムラヴィンスキー指揮のサンクトペテルブルグフィルハーモニーが群を抜いていい演奏です。曲の厚みと言い、音楽の正確さと言い、即物的な、少し冷たい感じのする冷徹な演奏は曲にぴったり合っています。

 

 ムラヴィンスキーショスタコーヴィチは共にペテルブルグの出身で、ムラヴィンスキーは度々ショスタコーヴィチの音楽を初演しています。最もショスタコーヴィチを理解していた指揮者で、生涯ショスタコーヴィチを演奏し続けました。

 但し、練習には厳しく、ある演奏家が、リハーサルで三回同じところを間違えたときには、何も言わずに一分間睨みつけたそうです。そして翌日、その演奏家は楽団から消えていたそうです。にらみで音楽家を抹殺したのです。音楽界のスターリンのような人です。こういう指揮者はもう永久に現れないでしょう。

続く