手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

日本奇術 西洋奇術 5

日本奇術 西洋奇術 5

 

 さて、それから私がして来た活動は、手妻の古い型や演出を生かすために、部分的なアレンジを加えたり、オリジナルを加えたりして、手妻の演技を一つ一つ手直して行きました。

 それも出来るだけ見た目には、いかにも昔からある手妻であるかのように、ほとんど手を加えていないように見せつつ、その実、より不思議に見えるように種仕掛けにアレンジを加え、ハンドリングを加え、更には、より古風で美しく見えるように、振りや演出も変えて行きました。

 

 そうするためには、10代から通っていた日本舞踊や、長唄が大きく役立つことになりました。手妻、和妻をする人の中で、日本舞踊を学ぶ人は少なからずいますが、ほんの1年2年程度、基礎を学んでやめてしまうのでは雰囲気は身に付きません。

 習い事は、長唄でも三味線でも鼓でも、少なくとも10年続けなくては、芸能の本質は理解できません。踊りは振りを学ぶことではないし、意味もなく番数を覚えることでもありません。雰囲気が自然に身についてきて、心の中を体全体で表現できることが大切なのです。

 私が本格的に手妻のアレンジを始めた30代に至って、それまで10数年学んできた伝統文化が大きく役立ったことは言うまでもありません。

 但し、私は踊りも、長唄も、鼓も下手です。何も自慢できるものはありません。ただ、自慢できることは飽きずに続けて来たことです。何事も、すぐに成功を求めようとしても役には立ちません。

 稽古事は、銀行利息のようなもので、長く続けていて、預金していたこともすっかり忘れたころ、ほんの一滴(ひとしずく)、身についてきて、芸の一部分に多少の役に立つ、と言ったものなのです。

 

 さて、手妻の様々な改案を始めはしましたが、マジシャンの中には、自分のアレンジや、オリジナルを公言して自慢する人がいますが、マジックは本来、部分的なオリジナルなど見ているお客様にはどうでもいいことなのです。むしろ完成した全体の作品がどれだけ感動を与えるかが最も重要なのです。

 むしろ、私が何かを変えたことがあからさまに見えないように、新規に変えた部分が突出しないようにすることが大切で、それでいて、本来の手妻よりも不思議で、振りも美しいものに造り替えて行くことが大切なのです。

 そうしなければ若い人が手妻に近づいてこないことは明らかだったからです。私が30代の頃、よく同年代のアマチュアさんに言われたことは、「日本奇術は不思議さがない」。と言うものでした。

 実際手妻は、箱や、シルクの影からものを出す現象が多く、ビジュアルに変化を見せたり、ダイレクトに不思議な現象が次々に重なるようにして起こる演技が少なかったのです。

 それは手妻が、スライハンドが発展する以前から存在した芸能なため、ビジュアルに不思議を提供できないことは致し方のないことではあるのです。然し、現代のアマチュアや、お客様はそんなことを忖度したりしません。面白いものは面白いと言い、つまらないものはつまらないと言います。

 お客様の期待に応え、期待値を超えた演技をして見せなければこの先手妻が生き残ることは出来ないのです。そのため、ダイレクトな不思議や、連続する現象を付加して行くことが必要でした。そうして不思議を作り上げたなら、今度はそうした不思議を隠して行かなければなりません。これは一見矛盾した行為ではありますが、実はそれこそ手妻の本質なのです。

 

 まずきっちり不思議を作り上げ、お客様に不思議を見せつつも、その不思議を決して強調することなく、型や振りで市井風俗を演じて見せて、微妙に論点をずらしてお客様に不思議を詮索されないように配慮し、決してお客様と敵対しないようにして、さりげなく終わらせる。これが手妻の本質なのです。

 不思議さを見せつつ不思議の押し売りをしない。不思議なことはさっさと忘れてもらう。むしろ演技を見終わった後には、演者の人としての魅力や、表現する世界の面白さでお客様を引き込んで行く。こうした面白さを伝えられて初めて、手妻は完成します。不思議を内包して、露骨に表に出さない世界を表現できたなら手妻は世界に誇る芸術になります。

 さて、口で言うことはたやすいのですが、それを一つ一つ作品で表現して行くとなると膨大な時間と、知識、技術が必要です。30代40代の私は、片方でイリュージョンチームを維持しつつ、そこから出来た利益を手妻に使い、古い手妻を調べて再現したり、習ったり、わずかな時間もアイディアを考え、ひたすら作品作りをしていました。

 

 例えば、蒸籠(せいろう)は古い万倍(まんばい=プロダクション)の作品ですが、あの木箱の中の仕事を、4面ガラスを嵌めた小箱の中で行えないだろうか。

 全部素通しの箱の中で次々と絹ハンカチが出たなら面白い。そんなことから考えたものが「ギヤマン蒸籠」でした。無論、こうした作品は古典にはありません。よりビジュアルな、明快な手妻が欲しくて考えたものです。

 透明な小箱から次々にシルクが出現して、更には大きなシルクが出て、シルクの中から傘が咲く。現象を次々に重ねて手順を作り、一連の作品にしたものです。

 不思議が次々に起こらなければ、現代のお客様から手妻は注目されないと考えた答えがこれです。こんな演技をしながらも、傘が出たならゆっくり見得を切って、しみじみと和の世界を見せて終る。そんな演技が手妻なのだと思います。

 双つ引き出し(夫婦引き出し)でも、煙管を使って、出て来た玉を掬いあげて、出したり消したりする。その煙管の扱い方や振りで、マジックの不思議を忘れさせるように演出しました。そんな工夫をして手妻をアレンジして行ったのです。

 蝶や、水芸の改案は度々ブログで書きましたので、ここでは割愛します。こうした中で、手妻と言う芸能がどう演じるものなのか、何が手妻なのかの答えを私なりに出せるようになって行きました。

 それは私の芸の完成ともいえるものなのですが、同時に大きな問題を抱えることになりました。そのお話はまた明日。

続く