手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

どう残す。どう生かす 3

どう残す。どう生かす 3

 

 蒸籠(せいろう)

 蒸籠とは、饅頭や、茶わん蒸しをふかすときに使う、木枠です。四面が枠(わく)になっていて、底板は簾(すだれ)が敷いてあり、簾の上に饅頭を乗せて。鍋の上に乗せ、鍋の中の水を沸騰させて、湯気で饅頭をふかします。何も私がここで蒸籠の説明をする必要はないのですが、あの木枠を用いて、中から品物が出てくる手妻を考案したのです。

 時代は、元禄を過ぎた頃でしょうか。1700年くらいから蒸籠が見られるようになりました。それまで取り出し手妻と言えば、緒小桶(をごけ)と呼ばれる二本筒で、部屋に置く屑籠のような、小さな桶を二つ、入れ子にして、交互に改めて品物を出しました。西洋にもある二本筒のマジックがそれです。

 然し、蒸籠が出来ると、道具が簡易で、しかも中を完全に改められる蒸籠のほうが不思議であったらしく、をごけは次第に演じられることがなくなって行きます。をごけは、これはこれで面白い手妻なのですが、それを復活させた話はまたあとでお話ししましょう。

 

 蒸籠は古くは組み上げ蒸籠などと言って伝授本に紹介されています。四枚の板を舞台の上で、はめ込んで箱をこしらえます。実際の蒸籠もそのように組み込んで作ってありますので、単純に板を組んで蒸籠を作って見せたのでしょう。そうして作り上げた蒸籠に、底板(簾ではなく平らな板です)を当てて、中から古裂(こぎれ)や、人形など様々な品物を出したのです。

 実際にこのやり方で演技をすると、箱を作るまでが時間がかかり、その間がダレ場になってしまいますので、今、組み上げ蒸籠をする人はいません。箱はできた状態で始まります。但し蒸籠は、仕掛けの場所が狭く、殆ど品物を出せません。そのため、始めにシルクを3,4枚出した後、それをテーブルにおいて、あとでシルクを掴み取って来るときに、人形や、くす玉などを一緒に持ってきて、蒸籠に入れます。

 たくさん品物を出そうとすれば、何度も掴み取りをして来なければならず。結果として同じハンドリングを繰り返すことになります。古典芸の限界がそこにあります。西洋マジックでいうスチールの手段が限られているのです。

 手妻の世界では、昔は、外から入ってくる人は限られていて、弟子か、子供に一子相伝で扱い方を教えていたため、古いやり方を改めることをせずに、これが昔からのやり方だと、殆ど原作のまま残されて来たのです。昭和の40年くらいまでは、こうした蒸籠を演じる人がたくさんいました。

 然し、西洋奇術が氾濫するようになると、手妻のネタどりは如何せん欠点が目立ちます。演者の都合で演技が展開され、不思議さが感じられないものが多々出て来ます。

 蒸籠の原案では、テーブルに預けた3枚のハンカチを品物と一緒に持ってくるまではいいのですが、ハンカチと品物を蒸籠の中に入れ、そのあとで、ハンカチだけ再度摘んで、また元のテーブルに戻してしまいます。これでは一体何の用事でハンカチを蒸籠に戻したのかがわかりません。

 ハンカチは蒸籠の中に残しておくとそのあと取り出すくす玉や、人形の邪魔になるため戻したのでしょうが、ハンカチを持ってきた意味が不明です。こうした手順が200年以上続けられて来たゆえに、手妻は矛盾に満ちています。

 理屈に合わないことは継承せずに、話がすっきり通るように直さなければいけません。

 

 そこで私は蒸籠の改良を始めました。蒸籠には四面の板があるのですから、その板を一面だけ使うのではなく、四面始めから取り出し物を仕込んでおけばほとんどつかみ取りの必要はなくなります。更に底板にも取り出し物を仕込んでおけば品物の出る量は飛躍的に増大します。但しそのためには品物を入れておいても飛び出さないようなストッパーの考案が必要です。いろいろ工夫してそれを作り上げました。

 そこで出来たのが、「五宝蒸籠」でした。五宝と言うのは、五種類の宝物が出る蒸籠と言う意味ですが、同時に、五か所に仕掛けが隠してある蒸籠と言う意味もあります。この蒸籠一つで、テーブル上はいっぱいに品物が飾られて、しかも反物から傘出しまで続けると、舞台一面、傘や花や人形でいっぱいになります。初めに小さな黒い箱が一つあっただけなのに、お終いは舞台一面華やかに飾り付けて終わります。

 今どきプロダクションマジック(物が出てくるマジック)は、昔ほどマジック関係者の間では評価されずらくなっていますが、物が出てくることの喜びは根源的なもので、多くの人の心の奥にはこれを喜ぶ気持ちがあります。

 関係者なら出てくるところがわかっているため、それをレベルが低いと言って否定しがちですが、それは間違いです。プロダクションマジックは、多くの人が想像している手妻のイメージを具現していると思います。

 しかも、ただ単に物を出すのでなく、ハンカチの扱いなどのわずかな所作の中にも古い手が残っていて、独特の雰囲気を作っています。これは文化として残さなければいけません。要は、古いハンドリングは尊重し、不思議でない部分は不思議を加味して、作り直せばいいのです。

 

 私は、手妻のアレンジをしていていつも思うのですが、アレンジをする人に最も求められていることは、芸能に対する愛情なのだと思います。愛情なくして、古典を見ていると、何もかもが未熟に思えます。実際未熟な部分も多々あるのです。

 然しだからと言って、駄目だ、つまらないと言ってしまうとその時点で古典はつぶれてしまいます。ちょうど赤ん坊や子供を育てるときにように、未熟は未熟として認めても、そこに愛情を注いでゆとりを持って見守ってやると、本来持っている素晴らしい素材が生き生きとしてきます。

 駄目から始めるのではなく、長い歴史の奥底にある先人の工夫をいかにして引っ張り上げやるか。その気持ちがなければ古典は生きないのです。

 私の師匠などが蒸籠を演じていたときには、30㎝のシルクが数枚出たり消えたりしていました。今時のアマチュアでさえ、45㎝程度のシルクを使うでしょう。プロなら60㎝を使うはずです。然し、昭和40年代までの奇術師は30㎝だったのです。今見たら木箱から30㎝のシルクが出たところで冴えない現象です。

 然し、当時の奇術師としては精いっぱいの投資だったのでしょう。然しそのシルクの扱いはなかなかきれいでした。昔の手妻は素朴で地味なものでしたが、それはそれでなかなか味わい深いものでした。今思い出すとなぜか涙がこぼれます。

続く