手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

流れをつかむ 6

流れをつかむ 6

 

 「紙卵」がいい手順で仕上がると、卵をはっきり印象付けるような前芸が欲しくなりました。常識的には「袖卵」を演じるべきなのでしょうが、私はこのころ袖卵と言う手妻に疑問を感じていました。

 卵が4個5個と出てくる袖卵は、和の型が残っていますし、美しい手妻だと思います。然し、異常なほど大きな袋(着物の袖をイメージしてできています)から、小さな卵が一つ、また一つと出てくるというのは、袋のサイズから考えて不思議さが薄いように思います。演じ方も最後まで一つ一つ卵が出てくるだけですので冗長に感じられます。これを取り入れて、果たしてお客様が喜ぶかどうかと悩みました。

 

 袖卵は明治になってできた手妻です。江戸時代の資料を調べても袖卵は出てきません。恐らく西洋人が演じる袋卵を譲り受け、それを、卵がたくさん出せるように改良して作ったものが袖卵なのでしょう。

 この時代は物が出るということがとにかく喜ばれました。物のない時代ですし、特に卵は貴重品でした。私が幼いころですら、卵一個は10円もしました。昭和30年代の10円は、今の100円以上の価値です。

 握り寿司に乗った卵焼きは、マグロの中トロや鯛と同価格でした。子供にとっては寿司屋の卵を親に気兼ねせずに何個も食べたい。と言うのが夢でした。それが昭和30年代です。現代人が卵を見る目と、明治の人が卵を見る目は全然違うものだったのです。

 そうした庶民の憧れを反映させて、袋卵を大きくして、袖卵にしたのは、時代的には正解だったのでしょう。然し、今それをどう伝えるかと言うと難しいと言わざるを得ません。袖を裏と表を一回ずつ丁寧に改めて、卵が一つ出てくる。これを繰り返して卵が一つ出る。この芸を果たしてお客様は面白がって見るでしょうか。

 

 むしろ、袖卵が生まれる以前に、袋卵から3個程度卵を出していた時代があったのです。それは私が子供のころでもまだ、松旭斎の女性方が袋卵で3個卵の出る手順を演じていました。多少今の袋よりは大きかったですが、袋卵だったのを記憶しています。

 今日の西洋の袋卵が、一つの卵を出す不思議を強調しているのに対し、かつての日本ではあくまで卵の数にこだわっていたのです。

 私は、袋卵で卵を3個出すやり方は面白いと思いました。これをしっかりした手順にアレンジして、スピードアップを図り、卵が3つ出る手順を復活させました。そして、そのあとに紙卵をつなげて一手順にしました。但し、袋卵も、紙卵も、卵と言うと、現象の先言いになります。この手順を私は「紙片の曲」と名付けました。この作品は評判がよく、弟子も生徒さんも、私自身もたびたび演じています。

 

 ところで、「袖卵」は、その後になって、大阪の帰天斎正華師匠から、帰天斎流の袖卵を習いました。これは、袖の表でも裏でもどちらからでも卵が出現します。裏と表を必ず一回一回改めて卵を出す式よりも、改めが半分で済みます。しかもハンドリングが美しく、この袖卵は優れものです。

 但し、卵を5個出しただけでは結末が盛り上がりません。そこで、ラストに大きなグラスを出すアイディアを加味しました。グラスに卵を割って入れるのが結末です。これも受けのいい手妻ですので時折演じています。

 

 さて、袋卵、紙テープの復活、紙卵、と、3つの作品をつなげて、4分30秒の作品にしました。実はこうした一連の作品をつなげて演じるという方法は、あまり手妻にはなかったやり方なのです。例えば蒸籠のように一作で10分以上かかる手順なら、間に才蔵さんとの掛け合いが入り、不思議あり、笑いあり、一作品で十分な内容になります。

 ところが、例えば紙卵と言う芸は、チリ紙を丸めて扇子の上で卵にしただけなら、約1分の現象でしかありません。ここだけ演じて、次に別の演技をするというのでは、はなはだまとまりが悪いショウになります。手妻には、このように、絶海の孤島のように周囲から取り残された作品がたくさんあったのです。

 それらの作品を3つ4つ集めて一つの流れを作るのはそう難しいことではありません。然し、3つの作品を一つにまとめるとなるとやたらとテーブルの上に小道具が並びます。演じる前にそれらを舞台に並べ、また終わってかたずけるのに時間がかかります。一つの盆にすべてが並んでいて、それを片付けた後に、すぐに次の手順の並んだ盆が出せたなら効率よく演技ができます。

 そこで飾り箱を工夫しました。きれいな飾り箱を作り、そこに、扇子2本、ワイングラス。卵を並べる台、小皿など一式を収めて、きれいに飾り付けます。テーブル上に置いてあるだけで、お客様が興味をもって期待して見てくれるようなディスプレイを考えたのです。

 無論こうした考え方は手妻にはありませんでした。ただ何となく、はるか300年前から手妻はこんなだったんだ、と思わせるような作りを考えて飾ってみると、手妻は一気にグレードアップして見えます。私は秘かに、「あぁ、私の人生はこうして手妻の格上げをすることで、先人が本当にしたかった世界を作り上げることなんだなぁ」。と知りました。

 

 いくつかの作品をつなげて、5分とか8分の演技にするという作業はその後も随分作りました。「真田紐の焼き継ぎ」も、シルクの出現、真田紐の焼き継ぎ、紐抜け、の三作をまとめ、おしまいに絹の帯が出てきて、傘が出るまでを8分の演技に仕上げました。

 真田紐の演技も、明治時代に入ってきた、ターバン切りと言う紐切りの変形です。蝋燭(ろうそく)で焼き切るところが古風ですが、鋏で切れば紐切りと同じです。これも切ってつなげるだけなら2分とかかりません。他に二本の紐を使っての紐切りの手順がありませんから、これはこれで単独の演技です。

 演出も、作品もいいマジックです。但し、現代にこれだけを見せられて、どうです?面白いでしょう。と言われてもお客様は困ってしまうでしょう。

 まず二本の紐を一緒にして焼くという原案に注目して、二本の紐を使った手妻を探してみると、紐抜けがちょうどそれにあたります。そうなら、真田と紐抜けはそのままつなげられます。次に紐抜けで使うシルクをどこからか出したなら面白いと考えました。

 全体のイメージを考えると、真田で使う蝋燭の炎の中から、3枚のシルクを次々出せば、蝋燭をうまく活用できます。しかもシルク出しをオープニングに演じたなら、神秘的で、スピーディーで華麗で面白いだろうと考えました。

 こうしてシルクの出現、真田紐、紐抜け、の三部作をまとめ、飾り盆をこしらえて一つの作品としました。タイトルも真田紐の焼き継ぎでは現象の先言いになりますので、「陰陽水火(おんみょうすいか)の術」と名付けました。小さな道具で8分もかかる演技になりましたので、これも好評です。

続く