手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

春は名のみの 3

春は名のみの 3

 

 この三日間は、香港で公演したときの話をしています。私は、手妻と言う日本の古典奇術を演じることで仕事が成り立っています。看板芸は、蝶のたはむれであり、水芸です。水芸は大きな装置で、一回の公演も費用がかかるために、そうそう頻繁に演じることはありません。

 もっぱら、依頼されるのは蝶の手妻です。ところが、蝶は、出来る場所が限られます。例えば、野外だったりすると、風が吹いて、蝶がどこかに飛んで行ってしまいます。強風の吹くような場所で蝶は出来ません。

 無論、仕事を引き受ける段階で蝶が出来るかどうかは先方に尋ねます。「この状況なら問題ない」。と思って、お引き受けするのですが、実際出掛けてみると、巧く出来ない場所もあります。

 蝶が出来ないとなったときに、どうしたらお客様が納得する舞台が出来るかと、いろいろ苦慮します。まぁ、蝶がなくても他の手妻で充分面白いショウが出来たなら、別段苦情は来ないのです。

 余りに蝶に頼り過ぎてしまうと、蝶が出来なければ、全く期待外れに言われて、先方の気分を悪くする結果になります。そこで事前に、「ここでの蝶は難しそうだな」。と思えば、手妻の道具を何点か余分に持って行き、不測の事態に備えるようにします。

 蝶をするかしないかは、現地でリハーサルをしながら判断を立てます。香港のように、仮設舞台で、多少の観客が回り込んで見ているような状況では、蝶だけでなく、他の作品も難しい場合がありますが、その時は一部手順を変えます。

 もし蝶が出来ないとなったときには、道具を差し替えます。私はどんな時でも30分と言われたら30分、45分やってくれと言われたら45分演じます。時間に関しては、1時間でも演じることは可能です。

 但し、ただやればいいなら何とでもなりますが、お客様が納得して、満足してくれた上での45分は簡単ではありません。初めに傘出しや引き出しの手順を8分演じます。これはスライハンドですから、音楽に載せて、軽快に演じますので、お客様は興味でずっと見ています。それが終わると、サムタイなり、お椀と玉なり、札焼きなどを演じます。

 サムタイは、もう私にとっては王道ネタですから、まずお客様は付いてきます。傘の演技が8分、サムタイが10分かかっていますので、ここまでで演技開始から約20分経過しています。

次に、お椀と玉となると、小さな道具ですし、演技自体も20分も経過していますので、この辺りからお客様の集中力が途切れ始めます。ここを乗り切るのが一苦労です。巧く私のパーソナリティをお客様が理解してくれて、信頼の元に手妻が進んで行くなら、楽なのですが、何かの理由でお客様の気持ちが離れてしまったら、そこから先の舞台は散々なものになります。

 「この辺りが演技の肝かなぁ」。とこの観客の離れ具合を計算して判断を立てます。余り観客が乗ってこないようなときには、私は、話を弟子に振ります。弟子修行の話をします。つまり、お客様の興味を変えるのです。全くマジック的でない、世間話のような話をすることで目先が変わって、お客様が付いてきます。

 マジシャンはどうしても、次から次とマジックを見せようとしますが、見ている側からすると、そんなにマジックが見たいわけではないのです。むしろ、マジシャンがどんな人物なのか、人となりに興味を持っている場合が多いのです。

 そうなら、ここらでマジシャンについて話をするのは新たなお客様の興味を芽生えさせる上で大切です。そこを勘違いして、「次はもっと不思議なマジック、さらに次はもっと強烈なマジック」。と不思議ばかりを提供すると、観客はマジックに醒めて行きます。

 長い演技をしようとするときに気を付けなければならないのはここです。長い演技は、例えば、ひとつ5分の演技を、10個並べれば50分の演技ができると言うものではないのです。種仕掛けの興味だけではお客様は引っ張れません。

 さて話を戻して、弟子の話をして、お椀と玉まで演じて、25分の演技です。更にもう一つ喋りの手妻で札焼き(さつやき)や、若狭通いの水などを演じてもいいのですが、もうここまで来ると如何に喋りが面白くても、小さな手妻ばかり並べて演じることに、お客様は飽きて来ます。

 そこで、弟子に金輪の曲を演じてもらいます。リンキングリングです。セリフや、振りが入って、しかも曲に載せて演じる手妻ですので、調子が良く、演技を盛り上げることができます。この演技が10分かかります。

 これで35分です。その後、蝶を演じたなら、蝶は10分の演技ですから、45分になります。さて、ここで蝶があって、終わったなら、拍手喝采となりますが、はじめに書いたように、蝶が出来ない場合があります。そんな時には何とか蝶に匹敵する、大きな盛り上がりを作らなければなりません。

 結果としては、連理の曲と言う、半紙を切ってつなげ、お終いに滝、吹雪に変わると言う、いわば蝶を飛ばさずに後半だけ演じる手順がありますので、それを演じます。但し、効果は明らかに蝶より小さいので、これをトリに持って行くのは、別の意味で技術を要します。

 ただ単に連理を演じただけでは深く印象を残すことは難しいのです。そこで、先に弟子が金輪を演じたことに関連して、自分自身の弟子修行の話をして、師匠から学んだことなどいくつか話して、連理が10代で覚えた手妻であることを伝えて、初心に帰る意味で連理を演じて締めます。いわば喋りのテクニックでまとめ上げてしまうわけです。

 これで、拍手喝采となったなら、蝶の演技に頼ることなく、お客様に納得して頂いたことになります。簡単なようですが、容易ではありません。蝶を演じて90点取れる演技を、蝶なしで、60点50点と言うのでは仕事になりません。何とか80点くらいで収まるようにするには、60年マジックを続けて来た様々な技を生かす必要があるのです。

 

 香港ではフル手順が出来ましたので演技の不安はありませんでした。多くの皆さんから感謝をされ、舞台を終えました。

 夜に羽田に到着すると、もう日本では桜が咲くころかと思っていましたが、帰って見ると風が冷たく、「とても桜はまだだなぁ」。と感じました。僅か二日間滞在しただけで体は香港の人になっていました。

 車から夜の街を眺めると、東京は整然としていて、とても綺麗でした。香港の人が日本に来たなら、随分様子の違う国に来たと思うでしょう。車窓を眺めながら、何気に、子供のころ歌った早春賦を口ずさんでいました。

 「春は名のみの風の寒さや。谷の鶯 歌は思えど、時にならずと声も立てず」。なぜ50年以上も昔に覚えた歌を思い出したのかは謎です。子供のころ、この歌詞を聞いて「随分上品な詩だなぁ」。と感じたことを思い出しました。いい詩、いい風景、風は冷たいですが、もうすぐ桜の季節です。

続く