手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

流れをつかむ 4

流れをつかむ 4

 

 手妻のアレンジを真剣に始めたのは平成5年からでした。無論、今までも手妻やマジックをアレンジする活動はずっと続けて来ました。然し、この時から小手先のアレンジではなく、手妻の歴史や、手妻の成り立ちを踏まえて、思い切った改良をしようと考えたのです。何しろ時間はあります。じっくり一作一作考えてゆきました。

 手妻には優れた要素がたくさんありますが、同時に人がやりたがらない理由もあるのです。例えば不自然なハンドリングや、冗長と思われる手順がなぜか今まで手妻として繰り返し演じられて来たためです。手妻を発展させるにはその根本から考え直す必要があったのです。

 

 手妻の改良には、昔私が12本リングをアレンジしたときの作業が随分役立っています。12本リングは、昭和40年代末で既に演じる人が殆どいなくなっていました。なぜマジシャンが演じないのか、問題を探り出して改良したのです。20歳の時のことです。

 これほど面白いマジックであるにもかかわらず、12本リングを演じない理由は、お客様に渡して調べてもらったリングを返してもらっておきながら、トリプルリングも、ダブルリングも外して見せなかったからです。

 返してもらった12本のリングを腕にかけて、両手を握り、両腕で輪を作り、腕の中で全部のリングを車輪のごとくに大回転させて、「はい、このようにバラバラになりました」。と言って外したことにしていたのです。

 現在、私の手順を知っている人たちが、昭和40年代までの12本リングを見たなら、目を丸くして、「これがマジックか」と思うでしょう。

 つまり、旧手順にはリングのスライハンド的な要素はまったくないに等しかったのです。1,2本のつなぎ外しが一切ないのです。そしてすぐに手順は造形作りに入ってしまいます。全体で7分くらいかけて演じていた古い手順の、5分以上は造形に費やされて、殆んど技の見せ場がなかったのです。

 まず、私は、12本リングをマジックとして成り立つ芸にしなければならないと思いました。(おかしな言い方ですが、古い手順をアレンジするときに、先ず、マジックとしての不思議さを加味しなければならなかったのです)。

 具体的にはトリプル、ダブルのリングを外して見せることが最低必要だと考え、外し方にアレンジを加えました、その上で、基本的なつなぎ外しのハンドリングを足して、お客様に渡す改めから、全部外すまでを2分30秒で仕上げました。ここまでは喋りで演じ、音楽は使いません。

 後半は音楽を使って、造形つくりを2分30秒で演じるようにしました。造形は、形の説明を前半の喋りの部分で語ってしまい、音楽が流れたら一切喋らないようにしました。こうすることで、前半と後半に変化を作ったのです。

 この判断は正解でした。その後12本リングはずっと私の得意芸になりましたし、今も若い人から指導を求められます。

 

 この改良の仕方を基にして、今度は手妻の本質から探って、手妻に大胆なアレンジを加えて行こうと考えました。改良は多種にわたりました。「おわんと玉」「夫婦引き出し」「蒸籠(せいろう)」「真田紐の焼き継ぎ」「卵の袋」「紙卵」「蝶」など、どれも数か月から作品によっては5年以上かけてアレンジして行きました。

 始めに手掛けたのは「お椀と玉」でした。とても魅力的な演技です。第1弾の、三つの椀にそれぞれ玉を入れ、玉が真ん中の椀に集まる「中寄せ」の段などはどこの国のカップ&ボールにもない優れ物の手順です。

 またラストの、椀に入れた玉が椀の上に上がってくる「登り玉」の段とそれに続く「大玉」の段も、個性的で、ネタ取りはカップ&ボールよりも優れたハンドリングだと思います。

 にもかかわらず、お椀と玉を演じる若者が殆どいません。なぜか。それは、途中の手順にあります。すべてパーム(握り渡し)とバニッシュ(消失)の繰り返しなのです。すべてが右手に持った玉を左手に渡す動作で玉を消します。椀も玉も3つありますから、一段演じるたびにすべて同じ動作のパームを3回繰り返します。

 演技は全部で6段、乃至は8段ありますから、パームが実に14回くらい繰り返されるのです。5分から8分かかる手順がほぼ一つの技法で進行しています。これではマジックとしての限界が見えてしまいます。

 なぜこんな手順が今まで継承されていたのでしょう。実際、江戸時代にお椀と玉を演じていた手妻師はたくさんいたのです。彼らは本当にこんな手順を演じていたのでしょうか。

 いや、そうではなかったのです。伝授本などを見るともっともっとバラエティに富んだ手順を見せていました。それがどうしてこうした手順が残ったかと言うなら、恐らく伝授屋(個人指導家)の出現によって、お椀と玉が形骸化して行ったからだろうと思います。

 素人さんに教えるためには、技法はなるべく易しく、手順は簡易に演じることが求められたのでしょう。つまり今に残るお椀と玉は、祭りの屋台などで見せていた技巧的なプロの演技ではなく、素人向けにアレンジされたお椀と玉だったと考えられるのです。(当時のプロは指導をしませんでしたから)。

 

 そこで改良が始まりました。まず。取りネタの大玉をどこに隠しておくかが問題です。当時はテーブルの類を使いませんし、ポケットから持ってくることもありません。さてどこにしまっておきますか。

 私は、お椀を入れる木箱を作りました。その木箱を金襴の布地で包んで、房紐で縛りました。こうすると、宝の袋にようになりました。お客様の前で房紐をほどくと、金襴の布は自然に広がり、金襴の裏地にはビロードが貼ってあるために、そのままテーブルマットになります。つまりあえてテーブルマットを別に持って行くことをしないで、マットを敷く方法を考えたのです。

 しかもこのマットが大玉をしまう仕掛けになっていますし、小玉を途中で処理する落としの仕掛けにもなっています。これは我ながらいい工夫だと自負しています。つまりこれがあれば座敷であろうと、クロースアップ会場であろうと、どこでもセットなしでお椀と玉が演じられるのです。

 無論、パームの回数は極力減らし、まったく新しいハンドリングも加えました。この手順は好評で、アメリカでも、韓国でも、香港でも依頼があり、随分世界各地で演じました。今ではその後にバリエーションも生まれ、私の一門では頻繁に演じられています。

続く