手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

春は名のみの 2

春は名のみの 2

 

 昨日に続き、香港のお話。16日の朝8時ころ朝粥を食べたあと私は、香港の街を歩いていました。陽気は少し蒸し暑く、町全体に薄くもやがかかっていました。私は厚手のシャツに、厚手のジャケットです。そんな恰好で歩いている人は殆どいません。短パンに、半そでシャツ姿の人ばかりです。

 然し、短パン、半そでシャツで歩くほどには暑くはありません。私の格好でも汗は出ないのです。慣れの違いでしょうか。

 部屋に戻って、シャワーを浴びて、荷物を仕分けていると、迎えの通訳さんがやって来て、これから出ると言いました。いつでも連絡が突然で、来るとすぐに出なければなりません。

 会場まではタクシーで行きます。タクシーは、中国語で的士と書きます。車に乗って10分ほどでエアサイドに到着。大きなショッピングセンターです。

 その二階に広場があり、一面桜のディスプレイに飾られた祭り会場が出来ていました。控室は、23階の会議室。立派な部屋です。7階から上はすべてオフィスとしてつくられています。

 一回目は3時の出演、二回目は5時30分の出演です。一回目と二回目の間が短く、セットが十分にできるかどうかが心配です。そのため、一回目は、傘出しと蝶で15分の手順。二回目は、傘、サムタイ、蝶で30分の手順です。サムタイはお客様を舞台に上げ、話をしながら進行する上に通訳が付きますので、確実に10分以上かかります。そのため、一回目のショウはサムタイカットです。

 さて急ぎセットを終えて二階に降りると、もう広場は人で溢れています。舞台裏に回って、時間待ちをしていると、全く予定にない、子供を上げての浴衣コンテストをしています。これが結構盛り上がっています。然し、私の出演時間になっても終わる気配がありません。

 進行に尋ねると、日本の大使が見えていて、祭りを楽しんでいるらしく、大使を喜ばせようと、司会が盛り上げて企画が伸びているようです。多少の遅れは致し方ありませんが、まずいのは、それによって、二部のショウが間に合わないことです。

 結局、30分以上予定を押して、私の出演となりました。いつもの傘出しと傘による人力車の引っ込み。そして挨拶をして、蝶の演技、無事20分以内に演技を終えました。ところが、主宰の向谷さんが、司会を割って入って来て、「サムタイをやってくれ」。と言います。私は今の時点で企画が30分以上伸びている上に、サムタイをすれば更に10分以上伸びるため、出来ないと言うと、「大使も来ていることだから、サービスして」。と言います。

 たっての願いとあれば致し方なく、サムタイをしました。幸いに好評で一回目のショウは終わりました。しかし問題は二回目です。フル手順を仕込むには1時間かかります。慌ててセットをするとうまく行きません。でもあと1時間しかありません。そのため、30分ショウを遅らせてもらうことにしました。

 6時の出演に間に合うように、セットをしていたのですが、その間、ランチを食べる時間がありません。そもそも、この企画はランチをいつ食べるのかの指定がないのです。まぁ、仮に指定があっても、この日程では食事は出来ません。何もかも香港タイムです。ショウが終わってからの食事を愉しみに、セットアップを済ませて、再度会場に向かいました。またまた人はたくさんいます。

 私は、この企画が1時間押していることを考えて、二回目の手順はサムタイを外すことを伝えました。そして、実際、その通りに、傘と蝶を演じて終わろうとすると、またまた向谷さんが現れて、「サムタイをやってくれ」。と言います。私は反対しましたが、懇願され、サムタイを演じました。

 ショウを終えて、道具を片づけ、さて食事をしようと言うと、通訳は、街に出ようと言います。かれこれもう8時です。私は昼飯をスルーされて少し機嫌が悪くなり、「外に出るのでは時間がかかるから、ここのレストランで食事をしましょう」。と不快感を現しました。言われて通訳は、階下のレストランに我々を案内し、ようやく食事が始まりました。

 晩食のメンバーは、日本の凧を継承している凧師の小野さんと、私と弟子の朗磨と女性の通訳さんです。出てきた料理は、青椒肉糸と、酢豚、豚肉と野菜の炒め、福建チャーハン、スープ。でした。この店は、レベルの高い店で、何を食べても旨いと感じました。但し、酢豚は、広東風で、中にパイナップルが入っています。パイナップルはいい味なのですが、元々広東風は甘い味付けが多い上に、この酢豚はパイナップル入りで、まるでお菓子のように甘く、これは問題ありでした、然し肉質はいいものでした。

 何と言っても、お目当ては福建チャーハンでした。10年以上前に、台湾で福建チャーハンを食べて以来、私はこれに恋をしてしまいました。日本に戻って、福建チャーハンを探しましたが、どの店も台湾ほどの味わいがありません。チャーハンの上にとろみの掛かっている野菜炒めを乗せたものですが、炒めはあっさりとした塩味で、チャーハンも塩味なのですが、それが合わさった味わいが絶妙で、その後、台北に勝る福建チャーハンに出会っていません。

 この店に福建チャーハンがあったので、もしやと期待をして頼みました。その味は。正直言うなら期待した味ではありませんでした。チャーハンも、炒めも悪くはなかったのです。然し、違います。

 色々食べて、青島ビールも飲んで、空腹は満たされました。ホテルに戻って10時30分。深夜ではありませんが、一日二回のショウは少し疲れました。いつもは二回程度のショウで疲れることはないのですが、この日の進行の悪さに気を使い疲れました。すぐに休むことにしました。

 然し、通常、こんな時間に寝たなら、明日が朝早くて、眠れないのではないかと不安になりますが、青島ビールが程よく眠気を誘いました。そうそう、最近は酒を呑んで寝ることが無くなりました。酒呑みにとって、呑んで眠ることの幸せは何にも代えがたいものです。久々それが出来るのは幸せです。明日の朝、向谷さんと7時半に朝食をする約束をしていますが、私の生活なら5時くらいには起きていますので、問題ありません。まずは酔いに任せて眠ります。と言うわけでこの先はまた明日。

続く