手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

スライハンドの稽古

スライハンドの稽古

 

 28日(日)に私は大阪でキタノ大地さんと、魔法の愛華さんが主催するチチンプイプイのライブに出演します。毎月行っている大阪の指導を28日の午前中に行って、午後から一般客を集めてマジックショウをします。

 ただしこの劇場は、20人も入れば満員のところです。一応舞台は出来ていますが、狭い小さな空間です。然し、以前に、大成がここに出演しましたし、この先、朗磨なども出ないとも限りません。何とかこうしたライブが続いてくれることを願って、私も応援の意味を込めて、出演することにしました。

 さてどうせ出演するなら、余り日ごろ私がやらない演技をしようかと思い、20代に演じていたカードマニュピレーションをやって見ようかと思いました。そこでかつて使ったカードやホルダー、燕尾服など出して、去年から稽古を始めました。

 燕尾服はなんとか着られます。これは今でも指導の際に稽古でたびたび使っています。但し、若いころのものですので、さすがに今は少し太ってしまい窮屈になりました。かつては鳩6羽を仕込めるように作ってありましたが、今は鳩を仕込まなくてちょうどよい寸法になりました。それじゃぁ何のための燕尾服か、と突っ込まれそうですが、さすがにもう鳩出しはしません。それでもカードマニュピレーションや四つ玉の稽古をするには好都合です。

 カードはどれも古くなって淵が折れていたり、ろうが取れてしまい滑りが悪くなっています。時間をかけて少し修正をしました。使っていると確実に昔の感覚が戻って来ます。あぁ、こんな感じで演技していたなぁ。と思い出します。

 私が20代のころに演じていたカードマニュピレーションは、時間数にして5分くらいのものです。間にロープ手順を入れたり、シルク手順を入れて、8分から9分くらい演じました。その後喋りのマジックを入れたり、お終いは12本リングを演じていました。18分程度の演技でした。

 18分と言うのは少し長いアクトになりますが、実は、カードをフルで演じられる場所が少なかったのです。当時はキャバレーでショウをすることが普通だったのですが、キャバレーによっては、客席がLの地型だったり、舞台を囲んでコの字型に客席が回り込んでいたりして、正面と、脇から見られるような場所がありました。

 これだと純粋なスライハンドは出来ません。5枚カードや、連続ファン出しなどは無理です。せいぜいファンカードのみ、そうなると思いっきり手順は短くなります。5分の演技が2分になってしまいます。やむを得ません。そうしたときには、差し替えの利く演技を足していたのです。

 さて、キャバレー時代の私の手順は、二部構成の場合は、

 一部が鳩出しをメインに15分。鳩出しをしながら、ピラミッド、ロープ、モンゴリアンシルク、二羽出しまで演じて、途中、喋りでカード当てなどをして、或いは12本リングを演じました。そして鳩篭の消失で終わり。

 二部が手妻で、和服を着て傘を出したり、蒸籠(せいろう)からシルクや帯を出したり、連理の曲を演じ、途中に喋りで、サムタイを演じ、お終いに傘を何本も出す手順をして、17分でした。

 これが北海道などは一晩に三回ショウをしなければならず、もうひと手順必要です。

 その時に、カードマニュピレーションをして、ゾンビをするか、12本リングを演じてお終いです。いずれにしても、和服が一回、燕尾服が二回の演技です。道具が多くて、楽屋が足の踏み場もないほどでした。

 それでも多くのマジシャンは、三回のショウが三回とも黒の燕尾服なので、変化がありません。私の方は明らかに三回のショウの内容が変わりますので、キャバレーの経営者は大喜びです。

 和の芸は帯やシルクをたくさん出しますので、楽屋一面道具でいっぱいになりますので、これはトリに演じなければなりません。一回目と二回目が燕尾服の手順で、カード手順は、指が慣れるのに時間がかかるため、二回目に演じていました。

 ところが、北海道では、冬はマイナス20度くらいになる所もあります。ホテルからキャバレーまで徒歩で通いましたが、その間手袋をしていても、手先が冷え込んで、店に着いて暖かい部屋にいても全く指が動きません。ストーブのそばに手をかざしていても、少しも血液が指先に行きません。

 それでも、一回目のショウを演じてしまえば、二回目のカード手順のころにはなんとかできるようになりますが、何かの都合で、一回目にカードを演じなければならなかったときには、楽屋でいくら温めても、指先が全く動かず、そのうち出番になり、動かない手先の儘舞台に出て、カードを握っても、自分自身にカードがあると言う認識すらなく、それを巧くパームして隠そうなどと、そんな器用なこととてもできません。カードは満足に開きませんし、途中でカードを落としてしまったり、散々な演技をしてしまいました。

 芸能とはデリケートなもので、常温で、無風で、適度に明るく、観客が静かに楽しみに見てくれるところでなければマジックは達成できないのです。何ともマジシャンにとっての都合ばかりが並べ立てて随分勝手なものだと思いますが、そんな条件を与えられていながら、下手でつまらない演技を見せたなら、店も観客も怒るのは当然です。

 

 私は幸い店から帰された経験はありませんが、コントだか漫才さんなどで、余りに下品なことを言ったり、余りに受けなかったりすると、3日間のショウのために来ていて、初日の一回目で帰されてしまうことがありました。3日間の出演が初日で帰されてしまうと言うのは、当人たちにはショックだったと思います。

 私は北海道で出演をしていたときに、私の出演する前の週でコントが帰されてしまい、その翌日から私が出演するものが、コントのために一日早く出かけて行って、前日から出演した経験があります。つまりコントの代演を一日したわけです。

 キャバレーに行くと、オーナーが不機嫌な顔をしていて、「どうしようもないコントで、もう見たくもない」。と怒っていました。どれくらいつまらなかったのか、一度見てみたいと思ました。

 それよりも何よりも、私自身が、「帰れ」と言われないかどうか、一回目のショウはびくびくして演じました。幸い、マジックはそうそう嫌われる芸ではありませんので、無事に済みました。

 但し、3日の出演予定が4日になったことで、間の喋りマジックを増やさなければなりません。スライハンドは音楽まで決まっているので、変えることは出来ません。その分、間の喋りを毎日 変えないと、ホステスがだれて、お客様と世間話を始めてしまいます。ホステスを喜ばせるために、ネタを変えるのです。そんな時に、レモンとカードを演じたり、黒板の予言を演じたり、札焼き(さつやき)を演じたり、随分いろんなことをしました。

 今思えばそれらが全て自分の財産になっています。カードの稽古をしながら20代のことを思い出しました。さて26日の大阪チチンプイプイはどんな舞台になるか、ご興味あればどうぞお越しください。

続く