手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

峯ゼミに学ぶ

峯ゼミに学ぶ

 

 昨日(20日)は峯ゼミに伺いました。その前に10時から、私のアトリエで二人の生徒さんの指導をしました。指導は終えたのが12時ちょうど、それから急ぎ田端にある峯ゼミの教室に向かい1時到着。毎回、こんなスケジュールですから、峯ゼミ到着はいつもギリギリです。

 さてこの日から峯ゼミは、カードマニュピレーションが始まりました。ご当人はカードマニュピレーションは苦手だと言っていましたが、決して参加者の期待を裏切るような指導ではありませんでした。超が付くほどの個性的な手順を見せてくれました。

 ファンの開き方など、その日に使う技法をひとしきり指導した後、空の手からカードが一枚現れ、また一枚現れます。左右に一枚ずつカードを持ち、左のカードがいきなりワンデックのファンに変化します。天海パームからの一枚出しで、そこからデックに変化するのは面白いハンドリングです。こう書いてもマジックをなさらない方には何のことかお判りにならないと思いますが、現象は、不自然さがなく、自然自然にカードが出て来て、たくさんのカードになって行きます。

 無理なく自然自然に事が運ぶと言うのが実はマジックでは一番難しい動作なのです。そのあと演じた、カードのカラーチェンジも、手首を下げてゆっくりカラーチェンジをすると、同じテクニックでもとても不思議に見えます。なるほど、マジックとはそうやって演じるものなのか。と、50年以上もマジックを続けていた者が今更のように納得します。

 フラリッシュ(曲芸的な技巧)を使ったカード出しも面白いハンドリングでした。右手の甲に置いたデックを、右手で空中で取る、と言う演技はかなり昔からあります。今ではそれを演じる人は見かけません。それを演じて見せて、右手で空中のデックを掴んで、ファンにし、同時に左手で空中からデックを取り出し、ファンにして、両手にファンを見せます。ただカードを分けてファンを作るのでは単調な演技になってしまいますが、フラリッシュを加えることで、変化が付いて、演技が俄然面白くなります。

 さらにはデミニシングカード。ファンカードを使っての小さくなるトランプは、ポピュラーな現象でよく演じられますが、峯村氏のそれは本当に小さくなります。実際小さくなったトランプを観客に見せられます。余りに具体的なため、一同ため息が出ました。この日は小さなトランプがサービスで配られました。そのトランプをスチールしてくるやり方から、処理するところまでが細かに解説されました。

 カードは苦手と言っていましたが、どうしてどうして、細かなところまでよく工夫されています。氏がカードマニュピレーションをステージですることは今までなかったのですが、この峯ゼミがなかったら、生涯我々は彼のマニュピレーションを見ることはなかったでしょう。これこそここにいる十数人だけが秘匿してしまっては勿体ない話で、是非、一度ステージで見せてもらいたいと思います。

 尤も、来年1月28日(土)夜19時から、アゴラカフェで「東京手品シアター」と題して、ザッキー、藤山大成が中心となって、峯村健二氏を招いてショウを開催します。その際に峯村氏が二つのアクトを演じるそうです。二作品とも日ごろ演じない演技だそうです。峯村ファン必見のステージです。

 

 さて、4時30分にゼミは終了しました。私は、昼飯を食べずにゼミに来たため、今更ながら空腹になりました。駅前の一杯飲み屋に入り、ハイボールと餃子と鳥皮焼を頼みました。ほどなくして、ザッキーさんと、日向さんが来て、アゴラカフェの打ち合わせを始めました。宣伝方法や、スケジュールなどを決め、30分ほどで日向さんは先に帰りました。

 残ったザッキーさんと呑み直しです。彼がプロに成りたいと言って私の事務所に相談に来て3年半が経ちました。随分いろいろ話もしましたし、舞台も提供しました。玉ひでも、アゴラカフェも、マジックセッションも、天一祭も。

 彼はプロに成りたいのです。然し、どうしてももう一つ踏ん切りがつかず、躊躇(ためら)っています。しかも、悩んでいる最中にコロナが流行り出し、一層出ばなをくじかれています。考えようによってはプロに成った後でコロナが流行り出すよりはどれほど幸運だったか知れません。

 この日も彼はたくさん私に質問を用意して来ています。「フレッドカプスに出会って、弟子入りしたいと言いかけて、なぜやめたのか」。「その後、なぜスライハンドをやめたのか」。「なぜ、安定していたキャバレーの仕事をやめたのか。やめて他の仕事を見つける当てがあったのか」。「イリュージョンをやめたのはなぜか」。「どうして手妻に移行できたのか」。質問は矢継ぎ早です。

 この人を見ていると、私が20年も前に書いた「そもそもプロマジシャンと言うものは」に出て来るコワザ君によく似ています。コワザ君は全く私が考え出した架空の人物です。参考にしたのは、若いころのカズカタヤマさん、ヒロサカイさん、前田知洋さんを混ぜ合わせて、少し頼りなくしたようなキャラクターなのですが、

 そのコワザさんを少し育ちを良くしたような人がザッキーさんです。この人に質問されると、「そもプロ」の世界の中でコワザ君と話をしているようです。

 その彼が来年1月のアゴラカフェで、30分に及ぶフルショウをすることになりました。峯村氏が応援してくれます。初めて自分の力を試す公演をします。どうなることか、彼の心の中にはまだ迷いがあります。そのために私の人生の転機についていろいろ質問するのでしょう。

 今、コロナで全く将来の展望が見えない中、弟子の大成も独り立ちして行きました。舞台のチャンスは限りなく少ないのです。同様にザッキーさんです。彼がどうやってチャンスを掴んでプロ活動して行くのかは全くわかりません。そのことは、私がキャバレーの仕事をやめようと思った時、スライハンドをやめようと思った時、バブルが弾けてイリュージョンの仕事がなくなったとき、その先をどうして生きて行ったらいいのか、まったく先が見えなかったあの時と重なります。彼の気持ちはよく分かります。

 私も人にすがりたい思いでした。しかし誰も教えてくれませんでした。どうすることも出来ず一人苦しんでいました。同様に彼も悩んでいるのです。私は、会えば自分の経験を話しました。然しそれはどれも過去の話です。今日これからどうしていいかのことにはあまり役には立たないかも知れません。やはりこの先どう生きるのかは自分の問題なのです。

 生きることは常に壁に立ち向かうことであり、壁を超えればその先もまた壁です。但し、相談する人がいることは幸せです。人生を良くするのは誰を知合ったかで決まります。仲間は大切なのです。

続く