手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

政治とカネ

政治とカネ

 

 政治とカネの関係は永遠の問題でしょうか。「政治を動かすのには数が必要だ、数を維持するのは金がかかる。その数をまとめるには派閥が必要だ」。という政治家がいる反面。「派閥は良くない、派閥は解消しよう」。と新聞は派閥解消を訴える。然し、そう言って派閥を解散したのは一度や二度の話ではありません。

 ところが、結局、表向き派閥は無くなっても、政治問題研究会などと名前を変えて人が集まるようなり、それが数が増えて来ると、もう誰憚ることなく○○派。となって、新聞なども大っぴらに派閥と称するようになります。新聞が派閥と言う名称を使ってはいけないのではないですか。

 派閥はなくならないのでしょう。民主主義が多数決で成り立っている限り、多数を持っている派は強いのです。かつて田中角栄さんは言いました。「数は力」だと。ライバルの政治家に勝って、自らが内閣を組織するには、数の力が必要なのでしょう。これはごく単純な話なので、私らにもよくわかります。

 政治には金がかかる。と言うのももっともな話です。チラシやはがきですら、数万枚印刷して、選挙民に配らなければならないのですから。全くカネを賭けずに選挙に当選することなど不可能なのです。

 でも、そうだからこそ、政治資金を国が支払うことにして、各政党に渡すことにしたのではなかったのですか。あの金が支払われたことで、余計な政治資金を集めなくても、やって行けるはずなのではなかったのですか。

 それが、政治家のパーティーは依然として催され、そこからバックリベートが各議員に支払われ、そのリベートは表の帳簿には記載せず、税金も支払わない。と言うのでは、そもそも政治とカネの問題がまた原点に戻ってしまって、政治資金を国から受け取っていながら、裏で新しい方法で政治資金を作って、脱税を大っぴらにしていることになりませんか。政治資金と言うのは、個々に金を作らないための国の支援金だったのではなかったのですか。

 政治は金がかかる。それはその通りでしょう。でもその金は実際には、自民党内で大臣を出しているような派閥には、黙っていても企業からの献金があるのです。一年生議員でも、ある派閥に入ったと言うだけで、企業から顧問になってくれ、と言われて年額何百万円かの顧問料が入ると聞いています。

 何百万円などと言うのはわずかな金と思われるかも知れませんが、その顧問料が20社、30社と集まると金額は億の金になります。一議員ですらそうなのですから、実際の大臣などを務めている派閥のトップはいくらの収入になるのでしょうか。

 その上で国からの政治資金が入って来て、なおかつパーティーのリベートが入るとあっては、一体政治を運営するにはいくら金が必要なのでしょうか。

 結局、全ての政党に数に比例して政治資金を配ったのでは、派閥の優位が維持できないのでしょう。どこかでまた差別化を図るために、新たな資金が必要なのかもしれません。もしそうだとするなら政治資金はいくら国税で支払っても、これでいいと言うことはなく、必ずどこかで自派閥の優位を作り上げるために、資金作りがされるのでしょう。それを繰り返している限り、政治資金と言うのは天井知らずに上がって行きます。

 どこかでいい加減に政治とカネを絶たなければいけません。先ず今回の件は脱税が明快ですし、脱税と分かってバックリベートを受け取っているのですから。受け取った議員は弁解の余地はありません。もらった議員は全員反省をして、出直したほうが良いと思います。

 また派閥は、いくら派閥解消と言ってもなくなりません。そこに利益が絡めばなおさらです。そもそも、立法府(議会)を任された議員が、行政府(各大臣や長官)の仕事を兼務するから企業との癒着が生まれます。企業との顧問料などと言うのは、ぎりぎりの癒着です。

 三権分立と言いながら、司法(裁判所)を除いて立法と行政がぴったりくっついていては、金は立法府の議員に流れます。こんな話をするとまるで小学校の社会科の授業のようですが、日本では三権分立が守られていないのです。そもそもの原点に戻って、立法府と行政府を分けなければいけないのです。行政府の担当官になるなら、立法府の議員の資格を失うようでなければなりません。

 片方で行政をしていながら、もう片方で法律を作るために派閥を持っていて、その派閥の頂点にいる。という今のシステムでは、金と政治がくっついてしまうのは当然です。と、まことに立派なことを言いますが、いくら言っても、「書生論だ」。「そんなことは無理だ、そんなことしたら国は上手く動かない」。と、天から聞こうとしない政治家がたくさんいるでしょう。

 そうなんです。私もそう思います。でも、どこかでみんなして必要悪を許しててしまったことが、政治とカネの問題を繰り返す結果になっていませんか。立派な大学を出て、人にの進路を話して聞かせられるような人が、パーティーのバックリベートを貰って、税金を支払わなかった。なんて言うことをして、弁明する姿はみっともないと思いませんか。

 日本だけでなく、このニュースを世界の国々の人たちが見てた時に、「まだ日本ではその程度の政治しか出来ていないのか」。と思われて、「如何に日本がいい国だと言っても、所詮裏で政治が金で動いているようでは、優れた国家だとは思えない」。とみんなが思うでしょう。

 何か解決の方法はあるでしょうか。あります。政治家はみんな女性がやればいいのです。なまじ男が政治をするから、銭カネが動いて、遊興費に金がかかるのです。女性が政治をすれば、くだらないことに金をかけなくなります。座敷など用意せずに、スイーツの店などで、メレンゲなど食べながら会議をしてまとめて行けば、酒の量もおのずと減るでしょうし、かかる経費もわずかです。

 女性に政治を任せた方がいいと言うのは、例えば、警察官を見ても、婦人警察官は全く情状酌量の余地がありません。ものの見事に駐車違反などは切符を切られます。公正さにおいては男性警察官の比ではないでしょう。そう、あれです、あれと同じことを国政でもやってもらえばいいのです。なまじ政治に匙加減を持ち込むから、わいろが動きますし、企業との癒着が働きます。おかしなところで、おかしな裁定がされます。

 そうならいっそ、女性に政治を任せたなら、およそ金のかからない、情の差し挟む余地のない政治が出来ると思うのですが、いかがでしょう。それがいい政治につながるのか、逆の意味で政治が衰退して行くのかはわかりません。でも、今のようなみっともない政治にはならないでしょう。もっと女性を政治家にするのは賛成です。

続く