手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

大谷景気

大谷景気

 

 大谷選手はドジャースと1000億円の契約を結んで、文字通り世界最高ギャラを取得した野球選手になりました。その人気はすさまじく、コマーシャル契約などひっきりなしの申し込みがあるようです。日本なら、大物俳優でもコマーシャル契約は5000万円くらいでしょうか。然し、大谷選手は最低でも1億以上でしょう。それが20社も30社もあるのですから、コマーシャルだけでも数十億円になります。

 ところが、大谷選手は、コマーシャル契約にあまり興味がないようです。コマーシャルのために割かれる撮影時間などが煩わしいらしく、仮に儲かったと言っても20億、30億くらいのものですから、既に1000億契約をした大谷選手にとっては、どうでもいい金なのでしょう。

 一方、ドジャースの方も大変な収益を上げています。スタジアムの年間予約チケットが早くも完売です。スタジアムの中にある看板が値上げをしたにもかかわらずこれも契約終了。様々なグッズや、試合の放送権料などなど、その収入だけでももう大谷選手との契約料を超えたそうです。

 初戦の試合が韓国で行われるそうですが、これからチケットが発売されますが、恐らく、申し込み開始を受け付けてから、1分以内に全て完売すると予想されています。それだけ大谷選手を待ち望んでいるのです。

 こんなことはドジャースの歴史の中でもなかったことでしょう。アメリカでは野球の人気が長らく低迷していましたが、大谷選手によって、一気にメジャースポーツに返り咲きました。たった一人の人気で業界をトップに引き上げたのです。

 野球の地位もそうですが、日本人の評価も同時に高まっています。派手な遊びをせずにひたすら練習に励む大谷選手の姿は、宮本武蔵などの剣豪がひたむきに稽古をする姿に重なります。こうした生き方は日本人でなければできないことで、しかも今の日本人が忘れてしまった生き方です。

 今になって、日本人の美点が騒がれていますが、さて、大谷選手に匹敵するような選手がこの先日本人から現れるのか。それでも、多くのアメリカ人は、自分にない生き方をする大谷選手を手放しで歓迎しています。これほど、生活態度や、人格、哲学に至るまで白系社会に影響を与えた日本人は今までいなかったでしょう。

 

 然し、ここまで大谷選手が大きくなってしまうと、ドジャースとしてはお宝に触れるような貴重品になってしまいますので、その対応が大変です。暴漢に襲われては一大事ですし、怪我をされても、事故を起こされても球団の存続にかかわります。

 元々さほどに出歩かない大谷選手ですが、この先は一層外出する機会は減るでしょう。常にSPが付いたりして、周囲との接触に気を配ることになるでしょう。

 住まいはどうやらビバリーヒルズのゲートの付いた家を借りることになるそうです。私は何度もビバリーヒルズを車で回ったことがあります。若いうちは大きな綺麗な家を見ると、面白がって写真を撮っていましたが、アメリカ人いわく、いくら大きな家でも、外から見えるような家は本当に大きな家じゃないよ。と言われました。

 本当に大きな家は、外周が強固な壁で囲われていて、ゲートが一か所、自動開閉して、一切他の人が入れないようになっていて、車が入ると、中は鬱蒼とした森になっていて、森に隠れるようにして大きな家が建っているのが本当の金持ちの家なんだそうです。アメリカの金持ちは桁が違うのです。

 多分大谷選手は、そうした、鬱蒼とした木々に囲まれた、中の見えないような家を借りるのでしょう。それは贅沢のためではなく、そうしたセキュリティが必要なのでしょう。そうした邸宅で大谷選手は、数人の仕事仲間と、一匹の犬と生活をすることになるのです。退屈と言えば退屈でしょうが、アメリカで生きると言うことはそう言うことなのでしょう。

 

 話は少し外れますが、今から30年前、ニューオリンズのSAM世界大会で、小野坂東さんがジヤパンナイトを企画し、日本人だけのショウをしました、そのトリに私が水芸を演じたのですが、この水芸が、1904年の天一アメリカに来て以来、100年ぶりの水芸だったのです。

 みんな喜んだことは勿論です。そこで東さんが、「SAMの幹部や、マジシャンや、日本人の参加者を集めて、終演後にパーティーをしよう」。と提案しました。無論私も賛成です。

 そこで、みんなで手分けをし、寿司を買いに行き、酒を買い、ホテルから食べ物ビールワインを注文しました。更に、その晩だけ私はスイートルームを予約して、一日ホテルで一番高級なスイートルームに泊まりました。

 広いリビングがあって、ベッドルームが三つもあって、室内装飾はフランスの王宮並みに、金色でピカピカしていました。そこで50人以上のお客様を集めてパーティーをしました。その熱気たるやすさまじく、人生の中で最も盛り上がったパーティーでした。さて深夜二時になるとさすがの仲間もみんな帰って行きます。

 食器と酒瓶が山のように残り、部屋の中は私一人になりました。私はワインをグラスに注いで広いダブルベッドに横たわりましたが、舞台の熱気とその後のパーティーの喧騒が耳に残っていて、とても眠れません。

 ゆっくりその日のことを思い出しながらワインを飲みました。そして、誰もいなくなった部屋を眺めて、「結局どんな大きな部屋だって、人がいるから楽しいんで、誰もいなければ高円寺の狭い部屋で寝ていても同じことなんだなぁ」。と思いました。

 「でもいいや、生涯に一度の贅沢だから、一晩だけ王様の生活をしよう」。そう思ってワインを飲んでいるうちに、いつのまにか寝てしまいました。

 そして朝起きて、部屋の景色を見たときに、余りに見慣れない景色だったのでびっくりして飛び起きました。そうです。昨日は、リハーサルなどで一度も日中は部屋に入らなかったのです。そして、ショウ終演後はすぐにパーティーで、これも部屋の中をゆっくり眺める時間もなかったのです。パーティーの後は酔っぱらって、何が何だかわからなくなっていました。

 結局、朝起きて自分の部屋がどう言う部屋だったのかを知ったのです。そして起きるとコーヒーを飲んで、すぐに部屋を出て行きました。呆気ない夢の世界でした。

 そこで感じたのは、どんな豪華な生活も仮の宿。何一つとして自分の物はない。いつでも自分は身一つ、何も持ち合わせてはいない。いい生活をしたからいい、贅沢をしたからいいとは全く感じられず、全ては記憶の彼方に消えて行きます。

 大谷選手が、ビバリーヒルズに住もうが、贅沢な生活をしようが、当人にとっては本当に楽しいのかどうかはわかりません。岩手に帰って家族全員で炬燵に入ってミカンでも食べている方がよっぽど幸せなのかもしれません。夢のようなニューオリンズのホテルの部屋を思い出して、そんなことを考えました。

続く