手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

安芸高田市長

安芸高田市

 

 この一週間、安芸高田(あきたかだ)市の石丸市長と議会、または中国新聞の記者との戦いがネットで話題になっています。安芸と言うのですから、広島県でしょう。広島県のどこに安芸高田市があるのか知りません。たぶん小さな市なのだろうと思います。そこに石丸伸二と言う、若い市長さんがいて、この人が連日議会と戦っています。

  

 そしてその様子を、中国新聞が記事にして載せているのですが、この記事の書き方が議会寄りと言うか、市長の言葉の行き過ぎを捉えて批判したりするものですから、石丸市長が、その記事について詳細に間違いを指摘して記者に質問しました。

 まさか新聞記者とすれば、記事に対して、市長が細部の内容まで問うことなど、今までなかったために、記者は慌てたり、回答を拒否したりして、防戦しますが、明らかに説明不十分で、市長の作戦に乗せられて、立場の悪さを露呈しています。

 元はと言えば、道の駅の中に、無印良品の店を出そうと発案した市長に対して、議会が、議会を通さずして出店を決めるのは間違いだ。として出店料を決める臨時の予算を拒否したことから始まったようです。道の駅の中に一軒、出店を認めると言うことまで議会にかける必要があるのか、しかも臨時予算から出そうと言う出店料を議会が拒否すると言うのもどんなものか、と市長が反論しますが、議会は、若い市長をあしらうつもりか、市長の出してきた事業を拒否します。

 この話は日本中のどこにでもある、古い縄張り意識を持って、何事も挨拶がない限り話を通さない、と言う、地まわりの集団のような議会と、町の発展を考えて新しい活動をしようとする若い市長との戦いなのです。

 

 ただ、石丸市長がこれまでの市長と違うところは、人のしがらみや、根回し、序列で物を決めるのではなく、それが町のためになるかどうかを議員一人ひとりが考えて決めて行く、言ってみれば普通の政治をして行くことが目的なのです。そのため、安易な妥協はせず、違うところは違うと言い、誰に憚ることなく間違いを正します。

 この姿勢が、古手の議員には書生っぽく感じるのでしょう。中国新聞社の記者も、こうした市長のやり方は地方都市にはなじまない。行き過ぎていると思うのでしょう。

 ところが、石丸市長はそんなことは百も承知なのです。古手の議員が少しでも縄張り意識を見せれば、すぐに発言をネットに乗せて、市民に判断を仰ぐのです。議会の中にいる人たちの間でコンセンサスを取るのではなく、今議会で起こっていることをすぐに市民に伝えて、議会のしていることが正しいかどうかを市民に問うているのです。

 恐らくこうしたタイプの政治家は今後どんどん出て来るでしょう。そうなると、昔からの根回しなどをして議事をまとめて行く手法は通用しなくなって行きます。誰が見てもおかしいことはおかしく、おかしなことをばかりしている議員は落選して行くのです。

 安芸高田市の議会は、自分たちが劇場の舞台に上げられて、観客に向かって発言していることを知らないのです。曖昧な発言をしたり、若い市長を抑え込もうとするようなことをすれば、たちまち市民から反発を受けるのです。

 飽くまで石丸市長は外の市民に対して語っているのです。そしてその反応を、これまで、新聞やテレビに頼っていたことの間違いを指摘しているのです。テレビでも、新聞でも、ネットが普及した今となっては、明らかに出遅れています。その場その場で市民の反応が返ってくるネットに対して、新聞、テレビには時に、忖度が見えますし、初めから偏った記事も見えます。

 市長が、中国新聞の報道に対して、度々訂正を求めるのは、彼らが一度書いたことをほとんど変えようとしないからでしょう。何度も記者は市長に「書いた記事に間違いはない」。と言い続けています。市長にすれば大事な決議の決定が書かれていないと指摘しているのに、「記事に間違いはない」。と言い張ります。昔ならそう言えば新聞社の勝ちだったわけです。広島において中国新聞の言ったことは正義なのでしょう。然し、今ではその内容をネット民が見ています。どっちの言うことが正しいかは明らかです。新聞社は時流を見ていないのです。

 これまでの市長ならば、将来のことを考えて、新聞社と喧嘩をすることは得策ではないと判断をして、自分の主張を引っ込めていたものが、石丸市長は、全てをオープンの中で話をしていますので、事の良し悪しは一目瞭然です。すなわち石丸市長は新聞やテレビを相手にしていないのです。全てはネットに配信して、すぐさま市民の判断を仰ぎます、そこには権威も縄張りもないのです。

 こうした活動を続けて行くうちに、次の選挙では、古手の議員が続々落選をするでしょう。石丸市長はそれを狙っているのです。

 

 石丸市長には大きな目的があります。それは2019年、参議院議員の河合克行さんが、地元の議員を巻き込んでの大きな選挙違反をしたことで、河合さんの仲間だった安芸高田市長が失職します。そのための市長選挙に、失職した市長の仲間が出馬したのを見て、「こんなことを繰り返していては安芸高田は少しも良くならない」。と言って、自ら、勤めを辞めて、市長選挙に打って出たのです。元々、京都大学を出て、銀行勤めをしていたエリートサラリーマンだったのですが、今の地方政治を見ていて嫌気がさして、自分から渦中に飛び込んだのです。無論政治のことなど全くの素人です。

 このため、石丸市長は、一切のなれ合い政治をしません。地まわりに挨拶もしません。もう少し議員とうまく付き合えば、スムーズに行くことでも、徹底的に争って、対立します。この人が、今、世間から騒がれていることは、当人が、市長になる原点であり、信念のもとに決めていたことなのです。

 市長にすれば、慣れあいの議員も、過ちを改めない新聞社も、どのみちそう長く続く体制ではないと考えているのでしょう。そのことに気付いて自らを改めない限り、選挙違反をする議員は必ず出て来ますし、その議員をほめたたえる記事しか書かない新聞社もまた残り続けるのです。それが如何に間違った行為であるかを知らしむるのが市長のやり方なのでしょう。近頃珍しい人が出て来ました。まるでアメリカの選挙を見ているようです。期待をしています。

続く