手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

夢のお告げ

夢のお告げ

 

 この話をここに書くべきかどうか悩みましたが、一応書いておきます。但し、信用しないでください。実は、今朝がた、夢を見ました。祖母が現れたのです。

 私のブログを長くお読みくださっている方はご存知でしょうが、かつて、祖母が夢に現れたときに、その三日後に東日本大震災が起こりました。

 祖母はかつて塩釜に住んでいました。塩釜で阿部の笹かまぼこの家に厄介になっていて、そこで職人の祖父と出合い、所帯を持ちます。何年一緒に暮らしたのかは知りませんが、そのうち、大正12年関東大震災が起こり、東京は壊滅的な打撃を受けます。

 帝都復興で大工、左官などあらゆる人手が必要になり、祖父も一稼ぎすべく東京に出ます。然し、何か月経っても手紙一つよこさないのです。そうするうちに祖母は妊娠していることが分かり、妊婦姿で東京に出て祖父の住む借家を訪ねます。

 かくして祖父、祖母は東京で暮らすこととなり、子供が生まれ、それが私の父親です。祖母は、この東京行きがよほど楽しかったと見え、晩年に何度も私に話してくれました。仙台に出て、阿部の笹かまぼこに挨拶に行くと、おかみさんが10円くれたそうです。その金で切符を買い東京まで出て行ったそうです。

 その祖母が、これまで夢になど出て来ることはなかったのですが、13年前に突然夢に現れました。その三日後、2011年3月11日に東日本大震災が起きました。不思議です。なぜ夢に祖母が現れたのかわからず、それがどうして東北の地震とつながるのかもわかりません。しかも祖母が現れたのはその時だけで、その後の地震には現れません。今年正月にあった能登地震の時に予知夢はなかったのです。

 熊本地震の時には、亡くなった熊本のマジックラブの知人が現れました。この人も、どうして夢に現れたのか謎でした、すると三日のうちに熊本で大地震がありました。

 そこで私は、めったに現れない知人が夢に出てくると地震の前兆なのかと思い、3年前の五月に知人が夢に現れたときに、「これは関東大震災の予兆か」。と思い、ブログに書きました。但しこれは早計でした。小さな地震は来ましたが、全然大したことはなく、予知は見事に外れました。

 つまり私に予知能力はなく、たまたま東日本と、熊本は当たっただけなのだと理解しました。以来夢の話はしないことにしています。ところが、今朝がたの夢に再度祖母が現れたのです。これは何を意味しているのか分かりません。

 地震なのか、地震だとしたらどこで発生するのか、東北なのか、関東なのか。さっぱりわかりません。いずれにしても書いてしまいましたので、この先三日、12日まではご注意ください。何をご注意するのかと言われても困ります。何か起こりそうとだけ申し上げます。

 但し、私の予知能力は、全く気まぐれに起こります。はずれる場合もあります。いずれにせよ本気に考えないでください。せいぜいペットボトルの水と、非常食を買い、乾電池を買い、携帯の充電器を買い、蝋燭、マッチを買っておいてください。備えには役立つと思います。

 これまでの被災者の様子をテレビニュースなどで見た印象では、まず初手の一週間の生活を維持できれば、その後の復旧は支援がやって来ます。特に、東京であれば、食べ物がないとか、水がないと言うことはないでしょう。一週間我慢すれば、いろいろのことは解決するだろうと思います。まず一週間分の備えを持つことです。

 怖いのは火事です。近所に火事が起こったなら、自宅の消火器など使って、とにかく消火をすることです。大震災の際には、一辺にあちこちで火災が発生しますので、消防署は対処しきれなくなります。近所のぼやくらいでしたら、周辺の住民で消すようにしなければまにあわないでしょう。消防車は来ないと考えたほうが良いと思います。

 大正期の関東大震災では、荷車が道をふさぎ、それによって逃げ切れない人が焼死すると言うことが随分あったそうです。家財道具などを持ち運ぶことはやめて、特に移動は自家用車は使わない方が良いでしょう。道路は乗り捨てた乗用車で全く身動きできなくなると思います。

 自宅なり、会社なりで被災したときには、先ず移動しないことです。無理に帰宅など考えない方がいいでしょう。電車は一週間くらいは復旧しないでしょう。半日、一日様子を見て、安全な場所で退避したほうが良いでしょう。

 仮に銀座に会社があって、そこから高円寺まで徒歩で帰るとすると、距離は10㎞です。通常歩いて行けば2時間半ほどで帰れますが、震災後の東京は極めて危険です。ましてや深夜に歩くことなど決してやるべきではありません。全域が停電していますし、自動車も動かないでしょうから、都内は真っ暗闇です。

 歩いている最中に突然ビルが倒れてこないとも限りませんし、火災が後になって発生する場合がありますから、うっかり大火に巻き込まれた場合はどうにもなりません。無理に10km歩くことはやめた方がいいでしょう。

 今いる場所が安全なら移動しないことです。また近くに大きな公園があるならそこに移ってしばらく様子を見るのもいいと思います。出先での災害は、何も防災用具を持たないので、夜になってからが危険です。震災後もコンビニなどを訪ねて、早いうちに水と食料と懐中電灯を買っておくとよいでしょう。

 関東大震災はちょうど昼時だったため、あちこちの路地で、七輪を出して魚を焼いていたりして、七輪の火が家や塀に移り、東京全体が大火になりました。現代ではガスを消すのが第一です。家の中は家具の倒壊などありますし、ガラスが割れることがありますので、怪我に注意です。救急用具がすぐ出せるようにしておかないといけません。

 どうせしばらくは電気も来ないでしょうから、真っ暗な中で暮らすことになりますので、私は、ウイスキーと缶ビールは余分に買っておこうかと思います。ビーフジャギーも割きイカも買っておこうと思います。今の季節なら寒くはないので、寝袋などはいりません。酒で体を温めて、着たなりでしばらく生活できるでしょう。地震の備えがウイスキーと缶ビールと言うのは救いがありません。

 古今亭志ん生は、関東大震災が起こったとたん酒屋に飛び込んで、「酒を呑ませてください」。と言ったそうです。酒屋の親父は、「こんな時に酒をくれと言われてもどうにもなりませんから、いくらでも呑んで下さい」。と言うと、志ん生はそこに座り込んで樽から酒を注いで立ち上がれないくらい呑んだそうです。どうせ地震で死ぬなら死ぬ前に酒をたらふく呑みたいと思ったそうです。いいですねぇ。そんな生き方。

続く