手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

応接間

応接間

 

 かつての日本のアッパーミドルクラスの家には、母屋に張り出して、玄関脇に一間だけ西洋風な建物が作られていて、それを応接間と称したのです。アパート住まいだった私にとって、一軒家であることだけでも羨ましいのに、更に西洋建築まで付いていると言うのはとても贅沢で、望んでも手に入らない生活でした。

 大概は玄関を入ると廊下があり、廊下の隣に応接間があり、中は、板の間で、絨毯を敷き、壁も窓も洋風で、応接セットが並んでいて、絵が飾ってあって、ピアノがあって、ステレオがありました。照明には小さなシャンデリアが飾られていました。どれも私の家とは比べようのないほど豊かな暮らしぶりでした。

 ピアノはとても興味がありましたが、習っていないため全く弾けません。ステレオは憧れの一品でした。当時のステレオは長細い低いサイドボードのような作りで、ターンテーブルもスピーカーも全て一体型で高級家具のようでした。

 ステレオは豊かさの象徴でした。そこの家のレコードストックを見せてもらうと、必ず何点かクラシック音楽がありました。その当時は、ステレオを買ったなら、クラシック音楽の一枚や二枚持っていなくてはいけない。と言う常識(?)があって、どこの家でも、いいステレオがあれば、必ずクラシックレコードがありました。

 但しそこの家族がクラシックを聞いていたかどうかはわかりません。レコード盤を見ると埃一つついていない新品同様の物がありました。見栄で買っていたのでしょうか。当時は、こうした家庭がこぞって買ったクラシックの定番がありました。

 一つは、ベートーヴェンの運命とシューべルトの未完成のカップリング。これはあらゆる指揮者が出していて、作れば必ず売れるレコードだったようです。運命も未完成も一曲30分位のものですから、一枚のレコードの裏表に収まり、お手頃感で良く売れたのでしょう。

 次に売れたのが、ドボルザークの新世界。これはなかなか大曲で、一枚のレコードで裏表を使います。指揮はカラヤンベルリンフィルが圧倒的な人気でした。当時、世界中ステレオが爆発的に売れる中、カラヤンは売れに売れました。カラヤンを専属にしていたグラムフォン社は昭和40年代に、クラシック音楽でヒットを飛ばし続けたのです。

 カラヤンは演奏がスピーディーで颯爽としていて、現代的な万人受けする指揮者なのですが、私は余り好きになれませんでした。もっとごつごつして彫りの深いこだわりの演奏が好きだったのです。

 時にはクラシックのわかる親父さんがいそうな家もあって、ワルター指揮のモーツァルトの40番41番のカップリングや、ベートーヴェンの6番の田園などもありました。トスカニーニNBC交響楽団で、サンサーンスの3番とか、ブラームスの一番などを見つけたときは、嬉しくて興奮しました。勿論、家の人に頼んで聞かせてもらいました。

 友人の母親にすれば、息子の友達が、クラシックを聴きたいと言い出すとは思いませんから、驚いて、聴かせてくれはするのですが、一緒に座っていても、「いい曲ねぇ」。などと言いつつ、途中からいそいそと退席してしまいます。あまり興味がないようでした。友人も退屈していなくなってしまいます。私は友人に申し訳ないとは思いましたが、このチャンスを逃すことは出来ません。

 それでも友人の母親は、廊下で息子に、「ああいう友達とお付き合いしなさい」。と言っていました、日頃どんな友達を連れて来ていたのか知りませんが、私が頭の良さそうな子供に見えたのでしょうか。

 

 その頃、私の家にあるのステレオは、ほぼ電蓄に近いもので、音としてはお粗末なものでした。音楽に興味のない家に立派なステレオがあって、音楽が大好きな私の家には電蓄しかないのですから世の中は皮肉です。当時既に私は舞台に出てマジックをしていました。当時の私の出演料は、2000円くらい。ステレオとなると最低でも10万円からしますので、いくら貯めても10万円は出来ません。サンスイなどと言うメーカーがあって、見かけも豪華、音も重量感があって素晴らしいものでした。電気屋さんからカタログをもらって、飽きずに眺めていました。

 

 中学時代の友人で、石川君と言う人がありました。物静かで、目立たない人でしたが、話を聞くとクラシック好きで、しかもかなり色々聴いています。すっかり仲間になって、よく私の家でレコードを聴きました。

 やがて高校に入学し、幸い都立高校に合格したため、母親は喜んで、ステレオを買ってくれました。母は芸人の親父を支え、連日働き詰めの人でしたので、これまで母親にものを買ってもらうことなど考えたこともなかったのです。その母親が「お前が高校受験に失敗して私立に行くような時を考えて貯めておいたお金があるから、それで買ってあげるよ」。と、気前の良いところを見せてくれました。

 ステレオは、ソニーのインテグレートで、当時最先端の装置でした。無論スピーカーはセパレーツです。早速レコードをかけてみると、今まで聴いていた音とは格段の違いです。先ず重低音が部屋をゆするほどの迫力です。

 私は母親に何度も礼を言いました。母親は、「お前の努力だよ」。と言いました。私の人生において最高のプレゼントでした。

 早速石川君に連絡をすると、彼は幾つかレコードを持ってやって来ました、そして重低音に驚き、一緒に半日音楽を聴きまくりました。但し、私は、せっかくいいステレオがあっても、SPレコードの復刻版(モノラール)ばかり買っていましたので、少しもステレオの効果を生かせません。

 ある日石川君が、シャルルミンシュとパリ管弦楽団幻想交響曲を買って来ました。これは驚きました。ものすごい迫力で、しかも演奏がミンシュですから、大熱演で、大興奮したのを記憶しています。私は石川君からミンシュの素晴らしさを教えてもらったのです。10代でこうした名演奏に触れたことは、名作の文学を読んだことに匹敵し、その後の人間形成に役立ちます。

 以後私はミンシュの演奏に惚れ込み、レコードを買い漁りましたが、彼は、むしろカールベームなど、ベーシックなドイツの演奏家が好きだったようです。彼の審美眼はどれも正解でした、私よりずっといい耳をしていました。

 その石川君とは大学時代まで何度か会っていましたが、その後は疎遠になりました。私が引っ越したためです。それ以降クラシックを熱心に話す友人はいません。彼はどうしているのでしょう。もう定年退職して、悠々自適にクラシック音楽を聴いている日々なのでしょうか。50年前を思い出しつつ。クラシックの話がして見たくなりました。もし私のブログを見ていたなら、連絡をください。と願ってももう戻らない世界かも知れません。

続く