手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

ミンシュとパリ管 2

ミンシュとパリ管 2

 

 このページをお読みになろうとする方は先に、昨日の「ミンシュとパリ管 1」をご覧ください。

 今でもミンシュの指揮を好む人は数多くいます。そのミンシュの評価は、最晩年の1967年から68年までの、わずか2年間で決定づけられたと言って過言ではありません。

 50年以上に及ぶ彼の音楽活動は忘れ去られ、引退後に再度引っ張り出されて、再編仕立てのパリ管弦楽団を徹底的に指導し、一流のオーケストラに仕立て上げた時から評価が始まります。残念なことにその期間は短く、欧州各地でコンサートをし、その後、アメリカ公演のさ中に亡くなっています。然し、その活動中に残した2枚のレコード、ブラームスの第一交響曲ベルリオーズ幻想交響曲、この二曲をEMIレコードから出したことで、でミンシュの評価が一変します。

 無論、これまでの長い音楽活動の中で、彼はおびただしい数のレコードを出していますし、その評価も相当に高かったのですが、最晩年に出したレコード2枚によって、歴史に残る指揮者になったのです。

 

 私のマネージメントを長くしてくれた、宮澤伊勢男(故人)はよく私に話してくれました。「藤山さんね、イエスキリストと言う人は、三十数年の人生の内で、晩年の三年間しか記録が残っていないんですよ。それ以前はどこで何をしていたのかもわかりません。でもひとたび知られるようになるとたくさんの信者を集め、人に大きな影響を残しました。そして今もキリスト教は、世界中で一番信者を集めている宗教なのです。だから、人は一つことを長く続けていれば何とかなる、と言ったものではないんですよ。世界に影響を与える行為と言うのはわずか三年で達成できるんですよ」。

 まさにミンシュの人生はイエス・キリストの如く、わずか二年で指揮者としての評価を決定づけてしまいました。ここに私は大きな興味を感じました。

 15歳の時に聴いた二枚のレコードはその後も何百回も聴きました。レコードは今も棚に収まっています。そして時々聞きます。先週のファビオ・ルイージのように新しく常任指揮者になった人の演奏を聴くと、「いや、違う」。と思ってレコードを引っ張り出して聴き直すのです。

 聴いて行くうちに、作曲者が、或いは指揮者が、何を考えて演奏しているのかが見えて来ます。交響曲にような、巨大な機構の音楽は、指揮者が細部に至るまで明快な解釈を加えて指揮をしないと、同じ曲が全く違ったものに聞こえてしまいます。ある指揮者の演奏では感動しても、別の指揮者の演奏では全く感動しないと言うことが多々起こるのです。

 それは舞台も全く同じです。ある俳優の演技では涙を流すほど感動しても、別の俳優が同じ芝居をすると、何も見えてこないなどと言うことはいくらもあります。歌舞伎のような古典劇は、それこそ過去の名優が繰り返し同じ作品を演じて来ましたから、いい悪いはお客様が承知しています。拙い芝居を見せられると数か月不快感が続きます。落語も同じです。「せっかく面白く作られている落語を、この噺家はどうしてこうもつまらなく喋るのか」。とイライラさせることがあります。マジックも同じです。

 

 いい演技と言うのは、マジックを間違えずに演じることではありません。ちゃんとできることは大切なことではありますが、そんなことは芸能の入り口に過ぎないのです。本当に優れた演技は、目の前に見える不思議ではなく、ありもしない宮殿を3Dの如くにお客様の目の前に立ち上げて見せて、その中にお客様を引きずり込み、見たこともない世界へ連れて行き、喜怒哀楽を語り込んで、悩ませ、考え込ませ、笑わせ泣かせ、希望を見せて行くことなのです。

 多くのマジシャンは不思議を見せることに帰結を求めてしまいますが、そこはまだ過程に過ぎません。不思議は現象に過ぎず、芸能の結論ではないのです。

 

 話をミンシュに戻します。彼は若いころライプチッヒゲバントハウス管弦楽団でバイオリン奏者をしていました。その時指揮をしていたのはフルトヴェングラーで、当時世界最高の指揮者でした。彼は終生この指揮者を尊敬していました。

 フルトヴェングラーが世界最高の指揮者であることは私も理解できます。然し、私はめったにフルトヴェングラーのレコードを聞きません。なぜなら彼の演奏は暗いのです。どの曲を聴いても悲劇的なのです。重たく意味深な演奏の仕方をします。ブラームスなどを演奏すると、元々が陰気な音楽なので一層暗くなります。

 ミンシュのブラームス1番も、重たく分厚く始まります。さすがにフルトヴェングラーの仕込みです。まさかパリ管がこんな重たく暗い音を出すとは想像もできません。この頃のパリ管は実に従順にミンシュに従って、まるでベルリンフィルのような音を出しています。但し、曲が進むうちにミンシュの演奏は明るくなり、所々日が差して来ます。私が繰り返しミンシュを聴く理由はそこにあります。

 時に思い悩み、苦しんでも、希望を失わないのです。この辺りがどんより曇ったドイツの気候とは違って、どこか陽気なのです。これは彼がドイツ人とフランス人の二つの国の間で生きて行かなければならなかったことと無縁ではありません。ドイツ音楽を愛し、同時にフランス音楽を愛していたのです。ブラームスではドイツ的な重低音を響かせ、重たくどっしりと演奏します。ベルリオーズでは逆にしゃれた陽気な音楽を、スイスイと軽やかに聞かせます。どちらの曲もかつてボストン交響楽団レコード化しています。然し、ボストンのそれと最晩年のパリ管を比べると、全く別物です。音楽の勢い、迫力、スピード感がまるで違います。ついつい次はどうなるのだろう、とお終いまで聴いてしまいます。二曲とも聞く人の鼻面を掴んだら話しません。奇しくも両極端な曲を残して亡くなったのは彼の人生を象徴しています。

 

 彼は70歳を過ぎてボストン交響楽団から退きました。この時、彼は自分のなすべきことはすべて果たしたと思っていたでしょう。然し、実際には75歳になった先に、最もミンシュの人生にとって重要な時期が来たことになります。そうなら、すべてやり遂げたと思っていたことは一体何だったのかと言うことになります。

 私は今67歳、来月12月1日で68歳、徐々に70歳に近づいています。これから先に私がやらなければならない人生が来るのかどうか。「もういいよ、早くやめろ」。と言われるのか。ミンシュのレコードを聞くにつけ、70歳を超えてここまで生きる目的のある人を羨ましく思います。

続く

 

 明日から2日間、大阪ZAZAで大阪マジックセッションが開催されます。明日の早朝、6時半に私ら一行は東京を立ちます。ひょっとしてブログを書く時間がないかもしれません。夜になってから書くこともありますので、晩にでも覗いてみて下さい。