手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

何をすることもなく

何をすることもなく

 

 先月30日の驚天動地の公演で、腰痛と鼻水が出て以来、風邪の症状がぬけずに、結局その後、ほとんど外出することなく、2週間、自宅にいました。始めはコロナではないかと疑いましたが、熱がずっと平熱で、鼻水と痰が絡む以外は、これと言った症状もありません。軽い風邪なのでしょう。

 毎日風邪薬を飲んで大人しくしていました。その間マジックを習いに来る生徒さんがあったり、道具の修理などをしていましたが、外出は、日に一度、駅前まで買い物に出る程度でした。

 朝は6時くらいに目が覚めるために、ブログを書きます。そのまま食事を済ませてから、午前中は本を読んだり道具をいじっていました。

 

 考えて見ると、これまでの自分自身の生活は、毎日やるべき用事を持っていました。今日は、素材を買いに行って、明日は、それを組み立てて見て、新しいアイディアを形にしてみようとか、或いは、出来た試作品を持って、木工所に出かけ、それをしっかりとした道具に作ってもらおうとか、そんなことを毎日繰り返していました。

 その間には稽古をしたり、実際にショウを演じたり、次のショウの打ち合わせに出かけたり、弟子の指導をしたりと、毎日毎日用事が次々とありました。

 

 それが、この10日間はほとんど何もありません。こんな日々があってもいいのでしょう。「勤め人が定年退職をするとこうした感覚になるのかなぁ」。と気付きました。但し、私は、風邪が治れば、新規の道具製作をするでしょうし、手順の改案もするでしょう。日々の活動は何も用事がないのではなく、風邪をひいて動かないでいるだけです。

 何も用事がないなら、せっかく頂いた時間ですから日頃やらなかったことをやってみようと思いました。

 

 実はこの10日間は、古い指揮者の演奏をとっかえひっかえ聞いていました。それもCDやレコードを買っておきながら、およそ聴かなかった指揮者の演奏です。その中で、ヘルベルト・フォン・カラヤンは昭和の名指揮者ですし、生前抜群の知名度を持っていました。私が中学生の頃はよくカラヤンのレコードを買いました。と言うよりも、当時レコードショップに行くと大半はカラヤンのレコードばかりでした。然し、その後にメンゲルベルクフルトヴェングラーの演奏を知って以降は、カラヤンを聴くことはなくなりました。

 私はふと、「あれほど有名で、レコードの良く売れた指揮者をなぜその後に聴かなくなったのだろう」。と思い、再度引っ張り出して聴いてみようと思いました。ベートーベンの5番、6番、シューベルトの未完成、チャイコフスキーの悲愴、大序曲1812年、この辺りのレコードはどれもワクワクしながら聴いた曲でした。

 演奏はベルリンフィルハーモニー管弦楽団か、カラヤンの手兵のフィルハーモニーオーケストラです。ベルリンの音の厚みは素晴らしく、これを自在に駆使して、自身の音楽芸術を作り上げるカラヤンは当時のクラシック音楽界の帝王でした。

 音楽は昔聴いた通りに立派でした。非の打ちどころのない演奏です。それは技術的にミスのない演奏と言うことです。ただし、ベートーベンでも、ブラームスでも、芸術を深く掘り下げて演奏しているかとなると、少し疑問なのです。

 カラヤンの演奏はかっこいいのです。どんなに険しい山があっても深い谷があっても、困難なんて感じさせず、一気呵成にすっ飛ばして行くのです。カラヤンの演奏を聞いていると、インデックスをなぞっているだけの世界に見えます。書籍によくある、「10分で分かるベートーベン」のような、忙しいビジネスマン向きに平易に解説してある書籍のような匂いがします。しかもそれが妙な説得力があります。

 仕事に疲れたお父さんが、たまの日曜日に、レコードを出して、広い応接間のソファーにくつろいで、カラヤンの田園でも聞いていたなら、お金持ちの生活を絵にかいたような世界が見えます。

 そうなのです。この絵柄こそカラヤンの世界なのです。1970年代のオーディオは馬鹿でかく、本体とスピーカーが三つに分解され、重厚な木製の箱に収まった巨大な家具でした。それぞれ応接間の横に並べられていて、そのスペースは圧倒的な存在でした。言ってみればマジックのジグザクボックスを横にして応接間に置いたようなものです。当時のご家庭は、こうしたステレオを有難がったのです。今、こんな装置が家にあったなら正直言って邪魔な存在です。

 サンスイなどと言う電機メーカーがあって、高級なステレオを販売していました。高校生の私には到底買える価格のステレオではありません。カタログを見て羨ましがっていたのです。たまに金持ちの友達の家に行くとサンスイがあり、聞かせてもらうと、重低音が足や腰にまで響く物凄い音でした。

 カラヤンと言う人は、こうした、広い応接間、重厚な家具のごときステレオを備えたアッパークラスのお家が、たしなみとして持つべき交響曲全集だったように思います。同時代に、出版社がこぞって出した、百科事典と同じで、応接間の書棚を適当に埋めて、見栄えのするレコードケースに収まったお飾りの知識だったように思います。

 昭和40年代に急にお金持ちになった家に並べる装飾品として、カラヤンのレコードは飛ぶように売れたのでしょう。

 今、カラヤンのレコードを聴いてみると、残念ながら、感動はあまりありません。メンゲルベルクとは対極の演奏家なのです。然し、高校生の私はある時期感動したのです。なぜこうした音楽に感動して何百回も聞きまくったのかがわかりません。

 次々とカラヤンを引っ張り出して聞いてみましたが、聞くたびに疑問に感じてしまいます。「ここはもっと抉って、思いのたけをぶつけるべきではないのか」。などと、書生じみたことをつぶやいてしまいます。そして気付いたことは、カラヤンの音楽は聞きやすく、理解しやすかったからだ。と分かりました。初心者にとっては深読みなど必要ないのです。奇麗で、テンポが良くて、分かりやすければそれでいいのです。

 彼は応接間の書棚に収まるべきポジションを手に入れ、それによって成功した指揮者なのです。昭和の時代は、クラシック音楽がとんでもなく売れた時代です。それは第一にオーディオの装置の進歩が大きく、庶民生活が向上し、みんなが家を持ち、応接間を持つようになり、ステレオを所有するようになり、それに合わせて、見栄でクラシック全集を買うようになったわけです。

 そうした時代に生まれたカラヤン時代の寵児で、彼のレコードによってドイツのグラムフォンは、クラシック音楽でとんでもない利益を生み出したのですから、今では信じられないような時代だったのです。カラヤンはその才能でみんなを幸せにしたのです。そこに「ベートーベンの本質とは遠い」、だの、「上っ面の芸術だの」。と意見がましいことを言ってはいけないのです。

 でも何となく、この年になると、芸能、芸術が見えて来ます。真面目できれいに仕上がった演奏が心に残る演奏とは限らないのです。むしろ偏屈で、愛想のない演奏に惹かれるのです。分かりやすいはいいことではないのです。

続く