プロと臭み 2
話を戻して、オーケストラが普及して、指揮者が活躍するようになると、指揮者は自分の立場を強くアピールしようとして、本来の音楽にはない、過剰な解釈を加えるようになって行きました。1850年代から1950年くらいまでの100年間はロマン派時代と言って、過剰な解釈はどこの国のオーケストラでも日常的に行われていたのです。
私のブログにもよく出て来る指揮者、メンゲルベルクや、フルトヴェングラーなどはその筆頭です。ベートーベンやブラームスやチャイコフスキーの音楽をお好きでしたら、一度、この二人の指揮をyoutubeで検索して聴いてみて下さい。ビックリビックリの連続です。
用意周到に音楽を解釈し直して、自己流に指揮を施すメンゲルベルクに対して、フルトヴェングラーは感情に任せてひたすら突っ走ります。自分自身の心が高鳴ったなら、もうほかのことは見えなくなります。
ベートーベンの第9交響曲の最終楽章の終結部分などは、この二人の両極端な解釈で聴くと、とても同じ曲とは思えません。メンゲルベルクは猛スピードで突き進みながら、コーダーの結末で、突然リタルダンドし(スピードを落とし)、ティンパニーがまるで歌舞伎のつけ板のように、ゆっくり見得を切るかの如く、バタンバタンと叩いて終結します。聴いていてびっくりです。「こんな終わり方ってあるの」。と声を上げてしまいます。「よくアムステルダムコンセルトヘボウの楽団員は、これで何も言わなかったなぁ」。と思います。まぁ、メンゲルベルクはこの時代、欧州で最も人気のあった、カリスマ指揮者ですから、一切批判は出来なかったのでしょう。
方やフルトヴェングラーの方は、ひたすらアッチェレランド(性急な演奏)をして、さすがのベルリンフィルもついて来れていません。フルトヴェングラーはそんなことは知ったこっちゃありません。もう向きになって、合唱とオーケストラが共に天国に上って行きます。こんな演奏を聞いたら、さぞや観客は感動のあまり忘れられない思い出になったことでしょう。
私は今もこうした1940年代50年代のレコードをかけます。面白いのです。この時代の演奏は、ベートーベンも、ブラームスも生き生きとしているのです。
それが1950年代以降。レコードが普及してくるようになると、個性的な解釈が徐々に失われて行きます。演奏の仕方はオーソドックスなものに変わり、はみ出た演奏と言うものがなくなります。そうなると急激に私のクラシック熱はしぼんで行きます。
シャルルミンシュや、ムラヴィンスキーも面白いと思いました。カルロスクライバーも素晴らしいです。チェビリダッケやシェルヘンもいくつかCDを買いました。面白いとは思いましたが、それでもそうしたCDを聴いた後に、結局は、古い演奏家のCDを引っ張り出して聴き直してしまいます。
そうなると、私のクラシック音楽タイムは、同じ曲を指揮者を変えて二度聞くことになります。深夜中ベートーベンやブラームスを聴くことになります。テレビのN響アワーなどを聴いた後は、必ずそうした傾向になります。
今の指揮者が演奏した後に決まって、「こんなはずではないんだがなぁ」。と、メンゲルベルクを引っ張り出して聴きます。そして音が鳴り始めると、「これこれ、これでなければ」。と一人納得するのです。
今の時代こうしたロマン派の指揮者の演奏は人気が出ることはないでしょう。録音も古すぎますから、あえてこんなCDを買って聴こうとする人も少ないでしょう。極端に個性的な解釈ですから、現代のクラシックファンが聴いたらはっきり拒否するかもしれません。でも私にすれば音楽の真実が聞こえるのです。
原曲に対して勝手な解釈を加えると言うのは邪道とも言えます。ところが、そうではあっても、実際出来上がった演奏を聴くと、とんでもない感動を得るのです。とかく芸が臭いと言うと、いい意味には使われません。臭いと言う言葉の裏には、程度が低い、俗っぽい、明らかに間違っている。と言う意味に捉えられやすいのですが、でも、私が50年間愛好し続けたレコードを、繰り返し繰り返し聞くのはなぜなのか、と考えると、「臭い芸」も悪くないのではないかと思います。
ちゃんと演奏する人が、自分が臭いと言うことを知って演奏したなら、それはそれでありかなと思います。最も大切なことは、一線を越えた解釈をした演奏は、人から批判をされるであろう。と分かっていながら、越えずにいられない感情移入が人を共鳴させるのだと思います。そうした極端な思いに至るまでに自分自身を追い詰めると言うのは現代ではほとんど考えられないことです。
それが自由に行えて、なおかつそこに分厚い支持者がいたと言うことは1950年代までのクラシック界はいい時代だったと言えるのではないでしょうか。
続く
今日は、またパソコンの具合が悪く、夕方まで使用できませんでした。どういう理由かはわかりませんが、困ったことです。夕方の時点で、200人のファンの皆様が覗きに来てくれました。申し訳ないと思っています。明日はまた早朝に書きますので、覗きに来てください。