手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

宝物

宝物

 

 私が小学生だったころ、切手を収集する仲間がたくさんいて、一時期クラスの中でも切手のノートを持ってきて、自慢する人がたくさんいました。私も同様に切手を集めて、専用ノートに飾っていました。当時、蒲田の駅ビルに中に切手売り場があって、そこに行くと高価な切手が販売されていました。

 「月に雁」だの、「見返り美人」などという切手は、恐らく一万円越えで、とても買える物ではありませんでした。但し、それを持っていたからどうだと言うものではありません。人の持っていないものを持っていることが自慢なのでしょう。つまり本当の価値は分からないまま、一過性の流行でみんなが追いかけていたのです。

 但し、切手の収集はなかなかデリケートなものですから、子供の手に負えるものではありません。切手を取り出すときには直接手で触れずに、ビンセットで出し入れします。これが子供にとってはまだるっこしくってなかなかできません。ついつい手で直に取ってしまいます。

 これを繰り返すうちに、切手自体が汚れて行ったり、切手の端の切取り部分が折れてしまったり、だんだんに切手の価値が失われて行きます。無論、子供のことですから、利殖で収集する人はいないのですが、貴重な古い切手が子供の手によって価値が損なわれて行くのは残念です。

 

 その後、切手に飽きると、コインを集めるようになりました。私自身はあまり物欲はないのですが、矢張り流行だったのでしょう。昔のコインを随分集めました、昭和40年代は、まだまだ戦前の貨幣が普通に残っていて、どこの家でも箪笥の中に、10銭や50銭銀貨などが結構あったのです。

 それを頼み込んでもらい受け、たくさん集めていました。50銭と書かれたコインでも、明治の50銭銀貨は立派で、かつてのアメリカのハーフダラー(50セント)よりもまだ大きいくらいのサイズがありました。それが大正時代になると、ほぼ現在の10円硬貨ぐらいに小さくなってしまいます。但し銀貨です。それが昭和になって戦争が始まるころになると、白銅貨に変わり、戦後は黄銅貨になってしまいます。

 昭和23年などと言う刻印がある50銭貨幣もありました。50銭貨幣は戦後もしばらくは通用したようです。つまり昭和20年代でも1円より下の通貨があったわけです。但し、戦時中や、戦後すぐくらいは、銅や銀は足らなかったと見え、5銭、10銭貨幣は錫(すず)で出来ていました。それも、ワイシャツのボタンほどのサイズでした。余りに小さくて財布の隅などに入り込んだら取り出せなかったでしょう。

 錫と言うのは半田をするときに電線をつなぐために使います。熱で簡単に溶けるため、貨幣としてはもろいものです。如何に物資が不足していたとはいえ、錫の貨幣などが出回るようになったら、国の運命は誰が見ても怪しいと思うでしょう。明治の50銭銀貨の威信と見比べると、昭和の貨幣はどれも貧弱です。

 

 古い小説などを読んでいると、10銭、50銭と言う貨幣の単位が良く出て来ます、然し、実際その貨幣がどれくらいの価値だったかが実感として掴めません。それがこうして、当時の貨幣を見ると、おおよその価値が見えて来ます。

 明治の1円は、江戸時代の1両と等価です。明治初年の1円は現在の価値で3万円ほどの値打ちがあったようです。明治も時代が下ると価値は下がって行きますが、それでも一円が2万円くらいの価値はあったのでしょう。明治の巡査の給料が8円だったと何かに書いてありましたが、そうであるなら現在の16万円と言うことになり、まぁまぁ相場かなと思います。

 1円が2万円の価値なら50銭は1万円です。明治の50銭銀貨を見ると確かに立派です。1万円の価値はあったのでしょう。私の親父が子供の頃ですから、昭和10年くらいだと思います。50銭を持って、浅草に行って、天丼を食べて映画が見られたと言っていましたから、昭和初年の50銭は2千円くらいの価値はあったのでしょうか。

 その親父曰く、正月のお年玉にもらった50銭はとにかく大きかった。と言っていました。然し、昭和の50銭は今の10円玉くらいのサイズです。そんなに大きなわけはないはずです。でも、いろいろ考えて見ると、当時は、明治の50銭も大正の50銭も昭和の50銭もみんな併用して使っていたようなのです。サイズの大小なんか関係なく、50銭は50銭だったのです。お年玉のようなめでたいお金は、日ごろから大きな50銭を用意しておいて、子供を喜ばせるために明治の50銭を与えたのでしょう。

 無論使うときにはコインの大小は関係ありません。同じ価値です。こうして、古い貨幣も併用して使えたと言うことは、戦争中の錫で出来た小さな貨幣も、明治の大きな貨幣も同等に使えたわけで、これは余りに価格差があって不公平です。そのため、古い貨幣を手に入れると、密かに鋳つぶして、金メッキや、銀細工に使う職人や工場が出て来ます。資材が不足すればやむを得なかったのでしょう。

 政府は、それを取り締まるべく「貨幣変造等の罪」と言う法律を作ります。勝手に溶かしたり穴をあけてはいけないと言う法律です。物資の不足していた時代ゆえの法律だったのでしょう。ところが、この法律が今も生きています。

 現代の貨幣を鋳つぶしても、額面以上の価値はありません。500円玉を鋳つぶしたとしての数十円の価値しかないのです。なぜこんなことで貨幣を守らなければいけないのでしょうか。実際、この法律に触れて罰せられる人は、マジックショップのオーナーだけです。500円玉に加工して煙草を通すマジックを作ると法律に触れるのです。おかしな話です。500円玉を改造して、500円以上の商品と取り換えられるような貨幣を作ったのなら問題ですが、煙草が貫通して一体何が罪なのでしょうか。

 でも現実には、法律が残っていて、その規定に外れた行為ですから、裁判で争えば私ら側の敗訴です。おかしな話です。誰の迷惑もかけていない行為で罰せられるのは理解できません。しかも、国民全体に等しく通用する法律ではなく、特定のマジシャンと言う業種にのみに罪がかかると言うのは法の下の平等に反します。何とかこの法律を廃棄したいと思いますが、どなたかご協力願えませんか。

続く