手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

プジョー、MVP、ブラームス  

プジョー、MVP 、ブラームス 

 

プジョー

 3年前にシトロエンが故障して、どうにもならなくなり、やむを得ずプジョー308を買いました。サイズはシトロエンC5よりも少し小型で、特別何か感動する乗り心地ではないですが、何しろ壊れないで、実によく動きます。そうした点ではいい車と言えます。

 プジョーはフランス車の中では珍しく堅実な会社で、1970年代、シトロエン社が大赤字で倒産寸前だったものを、プジョーが引き受け、その後ずっとプジョー傘下でシトロエンは生き延びています。

 結果として、シトロエンも、プジョーから堅実さを学び、余り面白みのない車を作る会社になってしまいました。今出ている、シトロエンのベルランゴは、斬新なフォルムで若者を対象にしたような車です。どうも昔のシトロエンに憧れているものとしては、シトロエンが相当無理して若者にすり寄っているように感じます。

 欧州では、5年以内にガソリン自動車をやめて、電気自動車に移行しようとする動きが出ています。それが地球環境に優しい活動になると信じているようです。確かに今街中でガソリンを燃やすことで動力を作っている自動車では排ガスは消えません。石油をやめて電気自動車にすれば、街中のガスは覿面(てきめん)に消えます。

 然し、そうなると、電力消費がアップします。今の欧州の発電力では、化石エネルギーに頼らなくては電力需要は賄えません。結果として、発電所がもくもくと石油を燃やしてCO2を増やすことになりますので、地球規模でのCO2の濃度は変わりません。そればかりか、電力は、電線を引っ張って行く途中で、電気がかなり失われています。

 発電所で作られた電気が、各家庭の自動車の充電に回されるまでに、無駄な電力を消費しています。その分がこれまでのガソリン車以上に増えることになりますので、欧州の学者が思うほどにはCO2を減らすことは出来ないでしょう。

 そこでトヨタ車が必死になって水素ガスの効力を説明しています。すなわちハイブリッド車です。ハイブリッド車のガスは水素ガスですので、いわば水です。社会への悪影響は全くないのです。いきなり電気にするよりは、ずっといい方式だと言うわけです。さて、日本が勝つか欧州が勝つか、私はトヨタ正解だと思います。

 そうした中でシトロエンが全く目立たなくなってしまったのは残念です。今のプジョーは全く故障しませんが、そろそろ次の車を考えています。ガソリン車で結構なので、何とかかつての極上の乗り心地の車を作っていただきたいのが私の本音です。

 

MVP 

 大谷選手が今回はMVPを逃しました。ある程度、巷で予想されていた通りの結果ではあります。大谷選手の今期の活躍は、本塁打32本、保守11勝で、その他全ての記録が規定を上回り、歴史的にもベーブルースを超えた記録を残しています。

 然しながら、対抗するヤンキースのアーロン・ジャッジは、62本本塁打で、驚異的な成績です。数字の前には議論の余地はありません。62本のホームランを打った選手は偉大なのです。

 MVPはスポーツ新聞の記者30人が集まって投票します。記名式でしかも、投票理由をその後に説明できるように求められます。きわめて公平な選出方です。

 その中で、今回は28人がアーロン・ジャッジに投票し、2名が大谷選手に投票しました。その2名を非難する野球番組の司会者がいて、「何を考えているんだ」。と怒りをむき出しにして非難していました。

 然し、非難は見当違いです。大谷選手は、本塁打においてはジャッジ選手に負けれいますが、投手としての記録は歴史的な成果を上げています。そこを全く見ずして、MVPを決めることの方が無理があります。それもこれも、二刀流でこれだけの成果を残した人が今までいなかったから、投票ルールが追い付いていないのです。

 これからは大谷選手のためにルールを変えてでも、公平な審判をしてほしいと思います。せっかくの逸材をアメリカの球界はもっと大切にすべきです。

 

ブラームス

 さてこのところ私はブラームス交響曲2番をよく聞きます。ブラームスは陰気臭くて、難解で嫌い、と言う人の話をよく聞きます。それは私も同じで、ブラームスはそうしょっちゅう聞く音楽ではないと思います。

 ブラームスは心の葛藤を素直に音で表現します。常に悩んだり戸惑ったり、行きつ戻りつします。聴いていて、「だから結局どうしたいんだ」。と突っ込みを入れたくなります。太って、白い立派な髭を生やして、若いころからドイツ音楽の大家と持てはやされたブラームスです。

 音楽家として頂点を極めた人ですが、その彼が私的なことでぐずぐず悩み、悩んだ挙句、答えが出せず、やがて自らの心の中を閉ざして行きます。そんな音楽に付き合っていると、聞いているものまで気持ちが暗くなります。

 そうした中で、交響曲の2番は例外的に親しみやすく聴きやすい曲です。全編が田園風景を思わせますし、若いころの追憶がテーマなようで、特に最終楽章はブラームスにしては珍しく心の高まりが爆発します。まるで大学祝典序曲を思わせます。

 私がなぜ2番を聴くようになったかと言うと、このところ、youtubeで、古いレコードがたくさん出て来ています。すると、今まで慣れ親しんできたメンゲルベルクワルターフルトヴェングラー、ミンシュ、などの指揮者でも、年代によってかなり演奏の仕方が違っていたことが分かり、新たな発見があります。その違いを聴くのが面白いのです。

 確かに、第2次世界大戦のさ中の録音と、戦後の録音を比べたら、余りにも生活環境の違う中での演奏ですから、曲の解釈も変わるのは当然です。指揮者が常に若いころから同じ解釈で演奏していたわけではありません。指揮者の人生の深度が分かると言う意味でも今の時代に生まれてyoutubeで音楽が聴けるのは幸せだと、現状を享受しています。

 音質自体も、ヘッドフォンを使って、ボリュームを上げて聴くと、かなり細部までが聞こえて来て、鑑賞に堪えます。全く新しい音楽鑑賞方法ですので、このところ深夜はもっぱらyoutubeで音楽を聞いて楽しんでいます。

続く