手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

オオカミ少年シン

  「オオカミが来たぞ」、と言って、いつも嘘をついていた少年が、本当にオオカミが来た時に、村人は誰も相手にせず、食われてゆく少年を助けてくれなかった。「だから日ごろの行いが大切」。と言う有難いお話し。

 今回の「大震災が来るぞ」も、適当なことを言いながら、連日ブログに載せていた私は、さしずめオオカミ少年シンです。昨晩も、2時まで、地震が来るかと起きていましたが、地面はピクリとも動きません。動かないのは良い知らせではありますが、そうなら、私の予感はどこへ行ってしまったのか。全く人騒がせで、すみません。良かれと思ってしたことですが、結果、お騒がせしただけに終わってしまいました。

 以後、地震の予測などと言う、大それたことは慎み、おとなしく、地味な手妻師として生きて行くようにいたします。

 

 ここで、予言や予知が本当に信じられるかどうか、今回の経験から、少し考えてみようと思います。

 

 経験は役に立たない

予知や予言をする人は、全くあてずっぽうで言っているわけではないと思います。彼らは彼らなりに、過去にいくつか当たった経験を持ち、それが一体なぜ当たったのか、自分なりに法則を見出して、次なる予知に活かしているのでしょう。

 私の話を例にとるなら、まず夢に誰かが出て来ます。私の場合祖母です。祖母は福島生まれで、その後塩釜に働きに出て、そこで祖父に出会い、祖父と結ばれます。祖父は職人ですが、祖父の母はかまぼこ屋の娘です。祖父は塩釜で関東大震災を知ります。この関東大震災大正12年)と言うのがまず私の耳に残り、印象付けられます。

 祖父は東京に行き、翌年、祖母も東京に出ます。つまり二人がなぜ東京に出てきたのかと言う理由が関東大震災と言うキーワードなのです。

 私が20代の頃、寝たきりの祖母を見舞いに行くと、祖母は、繰り返し、大正12年の話をしました。そしてその数日後に亡くなったのです。ただそれだけの話が、30年後に、私の夢の中に突然現れます。そして二週間後、東日本大震災が起こります。

 ここで私は、東北と言う地域から、祖父母の生まれ育った土地を連想します。しかも私が見た夢は祖母から聞いた震災の話です。これにより、関東大震災と、東日本大震災が、私の頭の中でつながります。更にそれが二週間と言う時間を経て起こった話で、夢に、身内が出てきたことで何かメッセージがあるかのような錯覚を起こさせたのです。

 ここで私は、自分に予知能力があるのではないか、と妄想します。「そうそう、そういえば、自分は子供のころから運がよく、よく母親にくっついて行って、商店街の福引をすると、二等や三等を当てて、味噌や、醤油を貰い、母親に、『この子は運がいい』と褒められた」。などと、どうでもいいような話が運の裏打ちとなり、奇妙な自信につながって行きます。脈絡もなく法則が生まれます。夢、身内、地震、二週間、己の運。

 

 根拠のない裏付けから法則を見出す

 夢に祖母が出て来て、それがたまたま東日本大震災につながったと言うことから、今度はこれまでに自分がいかに運がよかったか、あるいは感がよかったか、を裏付けるため、様々なことをつなげて考えるようになります。ここから発想が少し自分寄りになってゆきます。単に運がいいと言うことから、自分は人にない才能があるなどと思い込むようになります。少し危ない道に入ってきます。

 考え方の根拠がしっかりしていればいいのですが、元々、夢のお告げですから、根拠はありません。根拠のない所に、いかにももっともと思われる話を塗りたくるわけです。つまり言ってしまえば、基礎杭を打たずにビルディングを立てて、その外側を、豪華に見せるために石やタイルを貼って行く作業をしているのです。出来上がったビルディングは外観は立派なものですが、中身は耐震構造も何もできていません。基礎杭すら打ってはいないのです。何かがあればすぐに倒れてしまいます。

 そんなビルを建てたところで何の役に立つのか、と第三者は思いますが、これがどうしてどうして、自己のプライドを満たすのです。仮に、法則が毎回外れ続けたなら、いい加減自身の運を諦めもしますが、勝手に作った予知の法則が、なぜかその後、当たり続けるのです。私で言うなら、熊本地震です。熊本地震を予知し、なおかつ支援金まで貰ったとなると、心は有頂天です。インチキビルの隣にもう一つ新社屋を建てようかと考えます。こんな時は、小さな予知もよく当たります。もういっぱしの予言者です。

 そして、今回の関東大震災です。少し調子に乗りました。今、しみじみ自分は才能がないと反省しています。然し、そんなことを言っているうちに、昼とか、夕方に地震が起きたなら、またもむくむくと根拠のない才能がもたげて来ます。そして新社屋建設の夢が膨らみます。朝反省して、二度と予言などしないと思っていたのに、午後にはタイルを貼り始めます。懲りないのです。どうしようもありません。

 

 私が文化庁の仕事で学校公演をしていた時に、地方都市に行き、地元の小中学生に手妻を演じて見せていたのですが、生の演奏家まで連れて、総勢25人の一座で回っていました。費用はすべて国が支払い、地元の学校の体育館で公演します。学校での公演ですから、午後3時には終わってしまい、ホテルに戻ると、まだ5時です。それ以降はスタッフ、出演者は自由時間です。

 照明のA君と、音響のB君はパチンコが好きで、行く先々の町で、パチンコ屋を探して、熱心に玉を弾いていました。特にA君は熱烈に好きで、ある時、「どうしてパチンコにはまったの」。と聞くと、「学生の頃、友達に誘われて、パチンコ屋に行き、その日一日だけで30万円稼いだんです。パチンコってこんなに稼げるんだって思って、毎日通ったら、三日後に70万円稼いだんです。」「本当に、パチンコで70万円も稼げるの」。「その時はバブルのさ中ですから、パチンコ屋も出す台は目いっぱい出したんです。それで次の日、中古の自動車を買いました。それからしばらくは、行くたびに3万円5万円と金になったんです。もうそうなると、バイトで日当5千円くらい稼ぐのがばかばかしくなって、しばらくパチプロ気取りで、パチンコ屋に出入りしていたんです。」「でも、そんなの長く続かないでしょう。」「えぇ、バブルがはじけたら出なくなりました。でもやっているうちに何となく、パチンコと言うものがどういう風に出て、どうすれば稼げるかがわかってきたんです。」「それで勝率が上がったわけね。」ええ、でも、長くやっていると、だんだん勝率も下がってきます。今はなかなか取れません。でも面白いからやめられないんです。」

 そう言いながら、連日熱心に地方の町のパチンコ屋に通うA君を、ある日時間をずらして密かに店に行ってみました。いました。その店は、人がほとんど入っていません。一見して、「これじゃぁ出ないだろうなぁ。」と思います。その一角でA君は黙々とパチンコを打っています。出ていません。然し楽しそうです。そのとき彼を見て、第三者である私は、絶対成功しない道をひたすら信じているA君を気の毒に思いました。今の地震の予知の話で言うなら、「あぁ、A君は根拠のない法則を信じて、黙々とタイルを貼っていたんだなぁ。」と思います。

 人のことは言えません。人は必ず間違えます。でも、無根拠の法則に男は憧れます。根拠なんかなくったって、のめり込める世界を持っていることが楽しいのです。

 

続く