手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

予知予言は胸騒ぎ

予知予言は胸騒ぎ

 

 昨日(10月30日)、今日(31日)、この二日間のいずれかで大きな地震や災害が起こる、と予知している予言者が何人もいます。予言者と言う人たちが、過去にロシアとウクライナの戦争を予言したとか、3,11の東北大地震を予測したとか、いろいろ仰る人がいます。

 誰が何を言おうと自由ですが、それを誇大に吹聴するのはよしたほうがいいでしょう。先ず明確なことは、予言に根拠はありません。多くの場合は事件が起こる前に、「何やら胸騒ぎがする」。と言う程度の心の揺れとか、インスピレーションなどが予言に結び付いて、様々な予知を語っているのだと思います。

 然しその胸騒ぎも、一年に百ぐらい胸騒ぎが発生して、そのうちの一つ二つが当たると言うのだったら、それは予言になるでしょうか。

 以前私が、東北地震の時に死んだ祖母が地震の数日前に夢に出て来て、若いころ住んでいた塩釜のことを語り出した。と、ブログに書きました。その時は、なぜ祖母が出てきて塩釜の話をしたのか、見当がつきませんでしたが、三日後に東北に大地震が来たので、私なりには得心しました。

 その後、熊本地震の数日前に、熊本の知人が夢に現れた、と言う話もしました。これも不思議な話でした。私はこの知人の事など今まで深く考えたこともなかったですし、夢に見ることもなかったのです。数日後、熊本地震が起こりました。

 だからと言って、私が特殊能力を持っているとは思えません。日常、宝くじが当たったり、ギャンブルが強いと言うわけでもないのです。これを予知だと言えば予知なのでしょうが。言ってみれば単なる胸騒ぎです。全く根拠はありませんし、大地震のたびに誰か亡くなった人や親しい人が夢に現れるわけではありません。

 二年ほど前に当時、五月に地震が来ると言うデマがあり、その時たまたま親しい仲間のマジシャンが夢に現れたのです。「ひょっとしてこれは、地震の再来か」。と思い、ブログにそのことを書きました。実際その前日に、小さな地震が関東地方にありましたが、大地震ではありませんでした。

 この時、私は、仮に私に予知能力があるとして、いくら胸騒ぎがするとしても、人に予知を語ることはよそうと思いました。なぜなら、胸騒ぎは飽くまで胸騒ぎなのです。当たるのか当たらないのかもわかりません。

 しかも、仮に大地震が来たり、大津波が来たとして、その話を聞いた仲間は一体どうしたらいいのでしょうか。災害から身を守れるのでしょうか。せいぜい家のポリタンクに水を入れ、懐中電灯の電池を入れ、保存食をチェックする。そんなことしかできないでしょう。

 然し、そうした災害対策をしても、たまたま地方公演にでも行っていたなら、何ら災害の役には立ちません。

 私の親父が、戦後に徳島県で公演をして、その後、宴会場で打ち上げをしていた時に、「津波だ」。という声で、酒を呑んでいた町の人が全員、山に向かって駆け出したそうです。親父はよくわからないままついて行ったら、町全体が津波に揉まれ九死に一生を得た。と言いう話を聞きました。

 この場合は、狭い町で、山が近かったため、うまく逃げおおせたわけです。でも、旅作の災害はどうにもなりません。

 杉並区に住んでいて、地震災害にあったとして、食べるものもなく餓死したり、寒さに耐えられず、凍死するなどと言うことがあるでしょうか。ちょっと考えられないと思います。つまり、災害を煽るような言葉は、人を惑わすだけでなんら意味がないのではないかと思います。

 

 地震で恐ろしいのは、地震による二次災害でしょう。大正13年関東大震災のときには、地震の割れ目の中に人が落ちて亡くなるなどと言うことは殆どなく、大概は家の倒壊、そして大火に巻き込まれて亡くなる場合が多かったのです。

 地震の際の火事は、一斉に方々で火災が発生するため、消火が追い付きません。そのため、火がどんどん大きくなり、地域一帯に大きな熱波が発生します。そうなると、火の粉が飛び散らなくても、熱風で木造住宅などは自然発火します。

 こうなると、もう手が付けられません。火事の中で熱風の竜巻に囲まれた人たちは逃げられなくなります。江戸時代、大正時代の日本では、木造住宅がひしめき合っていましたから、火事はすぐさま大火災となり町ごと炎が空高くに吹き上がりました。こうして何万もの人が炎に巻き込まれ、亡くなったのです。

 さて、今の東京で、火事になると言っても、大正時代のような火災にはならないでしょう。確かに木造の住宅密集地と言うのはまだたくさんありますが、それでも、大正時代のように何でも木で出来ているわけではなく、家のタイルや、屋根など不燃性の素材が使ってあって、さほどに大火には至らないだろうと思います。

 大正の大震災はちょうど昼時で、当時の長屋などでは、昼のおかずの魚や味噌汁を温めるために、路地に七輪を出して、炭火で鍋を温めていたのです。それがどの家でも七輪を使っていたために、地震が起きたときに逃げ出し人が七輪に躓き、中の炭をばらまいて木造住宅に火が移ったのです。

 関東大震災の死者は10万人と聞きます。当時人口300万人の東京市で10万人の死者です。1000万人の東京都ならどれだけの災害になるでしょうか。などと言うと、50万人百万人が死者となるかと思いますが、恐らく大正期の半分程度の被害ではないかと思います。むしろ災害を煽って、トイレットペーパーの買い占めや、ガソリンの補充を煽ると、地域はパニックになります。また、危険な場所に人を先導したりすることの方が危険です。

 大地震は、津波と建物倒壊や火災に見舞われない限り、先ず人命の心配はありません。水も食べ物も心配はないでしょう。東北の震災の数日後、漁村に災害支援に行った人たちは、町は破壊されてほとんど人がいないで、町はずれのバイパスにあるパチンコ屋が大にぎわいで、日中行き場のない人達が遊んでいたそうです。みんながみんなそうした人たちではないにしても、家が流されても、親類が亡くなっても、人は何か面白いことを見つけて生きて行くのでしょう。