手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

震災

震災

 

 このところ関東は小さな地震が毎週のようにやって来ます。一昨日も、夜に二度、横揺れの地震がありました。大した揺れではありませんでしたが、地震のたびに、これが大震災につながるのではないか、と思うと不安になります。

 およそ関東では70年に一度大きな地震がやって来ます。前回が大正12(1923)年、9月1日です。更にもうひとつ前は、江戸時代、安政2(1855)年。10月2日です。安政地震関東大震災の間は68年です。70年に一度と言うなら、関東大震災の次には、平成5年頃に地震が来ていなければいけません。それがもうかれこれ100年地震が来ていないことになります。不穏です。そろそろ大きな地震が来そうです。

 かつての地震災害は、ほとんどは火災被害でした。関東大震災などは地震後に東京市内の各地から火の手が上がり、それが大火災となって、東京中を焼き尽くしました。当時は木造建築が多かったため、一度燃え上がると次々に焼けてしまいます。

 火災は何日も続きました。一度燃えたところでも再度火災になることもありました。火は、木っ端が燃えて空中を飛んで、先々の建物に飛び火して行きますので、知らず知らずに火に囲まれてしまうこともあります。そうなると万事休すで、どうにもなりません。

 大きな火災は、当時の消防では防ぎきれません。一旦大火災となると燃えるに任せるほかはなかったのです。 

 松旭斎天勝は、地震の時、浅草常盤座に出演していて、舞台上で大きな揺れが来ました。幸い常盤座は石造りのため壊れることはなかったのですが、周辺から火事が起こり、このままでは危険だと判断し、座員は着の身着のまま、舞台衣装で大通りに出て、そこから歩いて上野の山に避難したそうです。

 大火災になると、炎は周辺の酸素を吸い取って火力が大きくなりますので、周辺にいる人は、酸素不足になります。そのため、火が近づいて来るとフーッと意識が薄れて、その場に倒れてしまい、そのまま焼き殺されてしまいます。なるべく火から離れなければいけません。

 酸素は地面の低いところに溜まるそうですから、息苦しくなったら、腰をかがめて息をするとよいでしょう。実際、ビル火災で身をかがめて低く歩いて脱出をした人の話を聞いたことがあります。

 

 大正12年の震災の死者は10万人でした。実際、建物に圧死すると言うこと以外で、地震で亡くなる人は稀です。多くの場合、地震の犠牲者と言うよりも、火災による死者です。下町の路地奥に住む長屋の人たちなどが火に巻き込まれて犠牲になったようです。

 安政の大地震は、直下型地震で、江戸の町を方々破壊しました。然し、この時、火災はさほどではなかったため、死者は7000人くらいだったそうです。7000人でも大きな被害ですが、後の関東大震災の10万人を思えば軽微だったと言えます。

 

 東京にいま直下型に地震が来たとして、どれくらいの被害が出るか、推測するほかはありませんが、参考になるのは、28年前の阪神淡路大震災でしょう。1995(平成7)年、1月17日、朝5時46分。神戸、芦屋、三宮と言った、兵庫県の海岸沿いの都市と、対岸の淡路島が震災被害を受けました。

 この地震の被害を見ると、大都市の地震災害がよくわかります。先ず中心街のビルがそっくり倒れたり、一、二階部分の柱がつぶれ、一、二階を押しつぶしてそのまま立っていたり(雑居ビルなどは、商店の開口部分を広くとるために、一、二階の柱や壁が少ないため柱が支えきれず膝から崩れるのでしょう)。

 それから、高速道路の橋脚が破壊されて、まるで恐竜の死骸のように倒れていました。また、新幹線が所々土砂に埋もれて、長いこと復活しませんでした。

 ご存じのように、神戸近辺は、山が海岸に迫っていて、高速道路や国道、新幹線や私鉄が、狭い平地に密集しています。そこへ地震が起こると一遍に日本の交通網が破壊されます。神戸地区は日本の流通のネックなのです。

 お陰で大阪以西に移動する際に、新幹線が使えず、高速道路が使えず、わざわざ飛行機で移動して在来線で戻るようなことを一年くらいしていました。

 悲劇だったのは長田地区の火災で、木造の商店街の密集地で、火災の大きさから消防車が入り込めず、結果燃えるに任せる状態でした、早朝と言うこともあって、家で寝ていた人たちが災害に遭い、6000人以上の死者を出す結果になりました。多くは高齢者だったようです。それでも、人が活動する前の時間帯だったため、交通機関での死者が少なく、デパートや、会社の勤め人の被害が少なかったことは幸いでした。

 

 ここから考えて、東京が、日中地震災害にあったときにどれほど被害が及ぶかと考えると、少なく見積もっても阪神淡路の10倍くらいの被害が出るのではないかと思います。高速道路が倒れたり、駅の地下街が被害を受けたり、雑居ビルが倒壊したりすれば、その被害は更に甚大です。

 それでも、江戸時代のような、木造建築による大火災はそう大きくはならないのではないかと思います。大分耐火建築が増えましたし、ビルも増えていますので、ある程度は燃えても、地域全体を炎が包むような火災には至らないでしょう。それでも上野のアメ横周辺や、新宿の駅前の飲み屋街などは、そっくり燃えてしまいそうです。

 歌舞伎町や、池袋の雑居ビルで呑んでいたりすると、煙に巻かれて一巻の終わりになりかねません。高円寺の商店街だって、神戸の永田地区と似たり寄ったりで、どうなるか分かったものではありません。

 今はみんな呑気に、これから起こる地震を、ただ漠然と何とかなるくらいに考えていますが、実際、東京で大地震となれば、とんでもない災害があちこちで起こるはずです。自宅にいれば、避難場所や、水や食料の確保はなんとかなりますが、粗末な雑居ビルで酒を飲んでいたりすると、よほど立ち回りを巧くしないと危険な状態に至ります。

 逃げる場所はあるか、近くに広場はあるか、非常階段は使えるか、余り高いところで酒を飲まないようにしよう、などと心がけておかないと、いざと言うときに逃げ切れません。Xデーが刻一刻と近付く中、気分良く酒を飲みつつも、少しは用心をして暮らさなければいけません。

続く

 

 明日は日曜日ですので、ブログを休みます。私は明日の12時から、日本橋アゴラカフェに出演します。アゴラカフェは天井の高い、大きな建物で、地震で倒壊するようなちゃちなものではありません。どうぞ安心してお越しください。